9 その音、警鐘につき――
鉄拳でもって再び仕事へと駆り出されたレイラは、再び目が回る忙しさの渦に飲み込まれていた。
机に突っ伏して酔い潰れていた酔客を叩き出し、家族総出で後片付けに取り掛かり、店仕舞いしたのは日が完全に沈んでから随分と経ってからの事だった。
「レイラ、ちょっといいか?」
高価な蝋燭の灯りが消され、それぞれの手には安価な獣油で作られた灯明を持って各自の寝室に分かれようかと言うときに、ダルトンに呼び止められた。
足を止めたレイラが振り返ると、頼りない灯明に照らされたダルトンは様々な感情が入り混じった複雑な表情を浮かべていた。
その背後で似たような表情をしたミリスがダルトンの陰に隠れながら様子を伺っていた。
「……レイラは街で暮らしたいか?」
熱心に冒険者の話を聞いていた姿を見たせいなのか、言い淀みながらもそんな事を聞いてきたダルトンにレイラは首を傾げる。
片田舎の開拓村ではなく、人々が行き交う大都市の生活に興味があると判断したのだろう。
ただ病床から復帰し、仕事を手伝うようになってからは仕事の合間を縫って街からやってきた客達に話しを聞きに行っていたのだから、今更になってそんな事を聞いてくるダルトンの思考を理解できなかった。
それでもレイラは少し考える素振りを見せて答えを口にした。
「確かに街での暮らしは憧れるかなぁ。だって街なら魔道具が一杯あるみたいだし、そこでなら魔法が使えない私でも生活しやすいとは思うんだ」
「……そうか。やっぱりお前もそう思うか」
「でもね、ここでの生活も私は好きよ?お父さんとお母さんがいて、ディットのおじさんやラッドもいるし、ちょっと不便だけど私は好きだな」
レイラがそう言うとダルトンとミリスは揃って何処かホッとしたような表情を浮かべながら顔を見合わせ、レイラに向き直る。
そして今度はレイラのほうが不安げな表情を浮かべて俯いた。
「……お父さん、お母さんも私がいるせいで大変じゃない?」
レイラが周囲から疎まれているのと同時に、フォレット家は村の人々から嫌がらせも受けるようになっていた。
幸いダルトンは開拓村の初期から参加する古株の一人であり、非常時には都合よく頼りにされる顔役なのもあって、融通される食料や薪、共益の再分配分が多少減らされる程度で済んでいる。
ミリスが営む酒場が村にある数少ない娯楽の提供場所でもあることもあってか、隠れて支援してくれる者もおり、生活が立ち行かなくなるほど酷いものではない。
だがそれでも、レイラに見せないようにしているだけできっと日々の生活は厳しいものだろう。
この開拓村の村長が嫌がらせの筆頭になっているのも、状況を打開できない要因だった。
「なにを気にしてるのかしら、この娘ったら……」
「確かに最近はわんぱくな娘に育ったせいで大変だが、それがどうかしたって言うんだ?」
一瞬だけ悲痛そうな顔を浮かべるものの、瞬時に二人は何事もなかったかのように惚けた表情を浮かべた。
その表情と言葉から、レイラは追及しても二人が意見を変えることはないと判断したのかレイラも惚けたような表情を浮かべ返す。
「変なこと聞いてごめんね。お休みなさい。お父さん、お母さん」
「俺たちも引き止めて悪かったな。おやすみ、レイラ」
ニコリと笑って両親と分かれたレイラは一人になると、大きな溜め息とともに顔から表情が抜け落ちる。
乱雑に衣服を脱ぎ捨て、灯明の火を消したレイラは下着姿のままベッドに腰掛けた。
「しかし街での生活、ね。確かにそっちの方が〝色々〟と都合が良いのでしょうけど、ヒモ付きで行くのは面倒なのよね。どうにかしてあの二人を自然に〝排除〟するか、何らかの理由を付けて一人で行くか。とはいえ、こんな閉鎖的な所で二人を殺したらその後が面倒でしょうし……まぁ、成人して独り立ちって言う形で街に行くのが自然かしら」
思考をまとめるように独り言を呟きながらレイラはベッドの上で足を伸ばし、ゆっくりと時間をかけたストレッチを始める。
レイラとして目覚めてからの日課として行ってきた成果か、今では脚はほぼ一八〇度開くようになり、体を倒せば顎が膝に付くようにもなっていた。
身体の随所を解すのを意識しながら丹念に柔軟し続けるレイラの呟きは止まらない。
