28 エリス・イオネスク

クレアに謀反の知らせと首都との面会を要請して数日。本国から手紙が来た。領主の分家を紹介するという文面であった。旧市街区長、カイル・ハーバーその人に会えとの命令だ。

「相変わらず、支援は無しか…」

(状況が好転すりゃ掌返して占領軍送ってくるだろ。俺らに必要なのは、領主の頭をぶった切った後につける、傀儡だ。)

「アンタが領主に寄生するってのはどうだい?」

反論しようとするが、言葉が詰まって出てこない。

(…!!!)

意外とアリな発想だ。できることの規模はリスクの高さに見合っていると言ってもいい。領主邸宅の警備など論ずるべきリスクも多くあるが、折り合いをつけて寄生までの段取りが着けば、仮定をすっ飛ばして街に現代知識を導入し、国力をグンと伸ばして独立さえ出来るだろう。

(…………………)

3年もすれば、帝国を跳ねのけてこちらから侵略し返せるかもしれない。最初からやっておけばよかったかもしれない。

などと思っていると、ミランダが歩みを進めている街中で、大通りで昼食を買っていたフェイルに見つかった。一週間ぶりにフェクトに会えて、嬉しくて仕方がないと、べったりついてくる。

ミランダからすれば、頭はいいから役に立つが、やはりべたつかれるのはうざったい。弓使いといい、どうして付きまとってくるヤツが多いのかと彼女は半ば無視しながら雑な相槌を打ってイライラしながら役所へ向かう。


中央の役所に入り、2階へ通されると、そこにいたのはカイル・ハーバーと見知らぬ育ちのいい娘であった。

まだ15歳ぐらいだろうか。シトリンと似て、儚げで大人しそうな線の細い出で立ちだが、黒髪で重力に一本一本が負けるほど、瑞々しすぎるストレートヘアーが目立つ。椅子に座って、中央にそびえている領主の屋敷を見ていた。

比較対象のシトリンは見た目の4倍はパワフルで元気でやんちゃな子だが、ミランダと目を合わせる時のそぶりと仕草を見て、彼女は見た目通りの控えめな人間であることは一同が確信できた。

「橋の件に合わせて、教会の連絡を伺いに来た。」

ミランダが言うと、カイル区長と娘は目を合わせる。

「賢者フェイルさんもご一緒にですか?」

「こいつは勝手についてき…。」

「えぇ、協力いたしますよ。ミランダさんの面倒ごとには、つい首を突っ込みたくなりましてね…時に、言うのも遅くなってしまい申し訳ない。アレ以降、アナタに合わせる顔がなかったもので。」

彼女の言葉を遮って、フェイルはメガネをかけ直しながら言うと、深々とお辞儀をした。

「…。」

区長は顔を落としたが、フェイルは遠慮なしに言う。

「息子さんの件は、我々の落ち度です。申し訳ない限りで。」

「息子?」

ミランダは2人の顔を交互に見る。

「かつて組んでいた、私とルイーディアのパーティーメンバーとは、そこにいるカイル区長の息子さんだったんですよ。」

(現領主のイトコってところか…世間は狭いな。)

「そりゃあたまげたねぇ。」

「名家の血族なのでとても優秀な魔法も扱える騎士だったのですが……顛末は…まぁ、察してください…。」

「じゃあ、領主の分家ってことは血縁があるのは…」

「そこの娘さんです。現領主の娘…カイル区長の弟の息子の娘です。」

彼女は混乱して、顔を伏せながら指先を振り回して家系図を追う。

「てことは、えーっと…」

(カイルの甥っ子の娘、又姪な。)

「あーうん、マタメイなんて始めて聞いたよ…」

「私と出会った時は、まだ生まれたばかりの赤子でしたけどね。もう15歳ですか。早いものです。」

「ルーイはエルフだからわかるとして……アンタ何歳なの?」

彼はため息交じりにメガネをかけ直す仕草で顔を隠した。その下は自信ありげに口角が吊り上がっている。

「…こう見えて、私は35ですよ。」

「35!?その顔で!?」(随分若くないか!?)

