11 アメジストのダンジョン 高原
20日目の朝。時刻は日時計で9時。快晴だ。
クレアとシトリンは既に教会で自分の仕事を進めている。一番遅く起きたのはミランダだ。
ミランダは彼を装備し、誰とも会うことなく、中央街区の門からアメジストのダンジョンに向けて出発した。
(随分遅い出立だな。いいのか?先行した深層行きの連中は半日もあれば中層なんだろ?)
「大所帯のパーティーは入ってからが早いのさ。いくらでも魔物が復活するダンジョンとありゃ、後ろを取られるよりも早く突き進む方が効率がいい。昼飯食って整えてからさね。」
(なるほどな。)
早歩きで高原を登っていく。門をでて1時間ほどダンジョンへ真っ直ぐ歩いていると、そのうち緩やかな勾配だったものが変わってきた。
草原の色こそ変わりがないが、起伏がとにかく激しく、人間の背より高く、垂直に近い小さな丘が何個もある。
丘の谷間に入ってしまわないように、勾配がキツイ上にジグザグに歩くうちに、直線距離が長くなって体力を失う。出て来た時より随分と景色と印象が違う。暗いと足を滑らせて滑落もしそうだ。
中腹まで来た。軽装、単身のミランダの身軽さがよくわかる。これでは大人数だと荷物も増えて時間もかかるだろう。彼女の見立て通り、ダンジョンに辿り着くまではハイキングでも苦労しそうだ。
「…。」
彼女は口元に手を覆って、咳払いし、一瞬鼻からため息をついて立ち止まった。マントの裏でメイルブレイカーを鞘から引き抜く。
(どうした?)
(くさい…。)
(え?)
「ゲギャギャー!」
丘にある岩の影から、下卑た喉声でゴブリンの3匹の群れが襲い掛かる。彼女は勢いをつけた棍棒のジャンプ攻撃を見切り、逆手で目を一突き。後頭部まで一瞬でひし形の分厚い刃が入り込む。
直後、緑色のルーンが光った。頭蓋を貫いて抜けなくなる前に、ゴブリンが交差するよりも早く引き抜く。血と一緒に刀身から出た毒が滴る。
死体が空中で料理をひっくり返すが如く反転する。背中を地面に叩きつける直前に、棍棒を奪い取った。
「…っシッ!」
彼女は回転しながら勢いよく棍棒を投げて迎撃し、近寄られる前にもう一匹の胸部に直撃させる。
(うっ…うおっ!?速っ…)
フェクトが彼女の体に振り回され、視界がぐるぐる回って何が何かわからないまま戦闘が進む。
胸部が大きく凹んで倒れたゴブリンに即座に接近し、スライディングして駆け寄る。野球選手が1塁へ足からスライディングするような、流れる様な流麗な動き。
右の胸に寝かせる様に置いたメイルブレイカーの切っ先は、スピードがゼロになると同時に垂直に立ち、胸骨の隙間から正中線めがけて、ストレスなく刺し込んだ。
短刀を持って突っ込んでくる最後の一匹に対して、マントを外して宙に浮かせて自分の体を覆い隠し、マントが地面に落ちる前に仰向けに寝転がった。
ゴブリンには手品の様に彼女が消えた様に見えたことだろう。空を突いた短刀の真下にいる彼女と目が合った。
武器を掴み、腹と顎を蹴飛ばした。短刀を奪い、死体に突き立っているメイルブレイカーを引き抜いて彼女は二刀流になる。
僅か10秒の出来事だ。
顎まで蹴られて脳震盪で何が起こったのか理解できない最後の一匹は、ミランダと目が合う。間合いは大股で5歩ほど。勝てぬと分かって背中を見せて逃げ出した。
「フェクト。軽く足狙いな。」
(あ、あぁ!)
彼は無い体で、手刀を切る。目の先に緑色の小さな玉が浮かび、真空波が飛んだ。ゴブリンのふくらはぎと足首から鮮血が吹き出た。
狼狽した体を引きずって逃げようとするところに、ミランダが歩いて追いつく。走っても数秒で追いつけるが、体力の温存の為にやらなかっただけだ。
(案外、こんなところにもいるもんなんだな。)
「たった3匹で風上から襲ってくるとは、随分とナメられたもんだね。」
(しっかしまぁ、凄いなミランダ。暴風雨みたいな速さだ。単身で中層にいくってだけある。)
何気なくフェクトを胸から外すと、ミランダはゴブリンの頭を踏んづけた。
「フェクト、ちょうどいい。今なら安全だし、コイツに寄生してみなよ。」
(は…?えー!?やだ!張り付くなら巨乳の女の子がいい!)
「練習だよ練習。本番で女の体を無駄にしたら、折角拾った体を無駄にしてごめんなさい、じゃすまないよ!」
(いや、おっぱいに張り付きたいだけだよ俺は!寄生なんかしたら自分の胸揉むことになんだろ!それじゃつまんないじゃん!)
カチンときたミランダはゴブリンの胸に彼を無理矢理叩きつけ、何度も踏みつける。
「ホントなんなんだよこのドスケベ!いーからやれっ!助けてくれた女が不満かい!親切にしてやってんのに!」
(オアーーーー!目ぇ潰れる!わかったやるから!)
