10 その者、蛮族につき――

 

 ダルトンと昨夜レイラに魔導銃を見せてくれた冒険者の男がなにやら深刻そうな表情を浮かべている姿を見たレイラは、不安げな表情を浮かべて三人の元に歩み寄る。


「お父さん、警鐘も鳴ってるし何かあったの? 」


 よくよく見るとダルトンは普段身に着けることのない皮鎧を着込み、腰には使い古された馴染みの剣が下げられている。

 レイラが声を掛けると三人は驚いたように振り返るが、その内ダルトンは覚悟を決めたように不安げな表情を真剣なものに切り替える。

 そして三人は顔を見合わせ頷き合うと、ダルトンがレイラの肩に手を置き真剣な眼差しを向ける。


「よく聞けレイラ。今、蛮族ベイベロンの一団が深淵アビスを超えてこの村に向かってきているらしい。お父さんはこれから冒険者や自警団と一緒に迎え討ちに行く。そこそこ数はいたらしいが、門も閉めるし、今日は運よく冒険者が多くいるからたぶん大丈夫だ。ただ壁の外の人たちも全員壁の中に避難してくるから悪さをする奴がいるかもしれない。だから俺がいない間、お母さんのこと頼んだぞ。なにかあったらディットの所を頼るんだぞ」


 そう言ったダルトンはミリスと抱き合い、二三言葉を交わすと冒険者と共に酒場を出て行ってしまう。

 不安げな表情を浮かべながらダルトンの背を見送るミリスの傍ら、レイラは聞きなれない言葉に思案にふける。




 ――――蛮族ベイベロン




 開拓村の北に広がる大森林、その最奥にある深淵アビスを超えた先の大地に住む数多の種族達の総称。

 魔獣と違って言葉を解して文明を築くが、人種とは異なる異形の神を奉じ、また人を食料とする食人種族だとも聞いたことがあった。

 しかしレイラは噂程度にその存在を聞いたことはあったが、実物を目にしたことは今まで一度としてなかった。

 蛮族たちもレイラが自我を手に入れてから一度として北の森を超えてくることがなかったからだ。


 更に酔客たちの話を聞きかじる限り、蛮族は文明を築いているもののその程度はその名と違わぬ原始人レベルの生活だという。

 その為レイラはその存在に興味を見出すことができず、言語の習得を優先して知ろうとすらしなかった。


「ねぇ、お母さん。蛮族ってお父さんが必要なぐらい強いの?」

「え?え、えぇ。私も実際に見たことはないけど、武器も使うし人よりも遥かに強い種族もいるらしいわ……」


 傍らでダルトンの背が見えなくなっても立ち尽くしていたミリスに話しかけると、ハッとしたようにレイラに向き直ってぎこちない笑みを浮かべる。

 ミリス曰く、蛮族と一括りにされているものの、その種は様々なものがあるという。

遊鬼ゴブリン』や『戦鬼オーガ』、『吸血鬼バンパイア』と前世でも聞いたことがあるような存在の他、『冥府の翁』と恐れられる不死の王ノーライフキングも蛮族とされているという。

 その強さも言ってしまえばピンからキリであり、最弱とされているボガードは人の姿に化けられる代わりに人と差ほど違いはないという。

 対して吸血鬼はたった一人で千の軍団を相手取り、冥府の翁はたった一人で一国を滅ぼしたという。


「でも強い蛮族はそうそう動くことはないっていうし、強い蛮族は基本群れて行動することはないらしいから、きっとお父さんも無事に帰ってくるわ」


 まるで自分に言い聞かせているように語るミリスはレイラと話しているうちに平静を取り戻したのか、レイラの背中を押して家事を手伝うように促し、普段と変わらない行動に戻ろうとする。

 レイラも彼女に倣って家事を手伝い始めるが、言いようのない胸騒ぎにレイラは人知れず歪な笑みを浮かべた。




 しかしレイラの胸騒ぎを否定するかのように、太陽が頂上付近へと近づいても何事もなく平素と変わらない時間が過ぎていた。


 だがダルトンは未だに帰ってこなかった。


 昼食を食べ終え、家事の大半を終わらせてしまったレイラが自分の部屋でのんびりと過ごしながら残念がっていると、微かにだが嗅ぎなれた――――されど心から渇望していた匂いを感じ取る。


 それは血の匂い。

 しかも人に近しい存在のもの。


 腰かけていた椅子を蹴り飛ばし、鎧戸を開け放って窓の外に顔をのぞかせる。外には平素と変わらない光景が広がっていた。

 だが血の匂いは確かに漂っており、僅かに刺々しい張り詰めた気配も感じ取れる。

 レイラは抑えきれない愉悦の衝動に駆られ、窓のふちに足を掛けた時だった。


「きゃぁぁぁああああああああああああああッ!!」


 部屋の階下、酒場の一階から絹を引き裂いたようなミリスの悲鳴がレイラの部屋まで響き渡る。

 とっさに振り返り、一瞬で全身に魔力を張り巡らせたレイラは瞬く間に部屋を抜け、階段を飛び降り、フロアへと躍り出たレイラは階下の惨状に目を剥いた。




 子供ほどの背丈。

 浅黒い緑色の肌。

 人よりも遥かに大きな瞳。

 口内に収まりきらない鋭い牙。




 そんな異形の存在――――遨鬼と呼ばれる蛮族が、一見して致死量だと分かる量の血を流して倒れ伏すミリスを嬲りものにしている光景が広がっていた。


 予想外の光景に僅かに硬直したレイラ。


 だがつぶさにフロア全体を視界に収めたレイラは三体もの遨鬼が店内を荒らし、食料や酒樽を集めながら思い思いにたむろしているのを認めると、即座に身を翻して階段を駆け上がる。