ミランダとフェクトはフェイルの顔をまじまじと見る。まだ20代中ごろに見える。

「いや~、そんな褒めて貰われても困りますねぇ。ふふふ。」

「あの…」

ニヤニヤしているフェイルをよそに区長の孫が立ち上がった。

「先の合戦の折、祖父の旧市街区をお守りいただき、ありがとうございました。エリス・イオネスクです。」

深くお辞儀をすると、フェイルは鼻で笑う様に返す。

「だそうですよ。ミランダさん。」

「ふん…ウチは自分の寝床を守っただけだよ。」

彼女は腕を組みながらぶっきらぼうに答えた。

「フェイルさん、どういう意味ですかな?」

「どういう意味も何も、西の検問の防衛線の立役者はこの人とルイーディアですからね。インフェクテッドアーマーと戦ったのはこの2人を含む3人…いえ、4人パーティーですし。」

「そう、なのですか?」

口元に手を抑えて訝し気に首を傾げた。可愛らしい仕草にフェクトはマントの間から薄目を開けて凝視する。

「ふん…特別功労賞サマの言うことが信じられないとは、随分と信用ないもんだね。」

「も、申し訳ございません。」

ミランダはぶっきらぼうに答えて、露骨に不機嫌な態度を取った。

「私が到着する前に、ルイーディアと3人で暗黒戦士3体を相手取ったと聞いていますよ。入り口とはいえ深層の魔物3匹を損害ゼロで討てたとあらば、本来はそれだけでも大金星です。」

「3人?」

フェイルはミランダのマントを勝手にはがした。フェクトはとっさに目を閉じる。

「あっ!バカ…」

「大丈夫ですよ。カイル区長は信用できる人だ。先生。」

区長とエリスは首を傾げる。フェクトは頑なに目を閉じて鎧の振りをして黙った。

「先生、お願いしますよぉ。これでは私が変人みたいじゃないですか。」

(事実変人だろ…どうするミランダ。このままシラを切るか?)

「ウチも演技は苦手だ。今さらしらばっくれるのもね…頼むよ。」

フェクトは静かに目を開けた。すると2人は腰を抜かすほど驚く。エリスの座っていた椅子が倒れ、靴が脱げた。

「も…モンスター…?!」

「その通り。ミランダさんの胸にいるのは、インフェクテッドアーマーのフェクト先生です。前世が今より遥かに文明が発達した未来の人間だそうで…私より遥かに知識が多い。旧市街区の復興も、殆どこの2人が為した様なものですよ。」

彼はニタリと笑って区長を見る。

「区長には、思い当たる節があるのでは?」

「…いや…そうか…なるほど…」

ミランダと話した時、彼女には政争が出来る様には見えなかった。税収が増えだして、カイルは領主にそろそろ目を付けられる頃だと思った矢先、領主の叛意の告発に動きだしている。

出城の設計図や、それに書かれた商店街の復興予定の地図。まるで見透かされているかの様に、先手を打って動く。ミランダを手先にしているにしては、全く姿を感じさせない。鮮やかすぎる暗躍。

その正体が、目の前にいる魔物の鎧ならば、納得がいく。彼は腑に落ちたという顔で笑みを浮かべた。

「教会にお伺いした時、既に出会えていたというわけですか…。」

「喋ることが出来なくて、申し訳ない、だそうですよ。彼に触れば一般人でも会話できますが…アナタにその勇気、ありますかねぇ?ふふふ。」

一同は着席する。フェクトは脱いで、テーブルの上に乗せられた。

「面倒だから結論から言うよ。近い将来、領主を暗殺する。そうなったら次の領主はエリス、アンタがやんな。」

「へぇ!?どぅえ!?」

エリスは素っ頓狂な声をだす。想定を超えた発言にフェイルも出された紅茶が気管支に入り、酷くむせる。フェクトの言うことであれば、確実に考え合ってのことだと分かっていても、今回ばかりはスケールが違いすぎる。

「ゲホッゲホッ…これはまた…ゲホッ…大きく出ましたねぇ…」

鼻から出た紅茶をハンカチで拭くフェイルをよそに、カイルの方は余り動じていなかった。嫌な予感が的中した、それぐらいのものだ。

「やはり、そうなりますか…」

「カイル氏はそれでいいのですか?」

「教会のお三方は領主とは腹のうちで敵対関係にある。税収と治安と流通が復活して、貧困街区の自然死がなくなった今、領主殿は奪い取ることを選ぶでしょう。」

「フェクトと同じ予想だねぇ。で、どっちにつくんだいアンタは。斡旋があった以上、教会側のはずだけど。」

「…難しい…質問です。」

彼は頭を悩ませた。現領主の一族との関係も、思い出もある。だが、このフェクトという鎧、賢者フェイルですら頭を悩ませるほどの切れ者だ。

「…フェクトさんの考えを聞きたい。よろしいか?」

「えぇ、どうぞ。」

思い切って鎧に触れると、フェクトは答えた。

(理由は単純。戦争を止める。このままではこの街は帝国側に着くだろう。冒険者の街ではなく、彼が統治する衛兵の街になる。)