フェクト越しに踏みつけられたゴブリンは泡を吹いて卒倒していた。ミランダは一歩離れたところで岩に座って様子を見る。
(あ~ぁ…今のが心臓マッサージになってたのか。心室細動起こしてやがるぞコイツ…ヨダレも口もくっせえ。歯周病か。歯磨く環境も知性もねえだろうしな。)
隣接するまで近づいてようやく彼にも臭いを知覚出来た。言われた通り、寄生を試してみる。
耳の穴から鼓膜を突き破った。脳を目指す為に、彼は目を閉じると、ミランダも興味ありげに見入った。
(不思議だ。なんとなく、本能でどこに指を突っ込めばいいかわかる。体だけを乗っ取るなら頸椎だが…。)
背骨だけ乗っ取れば、首から下だけ動かすことは出来るだろう。彼自身、手ごたえを感じるうちに試行錯誤を繰り返しだす。
(けのびして水に潜る様に、指先を揃えてかき分ける様に、小脳から大脳全部を乗っ取れば、完全に乗っ取れる。それは本能で分かる。)
しかし、それをしてしまうと、確実に自分がゴブリンと一体化してしまう。心室細動で心停止状態の、30分も放っておけば完全に死ぬ体と一体化などしたくない。
ミランダの胸にくっついているより戦闘力が落ちてしまうのでは、彼女に拾われた意味も薄れる。都合が悪くなったら、マリオネットの様に切り離せる様にしたい。指先で動かすようなことが出来ないか。
(後頭部上部から、目の奥に丸ごと手を突っ込むか。視床下部を乗っ取れば視界をジャック出来るかも…)
「アッ…カッ…コッ…」
痙攣したゴブリンに反応があった。背筋を伸ばしたり、腕がバタついたりする。
「おっ…」
(こう?こうか?一部だけを乗っ取ろうって思うと、意外と難しいな…運動野って確か、頭の頂点側じゃなかったか。範囲が広くなりすぎるな…まず視界だけ…)
指先から毛を伸ばす様なイメージで繊毛が伸びる。手探りで毛が一体化しそうな神経を探っていく。頭の中心、鼻の奥の上、眼精疲労で重く疲れる目の奥の少し下ぐらいに指が届いた時、しこりの様な何かを突き破った。
軽く触れただけだが、何か風船の様に膨らんで破裂した様だ。2つの味がする。
(うっっぷ…!!!!!!)
耐え難い不快な臭いと味が彼の味覚を襲う。思わず触手を引き抜いた。耳から血に混じった黄色いものがどろっと吹き出てくると、かろうじて生きていたゴブリンは瞳孔が開いて完全に心停止した。
フェクトの目は見開いて瞳孔が閉じ、涙を流して赤色や青色に明滅して視線が散漫になり定まらなくなった。ゴブリンの胸の上で、煮込んだ鍋の蓋がごとごとと動く様に暴れ、肩紐を振り回してのたうちまわる。
「どうしたんだい?」
ミランダは彼を拾い上げて目を合わせる。彼は固く目を閉じてミランダの腕に肩紐を乗せた。
(うげー!こいつ!蓄膿症の上に肝臓か腎臓の不全持ちだ!膿んだ鼻クソ交じりの鼻水とアンモニアくせえ血がいっぺんに口の中に…)
「何言ってんのかサッパリわからないけど、ゲロ不味いのだけは良くわかったよ…」
彼女は引き攣った愛想笑いをして遠ざける様に彼を持つ。
(吐きそうなのに口がねえから吐けねえ!!!!最悪だ!触手の先を水で洗いたい!水たまりとかないか!)
「あ、あぁ…」
岩の上、日陰になっているところに水たまりがあった。触手をつけると、彼は手を洗いだす。先端から少し気泡が出ている。
苔の隣にボウフラが泳いでいるのを見て、彼は内心で苦い顔をした。
(ぐぬぬ…金属が染み出てねえだけマシだ…銅イオンなんかはボウフラも死ぬほど有毒だし、膿よかまだ全然綺麗な方だろ…ミランダの飲料水は無駄にできねえしな…)
アメジストはごく簡単に言えば鉄が染みついた石英、ガラスだ。溶岩の軽石の中に含まれるガラスと全く同じであり、ダンジョン近辺一帯は人が住む以前は火山地帯だったか何かのはずで、金属成分が豊富のはずだ。
ふもとの街が鉄鋼業が盛んで石炭の消費が多いのも、その裏付けといえる。
(本来なら天然の石英なんてのはギザついた六角面の結晶形状のものだ。ダンジョンの中は、単一の超巨大な結晶だった。どういう構造なのかはまるでサッパリ分からんなぁ…)
触手を格納して、彼は肩紐の位置を戻すと、ミランダは彼を再び装備した。
「大丈夫かい?」
(あぁ。思った通り、都合よく体を乗っ取るのには練習が要りそうだ。今後もゴブリンで続けよう。うぇ…)
「次は水ぐらい準備してからやろうかね。」
(そうしてくれ…。)
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