『yiu jt aq turswyiwozs! nurseens!!』


 背後から聞こえる蛮族の声を無視して二階へと戻ったレイラは自身の部屋に飛び込み、扉を閉めながら使い慣れた手斧を手にしてレイラはあの遨鬼たちをどう倒すべきかを考える。

 だがその思考を遮るように、バタバタと世話しない足音が既に部屋の近くまで迫ってきていた。

 舌打ちを零したレイラが窓の鎧戸を蹴破るのに僅かに遅れ、遨鬼たちが扉を突き破って雪崩れ込んでくる。


『tiyiu!! yiu entaqqene!!』


 一体の遨鬼が壊された鎧戸を指さし、覗き込むようにして外を見る。

 他の遨鬼たちも部屋へと雪崩込み、ベッドをひっくり返し、姿見を引き倒してレイラが隠れていないか荒らしまわる。

 その姿を部屋の隅――――正確に記すならば天井と壁の境界に腕力だけで張り付いていたレイラは、一体の遨鬼が自分の足元近くに不用意に近づいてきたのを見計らって飛び降りる。

 そして飛び降りざまに手斧へ魔力を滾らせ、体を捩じるように勢いよく振り抜いた。

 薄紫色の血を空に舞わせながら半分だけ残された首を返す刀で斬り飛ばし、崩れ落ちる胴体を見て遨鬼は殺せる相手だと認識するレイラ。

 首から上を失った遨鬼が倒れ伏すのを最後まで見届けることなく身を翻し、レイラは残るどれから殺すべきかを考える。


『ienz,xiaqu iaqqe――』


 そしてベッドをひっくり返していた遨鬼へと狙いを定め、滾らせた魔力をそのままに一息で距離を詰めて振りかぶる。

 何かを呟きながら振り向こうとしていた遨鬼が驚愕に目を剥く姿を見て、レイラはその表情の変化に仄暗い喜びが心から湧き上がるのを感じ取った。

 だがその喜びを感じ取る間もなく、垢に塗れた細首へと斬線を走らせる。

 顔面に振り掛かる返り血を浴びても怯むことなく、首から吹き出る血を抑えようとしている遨鬼の胸倉を掴み、片腕で盾にするように持ち上げる。


『taqo ozg cyiudi!!』


 その直後、盾にした遨鬼の脳天にレイラの物とは別の刃が突き刺さる。

 頭蓋に深々と刃が嵌った遨鬼を横に投げ捨てると、レイラは死体と共に刃を失い呆然としている遨鬼の右腕を切り落とす。

 返す刀で左の脇の下に手斧を滑り込ませ、振り上げるようにして左腕を肩口から刎ね飛ばす。


『GUGYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA?!!!』

「あらあら、そんな叫び声を上げたら残り僅かな命の灯も消えちゃうわよ? でも蛮族って聞いて魔獣の延長戦に居るようなのを想像してたのだけど、こんなに感情豊かなら人間なんかより蛮族あなたたちを獲物にした方が都合が良さそう。それにしても――」


 痛みに跪く遨鬼へと歩み寄り、レイラは手斧を手放しながら顔面を両手で優しく包み込む。

 そして慈悲に満ちた優しい手つきに動揺する遨鬼の眼前で、少女は幼さに不釣り合いなほど恍惚とした、それでいて狂気に満ちた歪な笑みを浮かべ、人の物よりも大きな瞳を覗き込む。


「――――アハハハはハハッは!!!!いわぁ!! 最高よ!! その絶望!! その苦痛!! その悲嘆!! その生への執着ッッ!!その瞳に映る命の灯火が揺らめくそのサマ!!!あぁ、最高にたぎる、滾るわぁ。滾り過ぎて濡れてしまいそう。この瞬間が永遠に続けばいいと思ってしまうわぁ」


 レイラはさらりと遨鬼の頬を一撫ですると、その頭部を一回転させる。

 ゴキりと音を立て、手に残る確かに骨の折れる感触を堪能していたレイラの表情に影が指す。


「でも残念ね。もう少し愉しみたかったのだけど、そんな時間はなさそう……」


 頬についていた薄紫色の血を拭い、視線を鎧戸の外へと向ける。

 外からはさっきまでは無かった無数の悲鳴と立ち上る黒煙、そして夥しい血の臭いが部屋の中にまで流れ込んでいた。

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