「…しかし、結びつつある帝国との関係を破綻させても、それはそれで外交が悪化します。特に武力に秀でて周辺国を占領して回っている帝国との外交は…」

フェクトは唸った。カイルが懸念している通り、簡単にはいかない。

(破綻させるつもりはない。アンタの言う通り、国情の悪化もするし、緩衝地帯の外交は常に困難を極めるが…。逆にこのままいけば、破綻するのは教会側との関係だ。何が起きるか理解してないとは言わせないぞ。)

「…首都から出向している冒険者ギルドの職員、その他、本国と関わりのある業務は全て雇用が打ち切られ…良ければ衛兵として雇われますが、断れば…本国と関わりの強い神官職は人質。他は隷属か追放か…」

(あるいは晒し首か張り付けだ。国土を一つ失うと見た教会の軍隊は奪還に来て衝突する。そして必ず、彼らは負ける。)


フェクトの記憶に残っている、この時代のオスマン帝国のイェニチェリは、最新鋭の銃砲と異教徒の兵隊雇用と統治で、十字軍を一息で壊滅させたほどの武力を持つ。教会側へ着くことは、騎士や冒険者の、剣と盾の貧弱な装備で鉄砲隊に立ち向かうということ。

欧州の騎士たちが敗れた理由は、複数の国や領主が、隣の領地に対しても腹の底で敵対的であったことが拍車をかけていた。今か今かと同じ宗教柄の間で、言葉が通じる仲間の領地へ攻め入る時期を好機を伺って、自身の領民の消耗を抑えようと支援を出し渋ったりなどは当たり前。

呉越同舟の形で異教の侵略者と戦争する時は、既に手遅れだ。領主同士が実質敵対している様なものでは、団結とは遠くかけ離れている。対して複数の民族や国家が一丸となって統一を目指す南方の帝国に、敵うはずがない。


カイルは苦い顔をして目線を落とした。

「…その通りですね。私とて領主に忠誠を誓う身ですが…教会にも縁が深い…できることなら、本国には勝てぬ争いなど挑んで欲しくありません。」

しかし、史実のオスマン帝国になぞらえるならば、宗教には多少の融和性を持っていたはずだ。フェクトはその可能性を見出したいと考えている。

(何よりだ、俺の様な凶悪なモンスターが定期的に溢れ出てくるのに、何故殺し合う?合戦を壁の上から見た。大砲を第二陣に配置している間は、冒険者が前に出て戦う。立派な協力関係じゃないか。俺には、あれでいいと思えた。)

世界中で同じようなダンジョンがあるなら、人間同士が協力し降りかかる火の粉を払う中立地帯は必要だ。

(この街は、開拓者が作った冒険者の街だろ?溢れるモンスターを抑え、ダンジョンの謎を解明する。人種も宗派も関係ない。探究と戦いと宝、それがこの街の生まれた理由のはずだ。)

カイルは苦い顔をして目を伏せた。フェクトは説教するように続ける。

(確かに領主の判断は正しい。俺の知るイェニチェリの鉄砲隊は教会の軍や冒険者の集団に対して、圧勝できる。わざわざ弱くて嫌いなヤツの側に着くというのも妙な話だ。勝てる戦なら、誰だって挑む。)

「……。」

(いいか、俺は立場上、関係者を含む自衛の為に領主の首を取る他ないと言っているだけだ。俺が、ミランダを、旧市街区を、教会を、クレアとシトリンを、この街の冒険者を守るためには、それしか方法がない。)

区長はすっと手を離し、深いため息をついた。

「驚きです…モンスターが戦争を止めようなどと…夢でも見ているんでしょうか。」

(夢であって欲しいのは俺の方だよバカ野郎!!なんで人間の俺がモンスターにさせられてんだ!)

肩紐をぺちんぺちんと机の上に叩いて彼は地団太する。フェイルとミランダは悔しがる彼を見て笑った。

フェクトはカイルの腕に肩紐を乗せた。

(いいか区長、茶化されたら困るから言っておくぞ。密告のリスクを承知で俺がここに来たのは他でもない。アンタの役割は分かってるな?)

