5 その獣、魔獣につき――

 

 勢い良く走り出したレイラだったが、目的地は決まっていない。

 強いて言えば風下にある位置から狩りの獲物が居そうな場所を目指していただけである。


 そのため宛度なく進んでいたが、途中で真新しい獣道を見つけたレイラが道に沿うように進路を変え、程なく道からやや離れた場所に額から角を生やした兎を見つける。


 距離にして十メートルぐらいだろうか。


 レイラは静かに脚を止めるとズタ袋を置き、中から石と中央が幅広くなっている麻紐を取り出した。


 レイラは広くなった部分で石を包むように麻紐を二つに折り、一端は手に巻き付け、もう一方の端を握り締めて回し始める。

 手慣れた様子でクルクルと石を回しながら、麻紐と腕へ重点的に魔力を満たしていく。

 徐々に回転数が増し、気付けば凄まじい風切り音を伴って麻紐が回っていく。

 尋常ではない回転数と音にも構わず、レイラはジッと兎に狙いを定める。


 無防備に動く兎とレイラの間に遮る物が無くなった瞬間、腕をしならせながら握り締めていた麻紐の端を離す。

 すると石が弾丸もかくやと言わんばかりの豪速で放たれ、僅かに弧を描いて無警戒だった兎の側頭部に直撃する。

 遠目からでも即死を疑わないほど吹き飛ぶ兎を見ながら、レイラは兎へと駆け寄った。


「昔取った杵柄きねづかとは言うけど、まさか前世で気まぐれに使い方を覚えた物が役立つとは思わなかったわ」


 レイラが使っていたのは地球では投石器スリングと呼ばれていたもの。

 適度な長さの紐と石さえあれば作れ、前世では紐ならば持っていても不審がられない事から重宝していた。

 また弓や銃と比べ、求められる技量が高いことから前世では好んで使っていたのだ。

 とはいえ前世では投石器を使う機会は少なく、大型の獣相手では有効打になりにくかったためそれほど出番はなかったのだが、それがまさか死んでから役に立つ事になると誰が思うだろうか。


