17 分離作業
数日後。
フランベルジェの残りは、除草用の大鎌に加工された。鋭く研ぎ澄まされた新品の刃は、育ったヤブの太い幹ですら一瞬で切り倒してしまう。
「ん~…せいやっさ!ん~…そいやっさ!」
道路の整備の為に藪を切っているのは、なんとシトリンだ。可憐でふわふわ声の彼女だが、フェクトが作った大鎌をしっかりと踏ん張って勢いよく振り続ける。
ナンと呼ばれる修道院から外出できない修道女と違い、更に下位のシスターは宗派によっても体裁は多く、自給自足するものや、慈善活動を行うものもいる。
シトリンはシスターに身を置いているが、孤児故に自分の意思で宗派に属しているわけではない。一般人として、近所との社会関係を持つための措置として許されているものだ。
低い風切り音を立てて鎌を振るう、黒装束のフードをしたシスターの姿は、後ろから見ればまさに死神だ。彼女は気づいていないが、スイングに巻き込まれて藪に隠れていた虫や蛇が真っ二つにされている。
(始めて合った時に、私だってタフなんだって言ってたが、嘘じゃねえんだなぁ。)
切った草を手押し車に乗せて運搬するのはフェクトの仕事だ。あっという間に雑草を刈り取っていくので、彼女の仕事にフェクトが追いつかない。
(アレ振り回されたらと思うとおっかねえな。)
「えぇホント…馬屋の整備、彼女がやるそうよ。鋤の扱いには慣れてるって…」
ルイーディアも近くだからと手伝いに駆り出され、慣れない力仕事をやらされて愚痴ばかり零している。
(あの子、意外と戦力になるんじゃ?)
鎌や鋤、鍬は一揆の際に凶器になり得る農具ばかりだ。
「聞いた話だと、一応、神官職の魔法使えるらしいわ。」
(採用しよう。ヒーラーもいけるなら、間違いない。)
「クレアおばさんに殺されないようにね。」
(…やっぱりやめておこう。というか、俺わかったぞ。凶器系の農具を使わせてるのはクレアおばさんだな?いざって時に、自衛させるつもりなんだろ。)
「あの人なら、あり得るぅぅぅ!フェクト、車輪がスタックしたー!お願い!」
(またかよ、しょうがねえな。)
フェクトは手押し車を指でつまんで引っ張り上げる。
「だーもう疲れた!休憩!腰いわした!」
彼女はギブアップして四つん這いになった。赤ん坊の様にハイハイで木陰に向かって移動する。
「え~?まだ1時間も経ってなくない?」
「はひ~、御見それしました。もう勘弁。」
シトリンから逃げ出す様にルイーディアは退散する。
「も~。フェクトはまだまだいけるよね?」
彼は親指を立てて返し、作業を続けた。
整備も進み、川の音が聞こえるところまで来た。昼になって休憩をしているとミランダが合流した。いの一番に彼女が見せたのは、短弓だ。金属と特産のアメジストが散りばめられている豪華なもの。
「フェクト、見なよコレ。最新型のリカーブコンポジットボウだよ。矢筒と弽もセットで買っちゃった。」
普段死んだ目の彼女が爛々と目を輝かせるのも珍しい。目の前で弓を組み立て始めた。
(新品の複合弓か。アンロッテンの弓は途中でばっきり折れちまったからな。こればっかりは必要経費だろう。それなりに上等なものを用意した方がいい。)
「そうだろうそうだろう?」
金属製のグリップと弓で別々になっている、組み立て式の弓だ。グリップの上下に差し込んでから、目釘で位置を決めたあとカム式のレバーでがっちりと固定する。
(組み立てにカムレバーか…やるな、この弓の作者…)
カムレバーとは付け根が卵型の曲線形状をした固定具だ。レバーを押した時にテンションをかけて固定するクランプレバーの一種。
一定の圧力で固定できるため、ヒューマンエラーの少ない固定方法といえる。
(ネジがオスメス一体でしか作れない時代だ。曲面形状なら、多少手間だが手鍛造で作れるし、ただの板で固定の為の圧力強さも調整できる。作者は相当頭捻ったろう。)
「どうだい?アンタから見て。」
(グリップと弓部分を別々にしているのは、俺の居た時代の競技用と同じだな。固定方法は違うが、この時代でカムレバーの固定方法を考えた奴は凄い。)
「新型の試作品なんだとさ。そうかい、アンタの時代の弓かい。こりゃ期待できそうだね。」
(もう少し進化させてやってもいいが…コンパウンドボウの車輪を作るには、ちょっと工作精度が足りないかもな。装備も充実してきた次はもっと安定して…)
ミランダの腰に刀が無い。
(お前、あのカタナどうした?)
「……。」
彼女は変な顔をして左を向いた。クレアの言っていたことを思い出す。彼女は嘘をつく時、隠し事がある時は、決まって左を向く癖がある。
(…ぉん前ぇー!せっかく作ったのに売り飛ばしたな?!)
