3 その男、優男につき――
唐突だが、一人の男の話をしよう。
その男は一般的な家庭に生まれ、小中高と優秀な成績で卒業し、名門大学に通ったあとは一流企業に就職。
社会に出ても優秀さは変わらず、大手企業の中でも若くして出世コースを駆け抜けるように登っていた。
絵に描いたような、優等生然とした人生を送っていた。
人物面においても非常にできた人物だった。
勤勉で真面目な性格ながら柔軟な思考を持ち、どんな事でもそつなくこなせる優秀さがあっても、それを鼻に掛けない謙虚な姿。
人当たりも良く、面倒見の良かった男は常に周囲から慕われ、年齢や性別問わず好かれる人柄。
恋人とは長続きしないものの、幅広い交友関係を持っていた男の人生は、他人からすればまさに順風満帆そのものであっただろう。
男自身、その意見に否は無い。
しかし男にとっての人生とは、飢えと渇きに満ちた灰色の世界だった。
どんなに優秀な成績を収めても。
誰もが羨む綺麗な彼女を持っても。
舌鼓を打つ絶品を食べようとも。
男は一度としてそれらに価値を見出せず、一度として心が満たされる事はなかった。
周囲が大変だと苦しむことを簡単に済ませてしまうが故に、達成感というものを得たことがなく。
努力の末に成し遂げる事を澄まし顔で成してしまうが故に、充実感というものを知ることがない。
男は天才と呼ばれる人種だったのだろう。
だがそれ故に何かをすればするほど、簡単にできてしまう事柄達に対して興味や関心は薄れ、男の人生は色彩を失っていった。
自分の中で育まれた〝価値観〟と周囲が普通や常識と宣う〝価値観〟は乖離していき、それが人に囲まれていながら孤独感となって男を蝕んでいた。
同じ歳で同じ場所にいるはずなのに、共感を得ることのできない日々。
達成感も充足感もなく、周囲に同調するだけの単調な毎日。
心を動かす出来事が何もない人生に諦観を覚えるには充分過ぎる平凡な日常。
元より物心ついた時から喜怒哀楽が存在せず、痛覚も鈍かった男にはそれでも問題なかった。
孤独も。
退屈も。
諦観も。
色彩を知らなければ、自身の見ている景色が灰色の世界だと気づきもしなかっただろう。
まさに生きる人形のようだった男だが、ある出来事を切っ掛けに単色の世界が一気に彩られた。
それは男がまだ少年と呼ばれる年代の頃。
車に轢かれ、死に体になった野良猫の息の根を興味本位で止めた時だった。
自分の手の中で必死に暴れながらも生気を失っていくさまに男は魅了され、得も言われぬ衝動が胸に渦巻いた。
それを敢えて言語化するなら、必死に抗おうとする瞳に映る自分には存在しない激しい感情の動きに対する〝羨望〟だった。
初めて感情というものに感心を得た男はその衝動の再現に取り憑かれ、命が眼前で失われる瞬間を見ることに生きる意義を見出し、自分から命を奪うようになったのだ。
それからの男の人生は、百八十度変わったと言っても過言ではないだろう。
死の間際まで生にしがみ付こうとする激しい感情の動きに憧憬を
――――男は理解した。自分は壊れているのだと。
瞳から精気が失せ、物体へと変わる瞬間に愉悦を覚え――――
――――男は識った。自分が〝普通〟ではない存在なのだと。
種々様々な感情のこもった断末魔に快感を感じ――――
――――男は納得した。自分が化け物なのだと。
初めて自らの手で命を摘み取ったとき、男は自分の立ち位置を知り、把握してもなお────否、分かったからこそ必死に普通になろうと努力していた過去の自分を鼻で笑った。
壊れたものと正常なものが同じであるはずがなく、普通と言う多数の輪の内と外にいるものでは、価値観を共有できるはずもない。
男は悟る。
あり方そのものが異なる獣が、人の輪の中で人として普通に生きていけるはずもなし。
いつか壊れた自分が求める行為が露見し、塀の中で何の充実感や快楽もない生活を過ごす事になるだろう、と。
だが初めて知った色彩を手放すつもりなどなく、端から諦めると言う選択肢など男には存在しなかった。
未来を恐れて今から再び灰色の日々に戻るぐらいであれば、今を楽しみ、捕まる前に自ら命を断てばいい。
男は開き直り、自分の欲を満たすためだけに動き出す。
ただ男は衝動のままに行動するほど愚かではなかった。
少しでも長く、一つでも多くの命を刈り取るため、男は〝普通〟と言う仮面を被り続けた。
そして男にはそれを被り続けるだけの知性と観察眼があった。
自分と周囲の間にある齟齬を認め、食い違う部分を認識し、理解出来ずとも演じる事はできた。
そうして男は自分の本性を巧妙に隠し、友人や恋人、両親にすら悟らせること無く大衆の中に身を潜めた。
表面上は変哲のない日常の裏で、男はひたすら罪のない命を狩り取り続ける。
しかし〝狩り〟をすればするほど、男の欲求は少しずつ大きくなっていく。
そして終いには感情の色の薄い動物相手では満足できなくなっていた。
故に男は予想外の動きで翻弄し、自分が持ちえなかった激しい感情の〝彩〟を見せてくれるであろう〝
だが、男が自分の夢を実現する時はついぞ来なかった。
計画を企て、道具を用意し、〝狩り〟の獲物として最高の相手を見つけ、さぁ実行に移ろうかと言う時だった。
ステージⅣの悪性腫瘍───所謂、末期がんに冒されていたのだ。
そして発覚してからわずか数ヶ月。
若くして大病を患ったせいか、男はあっという間に病床の住人となり、最早呼吸器なしには生きられず、満足に歩くことも叶わなくなった。
男は病床に伏す中、ただ思う。
自分がもう少し愚かだったら、躊躇わずに行動を起こせた。
自分にもう少し勇気があれば、計画を早く実行できた。
酷く未練を滲ませ、強く後悔の念を抱き続けた。
ただただ無念を抱くだけの無碍な日々を過ごし、知人達に看取られながら男の物語は幕を降ろした。
─────────はずだった。
男の魂は輪廻の環へと還り、長い時をさ迷い、そして転生の時を迎える。
ただし男の核となっていた魂は原形が分からなくなるほど砕かれ、一人の少女の魂を構成する欠片の一つに成り下がっていた。
そして時間と共に少女の魂に飲み込まれ、男という存在は真の意味で失われるはずだった。
だが本体たる少女の魂が完全に形成される前に、少女も死に至る病に冒される。
残酷な運命とも言うべき絶望の中、少女は長い眠りについてなお生きたいと強く望むが故に抗い続けた。
意志と本能のまま、少女は死を退けるために全ての源であり、力の根源たる魂に触れた。
触れてしまった。
少女は魂に触れ、そこに内包される力によって一命を取り留める。
同時に欠片となって奥底に沈んでいた男の自我を呼び起こしてしまったのだ。
千々に砕かれ、那由多の時を漂い、魂の欠片となってなお保たれ続けた強烈な自我を前に、十年と生きていない少女の自我が太刀打ちできるはずもなかった。
そして男は少女の自我を殺し、飲み込み、我がものとした。
そして男の魂は少女の魂を染め上げ、躯を支配し、少女の人生を奪い取った。
男の名は────
〝レイラ・フォレット〟という名の少女に代わり、人間を喰らう存在がいる危険な世界で新たな人生を歩み始めた。
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