2 その少女、村娘につき――
疎らに家が並び、小鳥が囀る長閑な農村と言った風景。
農作業にでも行くのか、道具を手にした人々がポツポツと姿を見せ始めた早朝。
時間の進みが遅く感じてしまうような平和な景色に、金属がぶつかり合う異音が響く。
音の出処は周囲の中でも比較的大きな建物、その裏手であった。
小さな家庭菜園と大量の洗濯物を干せる物干し場が設けられた裏庭の片隅で、少女と大人の男が対峙していた。
少女は十歳を過ぎたあたりだろうか。
肩口まで伸びた茶髪を頭で一つに結び、真紅と見紛う濃厚な琥珀色の瞳は真剣な眼差しで対峙する男を見つめていた。
子供らしい体型から徐々に大人へと変わりつつある少女だったが、女性らしい丸みを帯びた華奢な肩は乱れた呼吸に合わせて激しく上下している。
対するは髪の色こそ同じだが、理知的な顔立ちをした少女とは違い、野性味を帯びた精悍な顔立ちの壮年の男。
肩幅も広く、ガタイのいい男は息を乱すことなく、静かに少女を視界に収めている。
一見すれば何ともない日常の一コマで済ませれらそうな光景だが、それぞれの手に持つものはあまりにも物騒だった。
少女の靭やかな指は粗末な作りの手斧を握り、男は何度も研ぎに出されてやや薄くなっている剣を構えている。
少なくとも争いのあの字もないような、一軒家の裏庭で見かけるには不釣り合い極まるものである。しかし二人はそんな事など気にもとめず、静止画のようにじっと見つめ合う。
そうしてどれぐらいの時間が過ぎたのか。
呼吸が整い、近くの地面をつついていた小鳥が唐突に羽ばたいた瞬間に少女が動き出す。
残像を残さんばかりの加速でもって男に正面から近づき、迎撃で繰り出された突きを手斧の小さな刃で器用にいなす少女。
少女は火花が視界にちらつく中、更に一歩踏見込み、男が伸ばした腕を戻すのに合わせて飛びかかる――――と見せかけて、男の死角に入るように脇へと抜ける。
手斧と剣が擦れる不快な金属音が消えないうちに男の背後を取った少女は、振り向きながら飛び上がり、無防備な男の襟首目掛けて容赦なく手斧を振るう。
確実に首を捉える一撃。
回避不可能な一手を出した確信が、少女にはあった。
「――ッ!?」
しかし少女は明確な自信をいだきながら手斧が進む先を見つめ、僅かに目を見開いた。
不意を突き、死角からの即座の一撃を放ったにも関わらず、背を見せていた筈の男と目があったのだ。
油断も、驚きも、動揺すら感じさせない男の瞳を見た少女は戸惑いを露わにする。
そして瞬時に動きを読まれていたのだと悟った。
ただ悟ったからと言って、少女には打開する手立てなどなかったが。
瞬きをするよりも短い時間で敗北を確信した少女を裏付けるように、手斧と振り返った男の首の間に剣が差し込まれ、硬い感触を持って受け止められる。
更に男は差し込んだ剣で少女の体ごと手斧を押し返し、投げ飛ばすように振り払う。
宙にあった少女は踏ん張ることもできず、振り払われた勢いのまま弾き飛ばされる。
受け身も満足に取れずに地面を転がった少女は転がる勢いを殺すでもなく、逆に勢いを利用して即座に起き上がるが、既に眼前にまで男が迫っていた。
咄嗟に少女は男の追撃を防ごうとするが、斬り上げられた剣の力強さに負けて手斧が中を舞い、気が付けば首元には剣が添えられていた。
「……参りました」
地面に突き刺さる手斧を見て、茶髪の少女――レイラは項垂れながら負けを認めた。
男はレイラの降参に頷きを返し、首に添えていた剣を鞘へと戻してレイラと視線を合わせるように膝を折る。
「さっきの一撃は悪くなかった。ただ、防がれてからの動きがまずかったな。特に相手と体格差があるのに、真正面から防ごうとしたのは失敗だ。そういう時は最初みたいに攻撃をいなすか、反撃の機会が来るまで回避に専念したほうがいい」
「……分った」
俯いたまま、悔しさを滲ませながら返事をするレイラに父親であるダルトンは苦笑いを浮かべ、自分とそっくりな髪色を汚す土を払ってやる。
「でも、最初の頃に比べれば随分と動きが良くなったな。もう少ししたら、俺にも勝てるようになるさ。だからこの調子で頑張りなさい」
「……はい」
「そう落ち込むな。お父さんとお前とじゃ経験も体格も違うんだ。負けて当然とまでは言わないが、そうそう勝てるもんじゃないからな」
「……わかった」
落ち込んだ様子のレイラにどうしたものかと思いながら、ダルトンが土を払ったついでに額に掛かる髪を直すと、レイラの頬に擦り傷ができている事に気が付いた。
「頬の傷、治してやるから動くなよ。大地に宿りし恵みの精よ、彼の者の傷を癒やし給え〝
ダルトンが頬の傷に触れながら呟けば、傷口が翠色の淡い光と共に見る見る内に塞がっていく。愛娘の顔に傷跡が残っていない事を一頻り確認して、ダルトンは立ち上がる。
「よし! それじゃあ家に戻って、お母さんの朝ご飯を食べようか」
「……はぁい」
励ましの言葉も響かなかったようで、ダルトンは苦笑いを浮かべながらトボトボと手斧を回収しにいくレイラを見送る。
最近は体だけでなく、性格も大人びてきていた娘の子供らしい態度が愛らしく、気付けば苦笑いが微笑みへと変わっていた。
暖かみのある視線を向けられていると知ってか知らずか、弾かれた手斧を回収したレイラは裏庭から自身の家であり、開拓村唯一の酒場と住まいを兼ねている建物へと入る。
裏庭と繋がる勝手口を通ればそこは厨房となっていて、近隣の家々から運ばれてきた野菜や卵が並んでいた。
雑然と、けれどある一定の法則を持って物が置かれた厨房を見渡せば、広い厨房を忙しなく動く女性の背中が見える。
「……おはよう、母さん」
しょんぼりと言う擬音が似合いそうな声音でレイラが声を掛けると、厨房でせっせと動いていた女性――ミリスが振り返る。
一瞬だけ作業する手を止めてキョトンとレイラを見つめ返すが、服が盛大に土で汚れているのを見て直ぐに今日もレイラが負けたのだと察すると、微笑みを浮かべてレイラの頭を撫でる。
「今日もお父さんに負けちゃったのね。でもそんなに落ち込まないの。もう直ぐご飯が出来るから、お腹いっぱい食べて明日また挑戦しなさい。ささ、汚れた服を着替えてお母さんの手伝いをしてちょうだい」
「……はーい」
家の手伝いをしっかりしてくれるもののそれ以外は狩りに行ったり、ダルトンとの特訓ばかりで、浮ついた話一つない女の子らしくない自分の娘。
年頃の少女らしい話すら聞こえて来ない娘をなんとも言えない気分で自分の部屋へと送り出すミリス。
自分が娘と同じ年の頃は、何人かの男の子に告白されたりしていたのだが……
そう、若い頃の自分と似て整った顔をしている娘を残念なものを見るような呆れた視線を送る。
しかし直ぐに元気でいてくれるだけで十分だと思い直し、朝食作りを再開させるのだった。
一方ミリスに送り出されるまま自分に充てがわれている二階の一室に入り、レイラは静かに戸を閉める。
その直後、溜め息と共に落ち込んでいるのを隠そうともしていなかった丸まった背筋がすっと伸びる。
「子供の振りは慣れたけど、殺したくなる衝動を抑えて手加減するのは疲れるわね」
不貞腐れたような萎んだ表情から、能面のような感情を思わせない無表情へと変わり、子供じみた様子のない冷たい声が自室に木霊する。
レイラは鬱陶しげに縛った髪を解くが、サラサラと耳を擽る髪の感触に顔を顰める。
「言葉遣いや仕草も、それっぽくしていくうちに馴染んだけど根本的な所がまだ男のままなのかしらね。その内慣れると良いんだけど、今のままだと生理が来たときが怖いわね」
辟易とした様子で使っていた手斧を壁に立て掛け、汚れた服を乱雑に脱ぎ捨てるレイラ。
粗末な下着だけの姿になり、最近見つけた物置部屋の肥やしになっていた姿見の前に立つ。
「転生してから二年。あの時の貧相な身体からだいぶ成長したわね。背もこのまま伸びていってくれれば前の私と同じ身長になりそうなんだけど、だいぶ伸びなくなってきてるし、期待しないほうがよさそうね」
鏡に映る自分の背丈を確認したレイラは、自分の体型に目を向ける。
そこに映るのは細身の少女。
しかしその細さは病的なものではなく、引き絞られたアスリート体型――――あくまで子供体型にしてはと言う注釈は付くが――――と言えば良いのだろうか。
薄っすらと腹筋の存在が伺える身体には余分な物はなく、すらりと伸びる靭やかな四肢は引き締まりつつも、子供特有の丸みを帯びた健康的なもの。
これが二年前はガリガリに痩せ細り、死にかけていたと言っても誰も信じはしないだろう。
日々、バランスの取れた食事と適度な運動、十分な睡眠を取る事を心掛けてきた成果に満足げに頷いた。
『レイラー、ご飯できたわよー!! おりてらっしゃーい!!』
「はーい、今行くー」
レイラは無表情のまま子供らしい声を出し、もう一度鏡へと目を向ける。そしてニッコリと裏表を感じさせない自然な笑みを作ってみせた。
「さて、今日もつまらない一日を過ごしましょうか。
レイラは簡素なワンピースに袖を通しながら、自分の両親が待つ一階へと駆け下りていく。
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