魔物の目が睨み、血走って充血する。地の底から這い出た悪魔の声がする。

「領主様を…諫めることです…。」

(そうだ、促すも諫めるも、それが臣下の役割だ。説得の成否は、ハッキリ言って期待していない。勝ち味濃厚な戦だ。領主を鼓舞してやったって文句はいえねえ。噂が事実なら、お前さんがするのは領主の決意の確認作業でしかなくなるだろう。だがな…)

フェクトと目を合わせると、指先一つピクリとも動かせない。吸い込まれそうな感覚と共に意識が遠のく様な怖気。

(くれぐれも忘れるなよ。かかっている命は、お前以外の大勢だからな。領主の反感を恐れて自分の立場から目を背けるようであれば、貴様もこの街には不要だ。そこんとこよぉく理解しておけ。)

ぎちぎちと目が音を立てて充血していく。

(俺が来るまでに、あの町で死んだ人間が何人か、お前は知らんだろう…クレアおばさんは、誰がいつ死んだかまで全て覚えているぞ…教会の裏手に墓がある。)

「…ハッ…ハッ…」

区長の手が震えて呼吸が浅くなっていく。念話を通じて、憤りや墓地の景色がかすかに流れ込んでくる。

(お前が下した判断は、悪化を招かず最善たりとも利益ひとつない。状況は変わった。旧市街にもう、時間稼ぎは不要だ。短い命、男のひとつぐらいみせてみろ。)

フェクトの手が離れると、全身から脂汗がジワリと吹き出た。ミランダを守るために命がけで戦ってきた怪物の念話は、言葉の重さが違う。フェイルは領主を落ち着かせる様に、腕を組んで物腰を柔らかに言う。

「怖いですねぇ…そこまで言うなら、アナタが領主に張り付いて乗っ取ればいいのでは?その智謀があれば、一瞬で周辺国家を丸め込めると思いますが。」

「それは役所来る前にウチが言ったよ。」

ミランダはティーカップの紅茶を一気飲みする。

(フェ~イ~ル~、お前がフォローしてくれるなら、今すぐに領主邸宅へ赴こうじゃあ~ないかぁ~?)

「おっと…これは失礼。悪い冗談ですよ。ふふふ。」

ドスの聞いた声で言われると、彼は冷や汗をかきながらメガネをかけ直す。ミランダは足を組みなおして聴く。

「で、もう一件。検問らへんの橋の話なんだけど…」


・・・


数日後。ミランダ達は西の検問の上でバリスタの調整をしていた。インフェクテッドアーマーに壊された扉は直され、衛兵の健康状態も良好だ。


フェクトが作ったバリスタは、ミランダのものと同じ鉄製の土台に、木の弓を後付けで固定するものだ。

弓の向きは垂直。3本が同時に並ぶ連弩。ボルトは竹槍の中に、土や砂を詰めて重量を増し、先端にはブーメラン型の巨大なくの字の鉄の刃がつけられている。

少しでも安く、少しでも多くの殺傷力と範囲を要求した短射程の防衛兵器だ。ボルトの筈には赤い紐が結び付けられており、刃を回収しようという魂胆が見え隠れする。それだけ鉄不足は深刻だ。

担当の衛兵はミランダが自費で納入したことを知ると、シトリン達の教会の下に寄付金が少しばかり届き始める。

以来、宿屋や商店街にも商人以外の足取りが増えた。健康な体でお祈りに教会に来る人の数も増え、貧困街区は活気づいてくる。番兵もインフェクテッドアーマーの攻撃を重くみており、ミランダの協力的な姿勢に感銘を受けている様だった。


橋の建設は不可能だが、代わりに農地として使っていい土地がある。ルイーディアの家から更に西の魔物のいる森と平原だ。

「結局体よく扱われてるだけじゃないかい。」

壁の上で足を組んで座り、貧困街を眺めて不機嫌そうな顔でいる。これから西の森を開拓するため、探索に出る予定だ。

(交渉はした。土地税の免除はでかいはずだが。)

「アンタが思ってるほど、狭くないよこの森は。農場として安定するのに一体何年かかるやら…それに土地税の免除はカイル区長の権限だろ。領主が覆せば終わっちまうじゃないか。」

(それは俺達が終わらせる。)

