18 中央街査察

更に数日後。


分離の際に激痛で反射的に濃塩酸ガスをばら撒いて、ミランダも再び彼を装備するのに躊躇いがあったが、3日でいつも通りに戻った。

すっかりミランダの胸に戻ったフェクトだが、彼も成長して変化が見られた。脇の部分に鱗質の帷子が出来てより防御力があがり、背中側に目が着いた。

後ろが見えることで、逃げながら魔法を打てるようになり、触れる面積が増えて触手を使わずに念話が出来る様になったことなど、快適で有利になっている。

「リザードマンの体、便利だったんだけどねぇ。」

(次もアレ持って帰るか?)

「また右手ぶっちぎるのはいいんかい?」

(うーん…)

フェクトがいなくなったせいで、街道の工期が伸び、雇い入れの為の出費でカタナの売却分は一日にして人件費に消えてしまった。

予算として使えそうなのは残り金貨2枚。1枚で銀貨80枚程度の価値があるため、まだ数日は冒険をせずに街中でやれることがある。


「さて、今日の予定は?」

(帳簿の確認と、精錬所の見物がしたい。煙突で何をしているか、まぁ想像は付くが査察だな。)

ようやく拠点である教会の中に入り、フェクトは帳簿を確認する。

(ホワイトランプソードの売却額の高さは目を見張るものがあるな。)

「だよねぇ。4層入り浸る方が効率いいのさ。」

物理攻撃はおろか魔法も効きにくく、強力な魔法を撃ってくるレイス系の敵だが、ネックレスを盗むと即死する。おまけに魔法防御付きのネックレスも同時に手に入る。彼らにとってミランダは天敵といえるだろう。

木炭製造の方は順調に進み始め、ウッドタールも順調に集まってきている。

「ミランダ、来客だよ。失礼のないようにね。」

クレアはそうとだけ言い残して、さっさとどこかへ消えてしまった。教会の裏手に通された、身なりのいい老人の男性はお辞儀をする。

「どちら様?」

「私は旧市街区長のカイル・ハーバーと申します。」

お辞儀をされると、ミランダは何のことやらという表情で会釈で返した。

「はぁ、どうも、何か御用で?」

「ご多忙だそうなので、私の方から来い、との事なので…」

(うげ~、ホントに来ちゃったよ。覚えてるか?この間、お前が来いって言ったヤツ。)

彼女は思い出して両手をポンと叩く。

「あぁ!そういえばそんなこと言ったね。忙しくてすっかり忘れてたよ。」

(敬語敬語!)

「(必要ないよ、そんなの。元凶の片棒め。)で、何の用だい?」

ハーバーはきょろきょろと回りを見た。

「以前、出城の建設の提案をいただいた人にお会いしたく。今どちらに?」

(げー、これは俺に会いに来た感じか。参ったな…アポなしは勘弁してくれよ。)

「アンタには会いたくないとさ。伝わんなかったかい?」

(おい、勝手なこと言うなよ!)

「…これは失礼した。であれば謝罪の一言でも、お伝えいただければと。」

「謝罪かい、それだったら是非聞きたいねぇ。」

ミランダは乗せられ気味だ。

フェクトは彼をローブの隙間から真剣に見る。貧困街区ではミランダがリーダー扱いされているが、彼女が出城の建設を促せる器量のある人間じゃないことを既に見抜いている様だ。

うっかり変なことを言わないかフェクトは不安を覚える。

「この度は、貧困街区の病魔の解決と整備に尽力いただいて本当に感謝している、指を咥えたまま至らなかった我々の落ち度を深く謝罪する、と。お伝えください。」

彼は深々と頭を下げる。これほどの対応を受けて、何もせず帰らせるわけにもいかない。

(カイル・ハーバーか苗字付きだし、やはり偉い人は貴族か…。ハーバー……カイル…酸性雨…石炭…)

直後にフェクトの脳裏に電流が走る。

「分かった。伝えておくよ。」

(待った!一芝居打ってくれ!適当に帳簿のページを開いて、それっぽく聞いて欲しい!)

「(仕方ないね。)あぁ、そうだ。えぇっとちょっと待ってくれ。」

ミランダは言われた通りに帳簿のページを乱雑にめくると、彼は顔を上げた。

(あの煙は、まだ使い道がある。それには時間と金と、協力が必要だ。そう伝えてくれ。)

「あった。あの煙突の煙にはまだ使い道がある。金と時間と、アンタの協力も要る、だそうだよ。」

酸性雨を突き止めたのがミランダではないと勘付いているが、フェクトの言葉が彼女から出てくる矛盾に彼は驚いていた。どこかから見て居るのかと、きょろきょろする様を見てミランダは得意顔で嘲笑する。

ハーバーと別れると、ミランダ達は精錬所へ向かった。


中へ入ってみると、煙突の下には天井まで伸びる石炭の塊が縦長に積まれて蓋をされた。煙が出ているのは、鉄を溶かしてハンマーで叩いている炉とは違う。さしものミランダも疑問に思って首を傾げた。

