その者、化けの皮につき――

星空カナタ

プロローグ

???

 

 夢か、うつつか。


 月明かりのように淡く冷たい輝きを放つ月陰花が、世界の果てまで続いているような幻想的な情景。

 小さな明かりの群れを作る花達の中心に、ただ一つだけ大きな岩がポツリと迫り出していた。



「なんでお月さまが一つしかないんだろう?」



 花以外に存在する唯一と言ってもいい岩の上。

 いつから居るのか、膝を抱えたレイラの姿がそこにあった。

 レイラは周囲に花しかない異常とも異様とも言える光景など気にも止めず、空に浮かぶ象牙色の月を見上げながら首を傾げていた。


 もう何日も沈まない月を見上げてきたが、未だにレイラの疑問に答えてくれる者は現れない。

 それどころか、自分以外に動物らしき存在すら見掛けていない。

 気付けば岩の上に座っており、最初こそ適当に歩いてみたけども、この岩の元に戻って来てしまうのだ。


 それからというもの、代わり映えのしない周囲の花達を見回し、空に浮かぶ象牙色の月を見上げるぐらいしか、することがなかった。

 そして誰かが来るのを、何かが変わるのを待つだけ。

 最近はなにかにつけては忙しいと言っては構ってくれない大好きな父も、小煩いけど優しくしてくれる大好きな母も、一向に迎えに来てくれない。


 ただ、幸いなことにレイラは一人でこの場に居ても寂しいとは思っていなかった。

 何故かこの不思議な場所が実家のように妙に落ち着いたからだ。

 そして何より、もうすぐここを出られる。

 そんな気がしていた。


 パパとママは元気かな?


 そう呟いたとき、レイラの背後で花を踏む音がする。


「おや? 君はこんな所で何をしてるのかな?」


 振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。

 柔和で優しそうな顔立ちをした不思議な青年だった。

 濃紺の生地に品良く銀のストライブの入った高級そうなスーツだが、落ち着いた雰囲気のある青年の為にあるかのように似合っていた。

 そんな青年の登場に、レイラは小さな警戒心を抱きながら問うてみる。


「あなた、だあれ?」

「僕かい? 僕は柏木 誠。いや、君にはマコト・カシワギって言った方がいいのかもね」

「マコト・カシワギ……おじちゃん、変な名前なのね!」

「そうかな? 僕の周りだと割と普通だったんだけど。それに、おじちゃんはちょっと傷つくなぁ。君にとってはおじちゃんかもしれないけど、僕はまだ二十八だよ?」


 誠と名乗った青年はレイラの幼さが故の不躾な物言いにも嫌な顔一つせず、困ったような優しげな笑みを浮かべるだけだった。


 レイラはそんな誠を見ながら傾げた首を反対側に倒す。


 自分と同世代の子供にも、ましてや開拓村の主力であり、日々肉体労働に励む大人達にも誰一人としていない、春風のような朗らかな雰囲気を持っていた。

 そんな一風変わった青年に、興味が湧き出していた。

 だからか、自分の隣に腰掛けた誠を自然と受け入れていた。

 そして隣に座って間近となった誠を見てレイラは目を瞬かせる。何故なら誠が身に纏うスーツが、レイラの知るどんな服よりも精巧に作られていたからだ。


 布同士の縫い目から生地のきめ細かさ、釦に施された細工に至る全てが、レイラが一度として見た事のない精巧なものだった。

 袖口に飾られたカフスなど、金細工で嫌味にならない程度に抑えられているものの、逆にそう配慮されたと思われる細工がカフス自体の価値を証明しているかのようだった。

 経験の少ないレイラに値段など付けられなかったが、少なくとも父がクローゼットに仕舞っている大事な一張羅や、母が気合を入れる時に身に着けるネックレスなどの貴金属よりも値が張るのは間違いなかった。