「暗殺の件、やっぱり本気なのかい…」

ミランダは今更になって及び腰だ。今までは何度も刺し違えてでも領主の首を取ろうかと思ったことだが、いざ現地を下見して衛兵の多さに引き返し、計画をどうするか何度も考えては諦めた。

しかし、フェクトは必要に迫られたからやる、という一点張りだ。ハッキリ言って恐ろしい。今になって彼が冷血なモンスターそのものに見えてくる。

(当然。カイル区長に命を賭けさせたんだ。)

「かけさせたって?どういう意味だい。何も頼み事なんてしてないだろうけど。前のあの脅しっぽい文句かい?」

フェクトはまぶたを細めて、ハイライトの消えた目をする。

(半分ぐらいは脅迫なのは合っているが…俺はな、今まで貧困街の区民が飢えて死んでるのにお前は今まで何もしてこなかったんだから、領主に口答えして見せろって言ったんだ。彼の弁の上手さ次第だが、手討ちになる可能性は高いぞ。)

「手討ちって…処刑ってことかい。」

(あぁ。)

彼女はぽかんとして、作業の手を止めてしまう。

「…正直さ、復興が軌道に乗ってきて…あの人の事、これから一緒に街を賑わせてくれる仲間だと思ってたよ。領主もさ、この旧市街区を発展させて、活躍して、仲間として認められれば、許されるって。」

(甘い考えだ。前の功労賞がお前だったとしたら、領主は余計に腹を立てたろう。敵対者というのは、相手が何やっても気に入らない。そうもいかないものだ。)

「なんだって、そんな死なせる様なこと言ったんだい。ウチは…これから協力してくれるなら、許してやれる気がしたのに。」

フェクトは歯ぎしりをする様にまぶたがギチギチと動く。

(今がまさに、その協力する時だ。領主の首都に対する背教の説得。この偉業が為せれば、俺は許してやれる。)

「これからの小さい努力の積み重ねじゃダメなのかい?」

(ダメとは確かに言い切れないが…自分で区民を見殺しにしておいて、他者の命を天秤にかけずに許されようというのは、過去の清算にはなり得ないだろう。彼のせいで家族を失った区民は、これからカイルが仲間だと言われても絶対に心を開かない。過去のキミが彼に対してぶっきらぼうだったように。)

「でも…」

反論しようとすると、フェクトは声を大にしてミランダに言った。

(ミランダ!この貧困街の救世主はお前なんだ!区民はお前の言うこと以外、聴く耳は持ち合わせてない。彼が区長で居続けることで俺が現れ、復興まで持ちこたえた。確かに功を奏したが、それは、彼が解決の手立てを一つとして持っていなかったということの現れだ!)

「…」

ミランダは黙りこくった。今以上に、救世主という言葉が嬉しくない時があっただろうか。フェクトは気をきかせて続ける。

(そうだな、君がいう、努力で仮に許されるならば…例えば彼に、死んでいった倍の人間を養える革命的なアイデアがあるとかだ。ただし、それは自分の力で考えつかなければならない。俺やフェイル以上に、彼に科学や政治の知識があると思うか?)

「…いや…」

(将来性とは、そういうことだ。彼は聡明だが、新しいものを生み出せる専門的な知識は持ち合わせてない。だから、出せる功績も役所の手口仕事に限られる。)

「…厳しいな。お前は。」

(…やっぱり君は優しいよミランダ。本来なら君は素直に喜んで、アイツに死んで来いと背中を叩いてやるべきだ。俺と出会う前、君は何度となく領主と区長を殺そうと、怒り狂ったろう、その時の様にね。)

ミランダは振り返って、街を見る。静かに石炭の煤が積もって滅びゆくはずだった場所が、今や馬車の往来が増え、清潔さを取り戻している。貧困街と呼ばれなくなるのも時間の問題だろう。

「…嫌になってきそうだよ。こんなにみんな、笑って、前向きに、明日を楽しみに仕事が出来るようになってるのに。領主はウチらが頑張ることの何が気に入らないんだい…。」

彼女は視線を落として、手を握り締めた。

(何もかもだ。宗教は教育だ。教えが嫌いなら、育った環境の全てを敵視する。だから自らの過去さえ、それにまつわるもの全てを忌まわしきものとして消しに来る。)

フェクトは教会を見た。

(旧市街区の中心、お前のいる、あの教会こそが、街の歴史の始まりだ。それを壊し、全ての関係者を消せば、めでたく背教、離反となる。)

