11 その故郷、滅びにつき――

 

 返り血で染まった顔をシーツで拭い取り、手斧や狩りで使う道具一式、密かに狩っていた魔獣から取り出した魔石を詰め込んだ袋を手にしたレイラは階段を駆け下りる。

 物音を立てないように慎重に階段を降り、フロアを覗き込む。


「お、父さん……?」


 そこには衣服を引き裂かれ、夥しい量の血を流して倒れているミリスの傍で立ち尽くしているダルトンの姿があった。


「お父さん、お母さんは……」

「レ、レイラ!? 無事だったのか!!」


 レイラがおずおずと声をかけると、呆然とミリスの死体を眺めていたダルトンはハッとして振り返り、勢いよく抱きしめられる。

 そしてレイラの衣服にどす黒く変色した血糊を見つけると、血相を変えてレイラに怪我がないか探し始める。

 為されるがままになってたレイラは変わり果てた姿のミリスから目をそらし、自身の全身を隈なく探っているダルトンに目を向ける。

 彼が此処に居ることに疑問を覚えたが、それとなくダルトンの背に腕を回すと、その途中で指先に温かくぬめりのある感触が触れる。

 見ると、真っ赤な鮮血がレイラの細い指についていた。


「お父さん、もしかして、怪我、してる、の……?」

「レイラ。本当に、本当にレイラだけでも無事でよかったッ……」


 そういってダルトンはレイラの質問に答えることなく立ち上がる。


「いいか、レイラよく聞きなさい。今から――――」


 ―――ぎゃぁぁぁああああああああああああああっ?!―――


 ダルトンの言葉を遮るように、家のほど近くで聞き覚えのある男の断末魔が轟いてくる。


「今のって、もしかしてミダールおじさんの声……?」

「レイラ!こっちに来なさい!!」


 レイラの質問には答えず、手を引いて店の奥へと走り出したダルトンに引っ張られるまま二人は厨房へと駆け込んだ。


「お父さん、今なにが起きてるの?」

「……今、この村はゴブリンの大群に襲われてる。今朝、物見が見つけた蛮族共は村から戦える人間を引きはがすための陽動だったんだ。それに気付いて戻ってきたが、その時にはもう遅かった――――」


 厨房に入った途端レイラを置き去りにして葉紙に何かを書きなぐっているダルトンの傍ら、その姿を観察していたレイラは気付く。

 皮鎧で隠れて最初は気付かなかったが、ダルトンのわき腹からは衣服で吸収しきれなかった血が床へと滴り落ちている。

 よく見れば、その目元には薄くはない隈も浮かび上がっていた。


「――――いいか、レイラ。これから俺の言うこと良く聞くんだ。昔行った事があるバルセットの事は覚えてるな?そこにいるエレナ叔母さんの所に向かえ。あと村の近くの街道は使うな。ゴブリンの別動隊が見張ってるかもしれない。レビラ村への分岐辺りで街道に合流してバルセットに向かえ。いいな?」