「…変だね、煙突があるのはこっち側かい。なんだいこりゃ。ただなんかを燃やしてるだけじゃないか。」

彼女は煙突付きの燃焼炉を見上げた。自分の身長よりも遥かに大きい。がっちりとレンガを敷き詰めていて、蹴とばしたぐらいではビクともしないだろう。

(やはりな。こいつはコークス製錬炉だ。)

「何だいコークスって。」

(石炭から可燃に邪魔な不純物を抜いたのがコークスだ。やってることは薪から木炭への蒸し焼きと同じだ。)

「石炭ってそのまま燃えるんじゃなかったんかい。」

(そのまま炉に使っても不純物があって大した温度にはならねえの。俺も木炭炉でやってるだろ?あの屋根を被せて木タールを滴らせるヤツだ。木の不純物は有毒じゃないだけ。石炭でやれば成分が違うからコールタール。)

「こんなでっかいのが5本もあるとはね…。」

(思ったより本格的なサイズだ。1回当たり俺らが作る木炭の50倍近くだろう。これじゃ改良の為に屋根を被せるのも一苦労だ。)

金槌の音がする中、ミランダ達は見物に歩き回る。思えばコークスの精錬所が5つもあって、鍛冶屋は無数に、大きな武器屋は8個、防具屋は4つ。個人の質屋は無数に立ち並んでいる。

何気なく見ていたが、本当に鉄鋼業の多い街だと、彼女は認識を改めた。高炉に入れる炭がいくつか零れ落ちると、跳ねた時にサクサクとした音もする。よく見れば木炭も一緒に使っている様だ。

(ハイブリッド仕様とは…にしても、コークスをこの時代から作っているとは驚いた。風車も水車もなしに使うとはねえ。)

「風魔法使ってんじゃないかい?エンチャントの道具があれば、半無限に使える。」

(あっ……!そ…ッッ…その手があったかぁ~~~~~ッッ…!)

「アンタ風魔法が一番得意な癖に。」

(よく使うだけで得意ってわけじゃないぞ。)

見終わった後は武器を見たり、防具を見たりと冷やかしをしていく。売り物ではないが、作業場を見ると製造過程の大砲が多い。

「でっかいねぇ。木とかじゃダメなんかい?」

(木砲も地域によっては使ってる場所もあるが…代わりに寿命は短いし、弾が粘土玉とかで破壊力も劣る。より高強度、高威力の砲弾ならやっぱり鋼鉄だ。)

作業員達は定期的に咽ている。作業場も暑くてマスクなどはとても付けられないだろう。

「ふぅん。なぁ、あの咳をしてる奴とかって…やっぱりうちらと同じ?」

(あぁ…恐らくな。だが、俺達が止めたら、それはもう仕事を辞めさせられるのと同じだ。聞く耳は持ってくれないだろう…確実に彼は、老いて仕事を引退する前に死ぬ。)

「…。」

ミランダは黙って作業員達の様子を見る。

(だけど、今すぐには死なない。それまでに子供を産んで、自分達の技術を継承し、武器がモンスターと侵略者から人を守ってくれれば役目は果たしてる。抜け落ちても新しい歯車が彼の代わりに入れられ、街は維持され時代が進む。)

「…嫌な物言いだね。まるで人の命をモノみたいに。こんな石炭風情に人が殺されてるってのにさ。忌々しいったらありゃしないよ。」

彼女は鉄鋼精錬所を後にした。屋外に出て煙突の煙を見てミランダは聴く。

「アンタ、こいつに使い道があるって言ったけど、本当なのかい?毒なんだろ?」

(ある。区長の名前で思い出した。俺の世界にも同じハーバーという名前の人がいてな。)

「へぇ、偶然。珍しくもない名前だけど。」

(フリッツ・ハーバーとカール・ボッシュが作ったハーバー・ボッシュ法って言う革命があってな。かなり大雑把に言えば、あのコークス製錬炉から出てくる煙を、肥料や火薬に変えちまったのさ。)

「そんなことが可能なのかい…?!」

(あの煙の中には、石炭の不純物の硫黄とかアンモニア、硫酸。大抵は火山の回りによくある毒ガスが混じってるんだが、それを分解して、別のものに変換する。)

「まるで錬金術じゃないか…!」

(まさに、錬金術師その人だよ。俺達の時代では化学と名前を変えた。金はまともな方法じゃ作れないってわかっちゃったからな。)

「え、そうなのかい。金は作れないのか…」

(例えば鉄と銅の合金なんかは、やろうとすればまた鉄と銅に分離することもできるだけの2種類の金属なだけなんだよ。いくつもの金属や成分を合成したところで金にはならない。)

ミランダは夢破れたりという残念そうな顔をする。

「そっか…」

(存在する以上、厳密には作れないわけじゃないんだが…)