「うちらだって…首都からろくすっぽ援助なんか受けれていないのに…どうしてこんな目に合わなきゃならないのさ…」


(俺が領主なら、同じことする。君の不幸な事情は、ただの好都合だ。)


フェクトの無情な一言にミランダは言葉を失った。顔を伏せて、悔し涙を流す。

(嫌だろ?人間って…。)

「…あぁ…本当だよ。」

(領主の狙いは、お前とシトリンとクレアおばさんだ。今後は心してかかれ。俺達の活動は、新しいフェイズに入った。)

「…少しだけ…黙っててくれないかい…」

(すまない…。)


・・・


しばらくして、ミランダは泣き止むと、仕事の待ち合わせ場所の木炭小屋へと向かった。

ルイーディアの家から先、西の魔物のいる森の調査を兼ねて、見かけたモンスターの手当たり次第に討伐する。

今回は、冒険者ギルドに対して、ミランダ側から募集の依頼を出している。とにかく広範囲に渡るためだ。


ルイーディアの家と検問の間、木炭小屋の近辺は、酸性雨で土壌が死んでいる為、数年は農地として使うことは叶わない。だから今は、少しでも合戦場から離れた場所に使える農地が欲しい。


合戦が起きる以前から、西の森には魔物や獰猛な肉食獣が多数潜んでいる。そして森を超えた先、かなり遠くだが、森を超えたぐらいで川幅が狭くなっているところには、既に橋が架かっている村落がある。

普段は川を超えた安全な農地エリアから交易を結んでいるが、要塞外の村落を3つほど経由する大きく迂回するルートで交流している。開拓できれば直通の近道になり、向こうも品ぞろえが増えれば喜ぶだろう。


森を川の北側、アメジストのダンジョン側から迂回は出来ない。貧困街区の検問からすぐ北西の雑木林一帯は、起伏が大きな丘陵地帯ですぐに管理が行き届かなくなる。とても馬車で移動できるものではないし、土木作業の手押し車すら運べるか怪しい。

川沿いの森の中だけが平地だ。魔物を駆除して、木々を伐採して突き抜ければ、農地と街道として扱える。

過去にも道路整備の計画は何度となく打診されたものの、採算が合わないとして打ち切られた。街道を整備するには森の面積が多く、また、街道を作れたとしても、下流の村までは馬車で朝から日没までかかるほど。

魔物が出る危険性の割に、交易するには遠すぎる上、あるのは村ひとつだ。危険な森を長距離移動するだけで、それだけリスクは跳ね上がる。

生息モンスターは合戦で炙れたゴブリンやスケアリーウルフといった、地の利を得ている厄介なものばかりが居付いている。武器や装備持ちのモンスターが出現せず、冒険者には直接の旨みがないし、魔物は隠れやすく、見落としている間に木を伐採する作業者が攻撃されやすい。

依頼を出しても危険なばかりで、護衛の責任もあって誰もやろうとはしなかった。


今はシトリン達が門を出てすぐ川へ降り立ったところに、川下りの船着き場を作っている。

事前に伝書鳩で連絡を取り、上流のこちらから伐採した木を下流に流し、下流の村に引き渡したら開拓する資材に使って貰う。その方が切った木を運べずそのままにしておくよりは、遥かに資材運搬の効率がいい。

一度は中止しようとした川下りの船着き場の計画を、合戦前の避難用ではなく、交易用として再開発させた。こちらから売れる様なものがあれば、向こうも快く買い取るだろう。

「は~ぁ。掌ぐるぐるさせて忙しいもんだよ。橋作ったり川下りしたりしなかったりさ。」

ミランダはため息をついて竹製の水筒に入っている蒸留水を飲む。フェクトの知識を用いて、川の上流から汲んだ水を焼いた砂でろ過した後に、蒸留し、レモン汁とグレープフルーツの汁とミカンの果汁と食塩を混ぜ込んだ、スポーツドリンクだ。

秋口に入っているが、日照りはやはり暑い。運動量の多い彼女にはもってこいの飲料だ。

(そこは悪かったって言ってるじゃないか。状況が変わったんだ。)

栓をして彼女はポーチに水筒を戻す。

「分かってるよ、怒ってないさ。だけど、フェイルとルーイだ。モンスターが大したことねえからって逃げやがってさぁ。」

(地形戦を嫌がってるんだろ。火炎魔法が枝にぶつかったら、自分の顔面に爆風が飛びかねんからな。)