「お父さんはどうするの……?」

「悪いな、レイラ。俺は一緒に行けそうにない。仮に一緒に行っても、今の俺じゃあお前の足手纏いになるだけだ」


 そういって何か走り書きされた葉紙を握らされ、僅かばかりの食料と硬貨が入れられた布袋を渡される。

 中身を確認した後、レイラが不安げな表情を浮かべてダルトンの顔を見上げると、泣き笑いのような笑みと共に力いっぱい抱きしめられる。


「一人にして、辛い思いをさせて済まない。でもお父さんもお母さんも、お前の事を愛してるからな。今までも、これからも……」


 両頬に手を添えられ、しっかりと瞳を覗き込まれたレイラは何かを言おうとしても言葉が出てこず、ただただダルトンの瞳を見返す事しかできなかった。

 重苦しく哀傷あいしょうに満ちた沈黙が落ちるが、その間も長くは持たなかった。


『Iurn wozyiden doznena gsozn iensen!!』


 勝手口の扉を蹴破り、五体以上のゴブリンが新たに厨房へと現れる。

 レイラが瞬時に腰に提げた手斧に手を伸ばし、ダルトンを庇うように前へ出るが、構えるよりも早くダルトンに服の襟首を掴まれる。


「逃げろレイラ!! 生きてバルセットに向かえ!!」

「お父さん、何を――――」


 言うが早いか、ダルトンは鎧戸に向かってレイラを投げ飛ばす。

 咄嗟に頭を庇い、レイラが背中に魔力を待たすのとほぼ同時に鎧戸を豪快な音と共に突き破り、地面に身体を打ち付ける。


『行かせるか蛮族共!! 俺を簡単に殺せると思うなよ!!!』


 転がる勢いを使って即座に起き上がると、レイラの耳にダルトンの叫びと激しい剣戟の音が届く。そして僅かに遅れ、鎧戸や勝手口の中から凄まじい勢いで炎が噴き出した。

 それでもなお続く剣戟の音に後ろ髪引かれる思いを振り切り、レイラは走り出す。

 そのレイラの視界には方々で火の手が上がり、無惨に打ち捨てられた死体が転がる変わり果てた開拓村の姿だった。


「酷いわね……」


 周囲からは蛮族の罵声と聞き覚えのある村人たちの悲鳴が絶え間なく木霊している。

 その数と出所は村の全域に及んでおり、多勢に無勢であるのは明らか。例え上手くやってもレイラ一人では数に押しつぶされるのは火を見るより明らかだった。


 隣家の陰に差し掛かった直後、レイラが瞬時に足を止めると物陰の先からゴブリンが姿を見せる。

 そこへレイラは手斧を頸椎に向かって振り下ろし、その後ろに続いていた三体のゴブリンに躍りかかる。

 驚きに固まるゴブリンの頭部をたたき割り、突き出された剣を躱し、がら空きになった二体目の首筋を切り裂き、振り下ろされた戦斧を受け止め、腰元のナイフを相手の首筋に突き立てる。

 苦しみに悶える三体目のゴブリンからナイフを引き抜いたレイラの足元に僅かな影が差す。

 すぐさま手斧を振り被りながら身を翻し、振り向きざまに叩き付けようとしたレイラは迫ってきていた見知った姿に身を固くする。


「ッ?!」


 音もなく接近してきたのはラッドだった。

 レイラが怪訝な表情を浮かべる間もなく、走り寄ってきていたラッドは何を思ったのか、まるで盾になるかのようにレイラを自身の陰に入るように体を広げる。

 直後、ドスッと何かが突き刺さる音が三連続でラッドの背から鳴った。


「ガハッ!?」


 僅かに間をおいて血を吐き出したラッドに訳を理解したレイラは、即座に周囲を見渡して屋根の上で弓を構えた三体のゴブリンを見つけ出す。

 彼我の距離を見取ったレイラは左に持ったナイフを一番遠くにいるゴブリンへ投げつけ、空いた手でラッドを引き付ける。

 更に抱きしめるようにラッドを自分に引き付け、後ろに飛び下がりながら放たれていた二の矢を難なく切り払う。

 それと同時にラッドと手斧を手放し、傍に転がっているゴブリンの死体から二本の短剣を抜き取ったレイラは三の矢が継がれるよりも早く、残るゴブリン達に投げつける。

 突き刺さるのを見届けるでもなく、倒れ伏しているラッドの服を掴んで物陰の奥に引きずり込む。

 透かさず周囲にゴブリンの射手がいないことを確認しラッドの傷を確かめるが、一本は右の肺を貫通し、残る二本も主要臓器に突き刺さっているのか、まだ矢が刺さって間もないというのに夥しい量の血が流れ出ていた。


「ラッド……」

「お前が…無事、で、良かっ…た………」


 明らかに致命傷だというのにラッドは柔らかな笑みを浮かべ、震える手で処置をしようとしているレイラの手を握る。

 そして変わらぬ表情のままゆっくりと首を横に振った。


「俺、は良い…それよ、り、逃げ……ろ……」

「でも、ラッドッ!」

「お前に、ずっと……謝りたかった、んだ……酷いこと、言ったり、して、ごめん…な……」


 言葉を一つ紡ぐたびに精気が失われ、ついには謝罪の言葉と共に微笑む瞳から命の灯が消えうせる。

 レイラの手を握っていた手の力が抜け落ち、ストンッと音を立てて地面に落ちた。ピクリともしなくなったラッドを前に、レイラはそっと手首と首筋に手を添える。

 脈拍もなく、何の反応もないことを確かめたレイラは手斧を手にしながらゆっくりと立ち上がったり、背後を見ずに投げつける。

 僅かな悲鳴と共に大きなものの倒れる音がするが、レイラは冷たい視線をラッドの形をした"物"へと向けたまま呟いた。


「最後まで馬鹿な子。あの程度の矢なんでどうとでも出来たのに、これじゃあ無駄死にね」


 ラッドへの思いを切って捨て、脳天に手斧が食い込んでいるゴブリンへと歩み寄る。

 そして、手斧へと手を掛けたレイラの動きが止まる。


「これは、なに……?」


 視界が歪んで前が見えなくなり、濡れた何かが両頬を伝い滴り落ちる。

 頬を伝う雫に触れたレイラの指先にあったのは水。





 否。






 それはレイラが前世を通して一度として流したことのない"涙"という未知ものだった。

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