 一先ず頭が陥没してピクリとも動かない兎をナイフで解体したレイラは周囲を見渡す。

 離れていたため聞こえなかったが、かなり大きな音がしたのだろう。

 周りに小動物どころか、小鳥の気配一つしない。


 家には貯蔵してある肉はいくらかあったが、それもやってくる隊商に出せば底を付くかもしれない。

 まだまだ時間に余裕はあるのだから、可能な限り獲物を探した方が良いだろう。

 それに家業である酒場の手伝い以外にも、ある程度はレイラの欲望を満たすことができるのだから、狩りを続ける理由としてはそれで十分だった。


「それに今日はツイてそうだし、何か素敵な事が起こるかもしれないわね」


 簡単な処理を終えたレイラは石を詰めたズタ袋とは別の袋に兎の亡骸を放り込みながら、背後を振り返る。

 視線の先に何かが居る気配はない。

 だが遠い位置にある草が不自然に揺ているのを見つけたレイラは口角を吊り上げた。




 不自然に揺れる草見つけてから約一時間。

 レイラは何事もなく兎を二羽、雉のような姿をした赤色の鳥を三羽を仕留めていた。

 順調に狩りを進められたレイラは、本日三羽目となる兎の処理を終えると不意に背後へ目を向ける。


「それで、お仲間は全員揃った?」


 視線の先は木陰で薄暗くなった藪の奥。

 一人でこの場へとやってきたのだから、誰もいないはずの場所。

 しかしレイラの声に呼応するかのように、複数の影が藪を飛び越えてレイラの前に着地する。

 姿を表したのは真紅の瞳を二対四つを備えた異形の狼――――家畜を喰らい、人をも喰らう魔獣と呼ばれ恐れられている存在であった。

 ただ魔獣を前に怯えるでも、パニックになるでもなく、レイラは眼前にいる魔獣たちを見て首を傾げる。


 何故なら彼らがいるべき場所ではないからだった。


 レイラが狩りをしていた森からかなり離れた〝深淵アビス〟と呼ばれる空気に濃密な魔力が漂い、動植物が強く大きく成長している地域にしか生息していいない魔獣。


 それが彼らだ。


 縄張りが変わったのか、それとも住処を追い出されるような事が起きたのか。

 それとも何かしらの異変が起きているのかもしれない。


 レイラの思考を他所に魔獣たちは唾液を滴らせ、小さな唸り声を上げながらレイラを品定めするように五匹の魔獣が周囲を囲む。


 どこに噛み付き、どう喰ってやろうか。


 妖しく光る二対の瞳から殺意と食欲がヒシヒシと伝わり、レイラは疑問を覚えたことなど忘れ、知らぬ間に歪な笑みを浮かべていた。


「獲物を前に舌なめずりとは、良い御身分ね。そんなに余裕があるなら、私から行かせてもらおうかしら」


 ぐるぐると周囲を回りながら様子見に徹している狼型の魔獣を見て、レイラは腰に提げていた手斧に手を回す。

 それでも反応しない狼達を見てからゆったりとした一歩を踏み出し、二歩目が地につく前に瞬時に魔力を全身に纏うと、そこに居たはずのレイラの姿が掻き消える。



 ――――ギャウン?!――――



 レイラの正面にいた魔獣が悲鳴と共に首筋から血を吹き出し、後方へと弾き飛ばされる。

 そして吹き飛んだ魔獣が居た場所に消えたレイラの姿があり、手にする手斧の刃からは血が滴り落ちていた。

 ただ吹き飛ばされた魔獣は首から血が流れてこそいるが、その量は微々たるもので、致命傷には至っていないのは明らかだった。

 その証拠にしっかりとした動作で魔獣は直ぐに立ち上がる。


「身体賦活の方は上々。でも、やっぱり獣相手だと"ただの"手斧で仕留めるのは難しいわね」


 レイラは魔獣を一瞥しつつ、魔力を全身に行き渡らせることで飛躍的に上昇した身体能力に満足げに頷くが、手にする手斧に視線を落として残念そうに肩を竦める。

 一方魔獣たちは仲間を攻撃され、その挙動からレイラの脅威度を改めていた。


 狼たちは即座に後脚へ力を込め、示し合わせたように一斉にレイラへと飛び掛かる。

 もっとも近い場所に居た魔獣がレイラの背後から首筋に噛み付こうとするが、振り返りざまに放たれたレイラの回し蹴りが先に捉える。


 レイラは背後の魔獣を蹴り飛ばした勢いのまま体を捻り、空いた手でナイフを引き抜き、踊るように二つの刃を振るう。

 足からは物が砕ける独特な感触、そして足に遅れて持ち手に伝わる二つの物を浅く斬る微かな手応え。

 レイラは自分の行動の結果を確かめもせず、迫ってくる気配から逃げるように飛び退る。

 二歩、三歩と軽快に飛び退いたレイラは、自分が立っていた場所へと目を向ける。そこにはしっかりと着地した魔獣が二匹、体から僅かに血を滴らせながら起き上がる魔獣が二匹。