肩を掴んでミランダを揺さぶると、スネを蹴ってくる。
「だっっっっって!ウチが剣振るよりアンタの魔法矢の方が安全で強いじゃないか!そっちを優先すべきだよ!」
(詰め寄られた時用に持っとけって話なんだよ!一発撃ったら気づかれて接近戦の流れだろ!)
「こっちの方が圧倒的に効率がいいじゃないかい!予防は治療に勝るんだよ!毒のスティレットはまだちゃんと持ってるし!」
(今回だって全部が弓で対処できる状況じゃなかっただろ!今後も多対一が前提なんだぞ!そんな高級品じゃなくたって普通の弓でも矢は撃てるだろ!)
「なーもー!こっちの身にもなってくれ!試し切りに立ち会った商人に、気に入られて言い値で買われちまったんだよ!」
安全や効率面を考えると、ミランダの言うことの方が正しい。フェクトは言葉に詰まった。
(ぐぬぬ…もう買い戻せもしないだろうしな…で、いくらだよ…)
「銀貨50!オーダーメイドのクレイモアだって30枚はいかないよ!コレは全部セットで銀20枚だよ!余裕でお釣りがくるじゃないか!」
彼は妥当な計算だと理解すると、そっぽを向いて寝転がってしまった。
(あ~…はいはい。納得しました~。も~、勝手にしろよ。ばーかばーか。うんこぶりぶり。おっぱいのペラペラソース。)
「不貞腐れ方が子供。」
ミランダは苦笑いしながら彼の肩の上に座る。
(カタナってぱっと見じゃ製法は真似できねえ代物なんだぞ。一回も使わずに売るとは…)
「なんだい、そんな手間かかってるのかい?」
(そのコンポジットボウと同じだよ。カタナは成分と強度と靭性が違う鉄を重ね合わせた複合剣だ。叩き折ってよ~く断面を見ないと判別できん。話題になったら粗悪な模造品が乱立しそうだな。)
「折れやすいんだろ?そんな簡単には話題になんないよ。心配性だね。」
フェクトは不貞腐れる様に姿勢を悪くしてだらけていく。
「どしたの?あのふたり。」
「フェクトがせっかく作った剣をミランダが売り飛ばしたんだとさ。」
「えー!ミランダ!それは酷いよ!」
「う…でも貰ったものをどう使おうと勝手だろ。復興費用の足しにしてるんだから、全部が全部、間違った使い方じゃない。」
「それはそうかもしれないけどさ、善意を踏みにじってるでしょ!見なよ、昼すぎまで寝てるルイーディアみたいに不貞寝しちゃって!」
「一日で銀貨50枚じゃぼろ儲けだろ!また作ればいいだろ、なあ!」
「絵を描けない人の言いぐさだよ!ソレ!」
シトリンの一言にミランダはバツを悪くする。
「もー、どうしてこう、強い人とか頭のいい人達って衝突ばっかりするかな!言い出しっぺなんだから真面目に仕事してよ!」
彼女は4時間以上も大鎌を振り回し続けているのに、まるで息を切らしていない。放り捨てられた斧を持って3人の前にどんと立つ。
「「(はい、すんません。)」」
休憩を終わらせて、最後の仕上げに入る。次はローマ式街道を作るために、道を掘って砂利を埋めたあとに土を被せ直す舗装作業が必要だ。まだまだ完成は遠い。
数日後。
街道の整備が始まった。貧困街区の人間が呼び出され、穴掘りが続く。その時、突然フェクトが倒れてしまった。
ミランダが駆け寄って彼の首に触れる。
「フェクト、大丈夫か!?」
(あぁ、俺は大丈夫なんだが…おかしいな、こいつ全然動かないぞ。)
念話ではいつも通りに喋っている。布を取ってみると、乗っ取ったリザードマンはガリガリに痩せこけていた。少し生臭い。
「アンタこの体…そういえば、アンタが飯食ってるところみたことないよ。」
(あ!そういえば…すっかり忘れてた。生まれてから水も飲んだことなかったな。)
「胸当てだった時から、アンタの空腹って聞いた事なかったね…それに、アンタも変わりつつあるよ。」
フェクトの前面の胸当ては腹部までを覆う複数のプレートが追加され、背面にバックプレートが出来ていた。前後面を繋ぐのはリザードマンの砂色の鱗の皮だ。
彼女の体やリザードマンの首の稼働量に合う様に、関節の様な継ぎ目が多いのローマ時代のロリカの様な構造だ。金属の様に固いが、革の様な不思議な素材でできている。
(成長している…)
ルイーディアは彼を見て目を丸くするが、ミランダは意に介さずにフェクトに話しかけた。
「どうしよう?飯でも食う?」
(あ~…う~ん…この体だと作業は進むが、いちいち体に触れないと喋れないのもいい加減面倒なんだよな。街に入れないから街道の様子が見れないし。)
「確かにね…アンタの知識がないと、向こうでリーダー面して話すのも大変だよ。」
(この巨体の維持費ってのもなぁ…一日にどんだけ肉や魚食えばいいんだか。)
「そろそろ次の冒険にもいかないとだし…行くなら鎧形態で行きたいしね。」
ふたりはルイーディアを見た。
「仕方ない…分離やるわよ。」
フェクトはよろよろと歩いてルイーディアの家へ向かう。水晶玉を持った彼女に案内されたのは家の中ではなく、外だ。森の中の少し広いスペースを見つけ、切り株の上にフェクトを乗せる。
「まるで断頭台だね…」
ルイーディアはマスクをつけ、フェクトを適当に踏み固め、鳥の巣の様にしたヤブの中に入れた。彼女は鋭く研がれた鉈を持つ。
「ミランダ、離れてて。絶対に近寄っちゃだめよ。フェクト、覚悟はいい?」
(あぁ…いや、やっぱりちょっと待って…)
30秒ほどすると、彼女はまた聞いた。
「準備できた?」
(うーーーー、ちょっと待ってくれ。あ~やっぱり怖えー!)