「だが?!」

(やるには…ウーン。核爆弾っていう国一つぶち壊せる爆弾に水銀を全部浴びせるとか…世界を亡ぼせるレベルの話だ。)

「世界創造の神話か何かかい?ガキでもそんな話出てこないよ。」

ミランダは嘆息する。

(しょうがねえだろ、実際にそういうつくられ方してんだから。地球が生まれた時に出来た様なもんなんだ。)

2人は精錬所を後にして、貧困街区へ戻るがてら寄り道をする。使い捨てれる短剣の一本ぐらい買っておけとフェクトが何度も口を酸っぱくして言う。

(それ以外は色々作れるようになったわけだ。サビない鉄とか、鉄より軽くて固い金属とか。)

ミランダは再び煙突の煙を見上げた。

「んで、どうやってこの雲を捕まえたんだい。まさか蓋して指で摘まんだわけじゃないだろうに。」

(それは俺達の身に染みてることだろ~?雨に混ざると酸性雨になるってな。)

「あ…!」

(そういうこと、蓋して水に付けちまえば運べるってわけさ。)

彼女は一本取られたという顔をする。水に溶けさえしなければ酸性雨の被害なんか起きはしなかった、そう思っていたミランダに取ってはデメリットだと信じ込んでいた。今度はその特性を有利な形で利用してやろうというのだ。

「ホント、学者たちには関心するよ…。」

(あとは、まぜこぜになっている不純物を、どうやって欲しい物質に分離するか。ハーバーとボッシュ先生は、その方法を見つけたってわけ。俺達の時代の一番大きな土台となった超偉大な研究だ。)

武器屋で新品のショートソードを銀貨2枚で買ったミランダは帰路に付く。

(実を言うとな、俺の世界でも200年ちょっとぐらい前は、この景色と大差なかったのさ。大体この研究を境目に、新しい物質がワンサカ開発されて、大きく風変りしたのさ。)

「そのハーバーなんちゃらは、どれぐらい先の技術なんだい?」

(400年ぐらい先の技術だな。その間も確かに着実に知識の積み重ねがあって、文明が進んでたのは間違いないが。)

「…400年先かぁ。どんな世界なんだろねぇ…」

(さぁてね。でも魔法は無かったからな。この世界の数百年後、きっと俺の知ってる世界とは全く違う景色になるはずだ。)

「そっか。」

彼女は貧困街に戻ってきた。オイルランタンがぶら下げられた街灯の明りが、寂れた街道を照らす。大工達が遅い帰路に付いて、中央街へと戻っていくのとすれ違う。

ゴーストタウンの様相だが、荒れ果てて埃にまみれて無残に木片が散っていた姿からは着実に直されつつある。

(原理もやり方も覚えてるが、やはり難しい。追いついていない技術面もだが、一番の問題は俺らの立場にある。)

「領主がウチらの言うことなんて聞くわけない。耳の痛い話だねぇ…。」

貧困街の嫌われ者の盗賊と、ダンジョン深層の超危険モンスターのコンビだ。いきなり現れて口添えしても気が触れたようにしか思われないだろう。

(君の言う通り、煙突に蓋をするのは半分正解だ。水に混ぜれる様に、煙は集めなきゃならない。川から遠い煙突に水道が要る工事となれば精錬所も大がかりな改装が居る。これには中央の大勢の協力が必要になって税金も大量に動かすことになる。)

「中央街区長や領主との対面は避けて通れなくなるね…時間と金と協力が必要ってのはそういうことかい。」

(だが、成功すれば見返りは莫大だ。硫酸アンモニウムは肥料にも火薬にもなる。南の川を隔てた郊外の農耕地のエリアが5倍は広がるし、火薬の生産量も上がるから出城もより堅牢になる。)

「夢のある話だねぇ…果たして、ウチらを見捨てた冷血領主がそこまで頭のいい人間とは思えないけど…」

(それでも、やれば絶対に実現できる話だ。)

「…参ったね。そんなでっかく出られちゃさ。」

ミランダは教会の屋根に立って夕焼け空の煙突を眺めた。

「やってみたくなるじゃないか。」

今の貧困街は、ミランダが金の出どころだ。彼女が人件費として使っている金があって、区民は食費を稼ぎ、生活を賄っている。

しかし、商人が寄り付きにくい場所には物価も上げられてしまう。払った金はすぐに底を尽きてしまうから、解決には各々が自立して働き、金を稼げる場所が必要だ。

出城に勤務する大工達の宿場町として街道が機能し始めたが、まだまだ出城も着工が始まったばかり。病気で働けなくなった人は、クレアやシトリンの施しがあってようやく命を繋いでいる状態だ。


次は薬屋の建設に移ることにした。入荷する商品も決めて、2週間もすれば、必要な薬剤が届く様になるだろう。

これで金貨がなくなった。


2人の前に、再び冒険が待ち構える。

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