「しかし、問題は魔道具――――正確には魔道具を作れる技術の方ね。隊商の護衛は持っていなかったし、それほど普及していないのかしら? でも他の冒険者たちの口振りから考えるとそうは思えないのよね……」
僅かに地球の銃とは形状は異なるものの、ひと目で銃であると分かる魔道具。
その他にも夜を一日中照らす物や、水を湧かせ汚れを浄化する物など、種類は多岐にわたり、開拓村から一番近い大都市では当たり前のように使われていると、他に来ていた冒険者たちから聞き出すことができた。
それから魔道具とは違い、魔具と言われる物もあるらしいことも分かった。
「街での様子を聞く限り、魔道具のオリジナルが発掘される遺跡の文明は明らかに前世の日本と対して変わりはなさそうなのよね。よくありがちな、異世界だと思ったら一度滅んだ地球だった、という小説のパターンなのかしら? といっても遺跡の遺物も魔力を必要とするのだし、その線はなさそうね。しかし冒険者もそんなに学がなくてあんまり聞き出せなかったのよね」
レイラは大きなため息を吐き出し、その表情は明らかに失望の色が色濃く出ていた。
冒険者たちから様々な話を引き出していたレイラだったが、残念なことに酒場にやってきた冒険者たちは一度も遺跡と呼ばれる旧時代の施設に入ったことはないという。
更に情報を引き出そうと他の冒険者との接触を試みたが、ダルトンの険しい視線とそもそも冒険者たちの学が無かったため、一般人にとって便利な道具が溢れている程度しか知ることができなかった。
レイラの疑問を解消できるほどのものは皆無だった。
「まぁ、嘆いたところで新たな知識が湧き出て来るわけでもないし、これ以上情報を持っていない私が想像をしても仮説と予想でしか無いものね。文字ももうほぼ全て習得したし、明日にでも隊商の商人にその辺の話を聞くしか無いわね」
この開拓村において識字率はそれほど高くはない。というよりも文字を読み書きできる人間は両の手で数えられるほどしか存在しない。
レイラの両親は珍しいことに二人共文字を書くことはできるが、どちらも簡素な手紙を書ける程度の教養しか身に着けておらず、商用や少し複雑な学術的な内容になるとてんで宛にならなかった。
その点、街からやってきた商人は規模の大きな商会に属しているだけあって、レイラが知識人並の教養を身につけるのに十二分に役立ってくれた。
行商人は月に一、二度しかやってこないため四年という歳月を文字の読み書きの習得だけに費やしたが、その選択にレイラは後悔していなかった。
「聞き出すのは魔道具や魔具、それに関わっているだろう協会について、時間に余裕があればこの世界の歴史についてに話を聞き出すのがいいのかしら? それとも街での生活から話を膨らませたほうが多くの情報を引き出せるかもしれないわね……」
柔軟も終わり、レイラは最後に月明かりを頼りに手斧とナイフの手入れに取り掛かる。
細部に残っている血糊を細く削った木の枝でこすり取り、柄や刃に歪みや罅が無いかを入念に確かめる。
「……それにしてもこの世界にはわからない事がまだまだあるわね。いつか〝狩り〟をするときに邪魔にならなければいいのだけれど」
綺麗に磨き上げられた手斧とナイフを眺め、いつかこの刃がエモノの血を吸う瞬間を想像して恍惚とした笑みを浮かべ、僅かに思案げな表情を浮かべる。
しかし今はまだ行動に移るには早いと意識を切り替え、ナイフや手斧をしまったレイラはベッドの中に潜り込むのだった。
そして翌朝、レイラは普段は耳にしない騒音で目を覚ます。
けたたましく鳴らされる鐘の音。
鎧戸の隙間から差し込む朝日の明るさから推察して、普段の目覚めよりも一時間ほど早い時間帯ということを把握したレイラは不機嫌そうな表情を隠そうともせずに飛び上がる。
脱ぎ捨てた衣服を隅に蹴飛ばしながら新しい服を身に着け、レイラはナイフを腰に隠し込んでから階段を駆け降りていく。
ダルトンと聞き慣れない男の話し声が聞こえたレイラが酒場のフロアを覗き込むと、両親と昨夜レイラに魔導銃を見せてくれた冒険者の男がなにやら深刻そうな表情を浮かべて話し込んでいた。
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