 そして離れた場所でピクリともしない魔獣が一匹確認できた。


「さて、残るは四匹。お次は武器強化を試してみましょうか」


 不用意に近づけば手酷い反撃に合うと悟った魔獣たちは、再びレイラを中心に円を描いて狙いを定め始める。

 仲間の一匹が事切れているのに逃げ出さないのは、脅威となり得る手立てが蹴りだけだとでも思っているのだろう。

 そう判断したレイラは魔獣たちの挙動に注視しつつ、全身を覆うように満たしていた魔力を主要な筋肉に流す程度に減らし、減らした分の魔力を手斧とナイフへ流していく。


 レイラが行っているのは武器強化と呼ばれる魔法の一種。

 身に宿る魔力を得物に流す事で、その耐久力や切れ味を向上させる魔法であり、レイラが使う投石器が異様な速度となっていたのもこの魔法のお陰であった。


「武器強化の調子も上々。さてさて、それじゃあ楽しい愉しい殺し合いを続けましょう」


 取っ手からじんわりと暖かみを感じるまで魔力を流し、十分な魔力が手斧に籠もったのを確認したレイラが動き出す。


 狙うは未だ無傷の魔獣。


 全身に魔力を満たしていた時と変わらない速度で迫り、目にも止まらぬ速度で手斧を振るう。

 レイラの予想通り、武器への警戒が薄かったのだろう。

 一拍遅れて魔獣は避けるが、その認識の甘さの代償として魔獣の首が宙を舞う。

 悲鳴を上げる間もなく斬り飛ばされた首が転がっていくさまに、他の魔獣たちが僅かな動揺を見せる。

 レイラは頬に飛び散った返り血を拭き取り、ニンマりと浮かぶ狂喜を深めながら振り返る。


 レイラは口元を吊り上げたまま、血の滴る手斧を手にした腕をだらりとぶら下げながら魔獣たちに向かって一歩踏み出した。

 すると魔獣たちは逆に一歩後退る。


 現れた時のような殺意は消え失せ、紅く光る瞳は恐怖と怯えに彩られていた。

 地球の動物達よりも感情豊かな魔獣たちにゾクゾクと背筋を走る愉悦に身体を震わせ、甘美な快感を味わいながら口角をより一層吊り上げるレイラ。


「そんなに怯えた目を向けないでくれないかしら? まるで私が悪者みたいじゃない。最初に襲おうとしたのは貴方たちでしょうに。それにそんな目を向けられると、私――――」


 レイラはそこで言葉を切り、身体賦活の密度を増して脚に力を込める。

 魔獣たちもレイラの動く気配を察知し、即座に動けるように身構える。


「――――もっと殺したくなるじゃない」


 魔獣たちの耳に届いた声は彼等の真横からだった。

 警戒虚しく挙動を見逃してしまった魔獣たちは瞬時に飛び退くが、接近してきたレイラに近かった一匹は首の半分程を切り裂かれ、顎下から脳天にかけてナイフが突き刺さった姿で地面を転がっていく。


 残された仲間も殺されたと見るや、最後の一匹は即座に身を翻して逃走を図る。

 一息で藪を飛び越え、乱立する木々を縫うように素早く走り続ける。

 森の中は魔獣たちの縄張りであり、息をするように木々を避けながら進むことなど造作もない。そして逃げに徹していれば二足歩行の相手に追いつかれるはずがない。

 魔獣のその判断は間違っていなかっただろう。


 相手が普通の人間であれば。


 しかし不運な事に魔獣たちが襲ってしまったのは、殺す事に執念と人生を捧げてきた人物。逃げ出したからと言って諦め、見逃すような相手ではなかった。

 魔獣が背後に迫る気配を感じて見やれば、手斧を振り被ったレイラが真後ろにいた。


 避ける間もなく走る斬線。

 痛みを理解する前に宙を舞う首。


 恍惚とした表情を浮かべるレイラの表情を中空で見つめながら、首だけになった魔獣の意識は闇に包まれていく。


「やっぱり獣は獣ね。簡単に殺せてつまらないわ。もう少し殺しがいのある相手はいないのかしら」


 一方、魔獣の首を刎ね飛ばしたレイラは数瞬前に恍惚とした表情を浮かべていたのがまるで嘘のように、無表情で感情を思わせない無機質な瞳に戻っていた。

 そして遊ぶのにも飽きた玩具を見つめるような、冷たい視線を生首へと向けるのだった。


「毛皮とかも売りたいけど、流石にこの歳で魔獣を狩れるのは悪目立ちするから不味いわよね。はぁ、もったいない」


 レイラはダルトンの姿を思い浮かべながら足元に転がる生首を蹴り飛ばし、心臓付近に脚を乗せるとそのまま体重を掛けて骨やらをまとめて踏む砕く。

 靴が汚れるのも厭わずガリガリと踏み躙っていると、周囲に生臭い鉄サビの臭いが立ち込め、靴底に小石ほどの硬い感触だけが伝わるようになる。

 足を上げてみれば、血肉や骨片に混じって指先大の黒い石のような物が転がっていた。

 摘み上げて木漏れ日に翳すと、それはうっすらと七色に光を反射する不思議な結晶だった。


「しかしこんな石ころがお金になるって言うんだから、この世界にはまだまだ分からない事が多いわよね」


 レイラが感慨深げに見つめる結晶は魔石と呼ばれ、魔獣の体内で生成される魔力が結晶化した代物。

 また、魔石は魔力で動く魔導具と呼ばれる道具類の動力源として使われているものであった。

 魔導具自体が希少であり、レイラが生まれ育った片田舎の開拓村では使い道はあまり多いとは言えない。


 だが、規模の大きな街になればそこそこの金額で買い取る仕組みがあるのだと、両親が経営する酒場を利用していた行商人が言っていた。


「さて、と。獲物の数も目標数には届いてるし、魔獣を殺せたから気晴らしもできた。時間も時間だし、もうそろそろ帰りましょうか」


 レイラは手にした結晶をポーチへと仕舞い、魔石を回収していない死体が転がっている場所に向かって歩き出す。

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