手元で大爆発や山火事などもあり得る。森林戦は、盗賊や弓術師のレンジャー職に風魔法の真空波で切断や土魔法で壁を作れる神官職が向く。

「どこだろうと、ウチらは働かなきゃならんのにねぇ。賢者だの魔術師だの、いいご身分さ。楽なもんだよね、全く…」

目撃されている、森に潜んでいるモンスターは精々いて中層まで。ギルドに依頼もだしているが、くる気配がない。

依頼料は一人あたりに銀貨15枚。そこそこ高い額だが、地形戦の得手不得手やモンスターの強さで額面が見合うかどうかは人次第だ。

ミランダが出した魔物討伐依頼、貧困街区の為、というのもあって、やはり来ない。

時間になると、彼女は立ち上がる。

「ま、今回も暴れてやろうかね!リザードマンが居たら、上手いこと体を奪ってやろう。」

(うし、行くぞ!)

ミランダは一歩前に出ると、後ろから声がする。聞き覚えのある男の声だ。

「姐さ~~ん!」

「いっ…」

以前ダンジョンで出会った弓使いが手を振って駆け寄ってくる。彼は単独だ。

「はぁ~良かった、間に合った…」

「…あんたパーティーの連中はどうしたんだい?」

「戦士のヤツは、合戦前にダンジョンの6層で死にました。魔法使いは合戦で、ゾンビのリザードマンにやられました。神官ちゃんはよくわかりませんが、事情があって首都に戻るとか。今はパーティー探し中で、そろそろ結成しそうっすけど…」

ケロっとした顔で彼は言う。

「ちょうど依頼を見かけて、余裕あるんで来ちゃいました!失礼な言い方になりますけど、姐さんに協力しそうな人っていなさそうですし、俺一人でも協力しなきゃって。」

フェクトは仲間の死に鈍感になっているのを見て、心底背筋凍った。

(コイツ俺より冷血なんじゃねえのか…身近な仲間が2人死んでるんだぞ。何で笑えるんだ…)

(いや…冒険者なら普通さ。長いこと街から街へ旅してたならともかく、この街で新しく組んだなら、ダンジョンで死ねばそれきりバイバイさ。)

(えぇ…じゃあ、お前、俺が死んだらそんな程度なのか?)

(あんたに作った借りを思うと、また別の感情が沸くとは思うさ。フェイルたちみたいに、高名なヤツを死なせたら責任問題っていうのはあるだろうけどね。)

ミランダは酸性雨の名前を知った時から、フェクトは欠かせない存在だと確信していた。互いに死を覚悟し、別れまで約束している冒険者仲間とは、一線を画す違う感情がある。

今後も彼がいなければ、知恵が出せずにゲームオーバーになるだろう。絶対に死なすことは出来ない重要な存在だ。

「しかし、なんだってそんな…メリットも薄い地形戦だってのに、もう少し慎重になったって…」

珍しく弱腰になって、ミランダは説得するようにろくろを回す。

「レンジャー系の職業なら、俺じゃないっすか。」

「そりゃそうだけど…」

「姐さんはどうせ一人でも挑むつもりっすよね?じゃあお供しますよ!どうやって単独で戦ってるか、ずっと知りたかったんで!」

ミランダは呆れて、頭を押さえながら前に進む。フェクトの魔法を遠慮なくぶつけるつもりだったが、どうしてやったものか。

「…あぁ…はぁ…ったく勝手にしなよ。予算分、金は多めに払ってやれるけど、死んでも知らんからね。」

「はい!勉強させて貰います!あ、俺もそのマスクした方がいいっすか?道中で雑貨屋で買ってきたんすけど。」

「ん~…!」

いちいち声が大きく、立ち上がってくる大型犬みたいで、ミランダにとってはとてもウザい。

(…面倒は見ないとは言ったが、一応同じ中級帯で類似職だ。協力しあってやる方が効率いいのは間違いない。足は引っ張らんだろう。)

「あ!使い捨てのバックラーとカタナだ!買ったんすね!姐さんって結構新しい物好きなんすか?」

「んんんん~む…」

ミランダはいちいち説明するのも面倒だが、協力的な姿勢に答えるべきか、悩ましい顔で腕を組みながら歩を進めた。2人は弓を持って魔物の潜む森へと進んでいく。

木炭小屋から、ミランダ達の後ろ姿を見る人影ひとつを残して…。

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