「アンタが頼んだんでしょうが。腹くくりなさい。」
(せーので頼むぞ、せーので。)
「はいはい。アンタが合図なさいな。」
切り株の上でリザードマンの頭を押さえ、右耳から伸びているフェクトの触手を引っ張る。耳元で木でできた洗濯ばさみを触手に挟むと、鉈の先端を切り株に軽く差し込んだ。
(うあーーーーじゃあ頼むぞ~!せ~~~~~~~のっ!)
ダン!と鉈が勢い良く落ちる。切り株からフェクトがずり落ちると、全身を伸ばして死後硬直が始まった。
(ギイヤアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!)
ルイーディアは鉈を持って、急いでミランダの手を引っ張って離れる。
「ピギイイイィイーーー!!」
小さな甲高いモンスターの悲鳴が響く。肩紐がタコの様に暴れてひゅんひゅんと風切り音を立て、もがいている。
「フェクト?!お、おい!」
「あいつは完全に右手首から先がリザードマンと融合してるのよ!こうするしかないわ!」
「苦しんでるじゃないか!」
「ダメよ!絶対近づくな!」
ルイーディアはミランダを羽交い絞めにして押さえつけた。ミランダの方が力が強く、少しずつ前に進んでいく。
「ダメよミランダ!危ない!」
暴れるフェクトの胸当ての横から、黄色い霧状のガスが噴出され始める。
「うわっ!」
ミランダは驚いて飛び退き、尻もちを付いた。リザードマンの顔が爛れて頭蓋骨が見え、その白い頭蓋骨すら溶け始めている。
「腐食性のガスよ!触ったら肌が溶けるわ!忘れたの!?アイツはインフェクテッドアーマー、超厄介な深層のモンスター!」
「…!」
攻撃が直撃すると毒性のガスを噴き出す特性がある。乗っ取られた上級冒険者の装備がボロボロになる原因のひとつだ。
目の色が虹色に変色しながら、あらゆる方向に目を回してもがき苦しんでいる。はたから見れば、やはりモンスターだ。
「アンタはあんなのを装備してんのよ!アレが自分にかかったら、どうなるかぐらいわかるよね!」
ミランダはしりもちをついたままルイーディアと一緒にあとずさる。自分の認識を改めた。
人間の様にコミュニケーションをしていたが、モンスターを装備していることに変わりはない。
「慣れって怖いもんよ。あいつは有能だけど…何もかもが謎に包まれてる。自分がやってること、ちゃんと理解しなさいな。」
「う…うん…」
彼女は自分の右手を見る。細い触手とはいえ、手首を切断する痛みはどれほどのものだろうかと想像する。
「あいつも覚悟の上よ。アンタだって、死んだら自分の体をくれてやるって、そう言ってたじゃない。それと同じことよ。」
「…今後、モンスターの体を得たとして、アイツは毎回これをやらなきゃならないってこと?」
「そうなるわね…」
ミランダの眉間に力が入る。
「でも、悪くないとは言ってたわ。片手だけ融合すれば完全に一体化しなくて済む。安いもんだって。」
「腕をぶった切って絶叫しといて安いもん…か…」
彼女はルイーディアの家へ向かった。
「どこ行くの?」
「アンタの部屋、回復薬あったはず。モンスターに効くかどうか知らないけどね!」
「薬代、ツケだからね!」
しばらく様子を見ていると、フェクトは激痛の余り失神した。半目になって白目をむくほど上を向き、動きが止まってしまう。
(神経の束を切られちゃ、そうもなる…よく耐えた方よ。)
数時間ほどしてフェクトの目が覚めた。回復薬の効果もあってか、1日する頃には、触手の方は治っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます