一章 その村、開拓村につき――

1 その者、目覚めにつき――




 日が暮れてから随分と経った頃。


 連日の睡眠不足が祟ったのか、ミリスは気が付けば眠りに落ちていた。

 起き上がるのも億劫になるほどの酷い頭痛に目を覚ませば、夫の忠告を素直に聞いておけば良かったと後悔が過ぎる。

 だがこうなると分かっていても、ミリスはきっと同じように行動していただろう。








 九歳になったばかりの愛娘が、生死を分かつ病に冒されていたからだ。








 高熱によって意識を失い、一切目を覚まさない日々が続く。

 そしてどんな回復魔法を使っても、決して目覚めることのない深い眠り。

 娘の症状を見て、ミリスや彼女の夫であるダリムは即座に娘の病を理解した。

 何故ならその病の事は皆が知っている。子を持つ親なら誰もが恐れ、誰もが罹らないで欲しいと祈る病。



 病の名は〝平民殺し〟。



 特効薬さえ飲ませられれば直ぐにでも快復へ向かう程度の病だが、その特効薬は一般的な家庭では決して手の届かないほどに高価であり、〝平民殺し〟と言う名前もそこから来ていた。


 ミリスは高価であると分かっていても、娘が助かるならと馴染みの行商人に特効薬を求めた。が、行商人が告げた金額は逆立ちしたとて払えるものではなかった。


 また例え支払えるだけの蓄えがあったとしても、辺境の中でも更に外れとされる場所にあるこの開拓村では、薬が届く頃には娘は死んでいる。

 そう告げた行商人の言葉は、今でも鮮明に思い出せるほどミリスに絶望をもたらした。


 夫はもう既に娘の事を諦めていた。

 だが、ミリスは薄情とも言える決断を下した夫を責める気にはなれなかった。

 方々に頭を下げ、冒険者だった頃のかつての仲間を頼り、商人から聞き出した原材料を〝深淵アビス〟と呼ばれる未開の森に踏み込んでまで、素材を探しに出ているのを知っていたからだ。


 それでも、駄目だった。


〝平民殺し〟は決して六日目の朝を迎える事ができないと言われ、娘が意識を失って太陽が既に五回も地平の奥へと沈んでいった。


 今日が娘の最後の日となるのだろう。


 今にも涙が零れ落ちそうになるのを必死に堪え、ミリスはベッドに眠る娘を見る。

 弱々しいが、娘はまだ高熱でうなされていた。


 つまり、まだ生きている。


 うたた寝をしている間に娘の最期を見届けられなかったという、悔やんでも悔やみきれない大失態を犯さずに済んだことに安堵の息を吐くが、それも直ぐに失笑に変わる。


「……苦しんでる娘を見て安心するなんて、最低な母親ね」


 呟きながら娘の額に浮かぶ汗を拭き取り、再度娘の様子を見る。うたた寝する前よりも、娘の呼吸が随分と弱くなっていた。

 もう間もなく、娘は死んでしまうのだろう。

 ずっと看ていたからこそ分かってしまったミリスは、ふらつきながらも立ち上がる。

 今日も〝深淵アビス〟に踏み込み、傷だらけになって帰ってきた夫は夕食を食べてすぐ、気絶するように隣室のベッドに倒れ込んだ。

 意識を手放す直前、途切れ途切れになりながらも「せめて一緒に看取ってやろう」と言い残して。


 だから起こしに行かなければ。

 そう思えど、隣室に向かうミリスの足取りは非常に重かった。踏み出す一歩一歩が、娘の死を決定づけるような気がしてしまうのだ。

 それでも進み、やっとの思いでドアノブに手を掛けた時だった。


 カサリ、と背後から布が滑り落ちる音がした。


 娘がうなされた拍子にシーツが滑り落ちたのだろう。シーツを掛け直してから夫を起こしに行こう。

 そう思って振り返ったミリスは、己が目を疑った。



 薬師にはもう意識は戻らないと宣告されていた娘が、目を覚ましている。



 どんどんやつれていき、死を覚悟していた娘が起き上がっている。



 木窓から差し込む双子月の明かりに照らし出された娘を信じられない思いで見つめていたが、我に返ったミリスは隣室へと駆け出していた。

 娘が奇跡的に助かったにしろ、一時的に目覚めただけにしろ。

 夫にも娘の起き上がった姿を見て欲しかった。


 そうして廊下へと姿を消したミリスの姿を、無感情にじっと見つめている存在がいた。

 目覚めた喜びもなく、疲労の色もなく、感情の彩を見せない少女の瞳はミリスの姿が見えなくなるまで見送った。

 そしてミリスの歓喜を含んだ声が隣室から漏れ聞こえる中、少女は病的に細くなった自身の指に視線を落とす。








「さよならわたし。初めましてレイラちゃんわたし









 ミリスの娘────〝レイラ〟は思い通りに動かせる指を見ながら、カサつく唇で歪んだ笑みを浮かべるのだった。

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