「それで、君の名前はなんて言うのかな?」

「えっ?! えっとね、レイラはレイラだよ!!」


 絶対にお目にかかれないような服が汚れるのも気にせず、岩に腰掛けたのに思わず凝視してしまっていたせいか、するりと耳に入った質問に答えるレイラ。


「レイラちゃん、か。いい名前だね。誰が付けてくれたの?」

「おかーさんが付けてくれたんだよ! 月の女神様から名前を貰ったんだって!!」

「へぇ、そっか。女神様の名前からつけてもらえるなんて、きっとレイラちゃんのお母さんは君のことが大事なんだね」


 まるで噛み締めるように何度もそうかと繰り返す誠を一瞬は不思議に思うが、大好きな母親のことを褒めてもらえたレイラが気にすることはなかった。

 一度質問に答えたせいか、人好きのする笑みと優しい声音で話す誠のお陰か。

 それからのレイラは最初に抱いた警戒心など忘れ、日々の過ごし方や知り合いの男の子が意地悪をしてくることへの愚痴など、誠に促されるままたわいもない話は続いていく。


 いつまで続いても苦にならない、穏やかな時間が過ぎていく。

 しかしそんな二人の和やかな団欒にも、終わりの時がやってくる。

 長いこと明けることの無かった空が、水平線から僅かに白み始めていた。

 それを見たレイラが慌てたように立ち上がり、周囲を見渡す。


 代わり映えしない景色。


 だがそこに自分が進まなければいけない道が出来たような、そんな感覚を覚える。

 ここに残ってもう少し話を続けたい思いがレイラにはあった。

 だが行先も分からないのに、この平原をでなければならないと言う使命感のようなものが、レイラの余念を即座に断ち切った。

 そして心の底から謝るように、ぺこりと頭を下げる。


「ごめんね、おじちゃん。レイラ、もう行かないといけないの」

「そっか。それじゃあ、仕方ないね」


 白み始めた水平線を睨んでいた誠はレイラに合わせて立ち上がると、至極残念そうな表情を作る。

 今まで脈絡のない話しを聞かされても常に真剣に聞いてくれていた誠に対し、レイラの幼いながらもしっかりと養われてきた良心が僅かに痛む。


「それじゃあ! またね、おじちゃん!!」


 それでも謎の使命感がレイラを突き動かした。

 レイラは足場にしていた岩から飛び降りる。

 行き先などなく、けれども向かわなくてはならない場所を目指して。




















 しかしレイラのその行動は、何者かによって阻止された。

 岩から降りようと足を浮かした瞬間、背後から首を抑えられてレイラの矮躯が宙に浮く。

 自分の首に回された何かを掴みながら、混乱する頭で振り返る。



「……おじ、ちゃ───ッ?!」

「ごめんね、レイラちゃん。君をこのまま行かせる訳にはいかないんだ。君の為にも、"私"の為にも、ね」


 一瞬、そこにいるのが誰だかわからなかった。

 優しげだった口元は狂気に染まり、朗らかだった眼差しは狩人のように冷酷な鋭さを帯びている。

 声音こそ変わらず優しげで、自分の首を絞めているのが誠本人なのだと理解は出来た。だが、それ故に誠が別人───いや、未知の化け物のように映っていた。





 このままだと殺される。





 本能の赴くままレイラは手足をバタつかせて抵抗するが、首に回された腕はまったく緩まない。それどころか誠は抵抗などまったく意に介さず、空いている手でレイラの頭を優しく撫でつける。

 癇癪を起こした子供を宥めるかのように、優しく慈愛に満ちた手付きであった。


「こらこら、そんなに暴れない。落っこちて怪我をしたらどうするんだ?」

「い、いや!」

「あと騙した私が言うのもどうかと思うんだけど、見知らぬ大人に話しかけられたらもう少し警戒をするべきだね。ただまぁ、落ち込むことはない。失敗は誰もがする事だし、本当に大事なのは次に同じ失敗をしないように学ぶ事だからね」

「パパ! ママ! 助けて、助けてよぅ!!」


 レイラが助けを求めると、両親が自分に笑いかけている姿が脳裏を過ぎる。だが、その姿に想いを馳せる間もなく────








「次があれば、の話だけど」








 ────ゴキリッ、と骨の折れる音が細首から響く。


 誠が少女の首に回した腕を離せば、ドサリと音を立てて幼気な矮躯が月陰花を押し潰す。

 そして波紋が広がるがごとく、地面に転がったレイラを中心に今まで咲き誇っていた月陰花が次々と枯れ、枯れる端からさも自分達が主役だと言わんばかりに血を思わせる真っ赤な彼岸花が即座に花開く。

 瞬く間に真紅へ変わっていく景色を心ゆくまで観察し、景色への関心が薄れた誠はつまらなそうに鼻を鳴らして空を見上げる。

 いつの間にか見慣れた月が、蒼と朱の見慣れぬ二つの月に変わっていた。




「いやはや、望外の悦びとはまさにこのこと。運も尽きたと嘆いたものだが、意外と私は恵まれていたんだなぁ。しかし人生とはなんとも不思議で残酷なんだろうね。君もそうは思わないかい、〝本来の私レイラ〟ちゃん?」




 眼下に広がる彼岸花達を見下ろし、口元に歪な笑みを浮かべながら誠は物言わぬ死体へ優しく語りかけた。

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