短い回廊

ママミヤジギ

無職と暇人

 ソリティアはおやと思い今きた廊下を引き返した。視界に一瞬入ったのは、ちょうど部屋から出てきたこの館の主人であるシキ=ロエンであった。それ自体はおかしなことではない。一日まったく会わない日もあるが、廊下ですれ違えば挨拶や立ち話もするし、食事を一緒に摂ることもあるからだ。ソリティアが違和感を抱いたのは、彼がいつもの着物姿でなくシャツとジーンズという今風というか若者っぽいというか端的にいうと似合わない格好をしていたからだ。

 視線を感じたのかロエンが振り返り挨拶し「一人か?」と訊いてくる。

「はい。ミレイは渡りの回廊の要請で仕事に、イズールは講習会があるとかで二人とも今日は帰りません。デュマ君は買い出しに行っています」ソリティアはなんとなく聞かれていなかったことまで答える。

 ミレイはロエンの実妹でイズールはシキ家の養子だ。デュマはソリティアと同じく居候であるが、どちらかというと使用人といったところだろう。

 本当はソリティアもミレイと一緒に仕事に行きたかったのだが、冒険者証等級の関係で参加できなかったので留守番をしていた。

「そうか。俺も出かけてくる」ロエンはいつも通り落ち着いた口調だ。

 まあ、そうだろうなと思いながらソリティアは頷いた。それにして珍しい。彼が外出するなんてソリティアが居候するようになってから初めてではないか?

「君もたまには出かけたらどうだ?」ソリティアが物珍しそうに見ている視線に耐えかねたかロエンが言う。

「それは遠回しに私を誘っていますか?」少し冗談を言って笑ってみる。

「すまない、つまらんことを口にした」彼は苦い顔をすると、玄関の方へ歩いて行ってしまった。

 玄関の戸が閉まる音。ソリティアは一人取り残される。

「そこまでかぁ?」つい口にしてしまい反省する。今のはちょっとミレイみたいだったな、と。ちょっと品位に欠ける物言いだ。

 しかしロエンの対応は気に触る。もう少しマシな反応があるものではないだろうか?少なくともイズールなら断るにしてもまんざらでもなさそうな顔をするだろう。いやいや、こうやって他人と比較するのは良くない。それこそ品がない、たとえ口にしなくともだ。

 それにしても急に彼がどこへ出かけたのか気になってきた。最近のんびりしていて時間を持て余しているからこんなことを考えるのかもしれない。

 今から追いかければ間に合うだろうか。

「よぉーし…」ソリティアは小さく気合を入れ、小走りで家を飛び出した。


 シキ家の邸宅は山中にあり、王都の中心地から大きく外れている。街中に出るまでに結構な距離を歩く必要があるのだが、数分前に出たロエンにソリティアが追いついたのは街の入り口に差し掛かった辺りだった。一向に追いつく気配がないので、下りの階段を一段飛ばしで飛ぶように駆け降りたので汗をかいてしまった。

 後ろ髪を縛り額の汗を拭い、ロエンから一定の距離をとり後方から監視する。

 目的があるのか彼は路地を迷いなく突き進む。そこかしこの店舗から声を掛けられていた。単に営業なのかそれとも知り合いなのか手を持ち上げて軽く挨拶を返している。

 それにしても歩く速度が早い。早歩きでは距離を空けられてしまいそうなので小走りで追いかける。

(アイス食べたいな)

 殺人的な日差しだ。恐ろしく暑い。ロエンのことなどどうでも良くなってきたソリティアの目は避暑を求めて無意識に喫茶店を探しだす。

 そうやって一瞬目を離した間にロエンの姿を見失ってしまった。

「なんてこと…!」ソリティアは声を押し殺す。

 さっきまでどうでも良くなりつつあったのに、見失ったとなるとどうしても見付けたくなる。きっとどこかの店に入ったのだ。

 周囲に視線を巡らせる。喫茶店、雑貨屋、花屋、服屋、甘味処…どこだろうか?もし、店でなく個人の家を訪ねたのならお手上げだ。

 ソリティアがどうしようかと行きつ戻りつしていると、すぐ側の喫茶店から店員が出てきて注意されてしまった。

「申し訳ございません」ソリティアは頭を下げる。

「入るか入らないかはっきりして欲しいんですけど。それとも持ち帰りで何か注文します?」

 ソリティアはもう一度謝り、柑橘果汁入りの炭酸水を注文する。それを受け取ったのと同じ頃にロエンが姿を現した。

 なんと意外なことに、最もあり得そうにないと思っていた花屋から出てきたのだ。手には花束を大事そうに持っている。

「なぜ?」炭酸水を一口飲み込む。酸味と程よい苦味、冷たい炭酸水が火照った体に気持ちいい。

 花を買う理由など限られている。家に飾るか、誰かへの贈り物かだ。

 家に飾るというのは考え難い。ロエンとそれほど付き合いが長いわけではないが、そういった気の利いたことをする人格ではない。

 それなら贈り物という線だろう。それはあり得るかもしれない。ロエンは独身だし、年齢も三十半ばくらいだったはず。恋人がいるという話は聞いたこともないが、訊かれないことを自分から話す性格でもない。

 それにしても女性に贈るにしては花の選択が渋い気もするが、彼にその辺りの感性を期待してはならないのかもしれない。

「うーん…」

 どうしたものか。もし恋人と約束があるのならばこれ以上個人的な事情に踏み入るのは気が引ける。しかし相手がどんな女性なのか気にならないと言えば嘘になる。いいのか、無職だぞ――と顔も知らない相手の女性に問い掛ける。もし良い娘そうなら忠告してあげた方がいいだろう。それがいい。これは一人の女性の人生を正しい方へ導くための行いなのだ。ソリティアは心の中で強く頷き納得する。

 ロエンの後を追いかけ日用品や食品、家族向けの飲食店が多い旧地区に出る。この辺りは独身世帯から中流家庭、低所得世帯の利用が中心で治安はそれなりにいい。昔から営業している店が多く、個人経営店では年配の店主が現役で働いている。

 ロエンが顔を見せると、そういった年配の店主やその友人が彼を引っ張っていき、長椅子に座らせ茶や菓子を振る舞い世間話を始める。離しているのは周囲の老人ばかりで、世間話から始まり、それから政治に対する不満や、最近の若者は元気がないといった話。ロエンは相槌を打ちながら「そう言えば…」と相手の体調や息子夫婦、孫の話へとさりげなく話題を移す。老人達は嬉しそうに話し続ける。元気だな、と思いながらソリティアは炭酸水を飲み干す。

(ああいうのは私には無理だな)ソリティアは少しだけロエンを見直す。

 ロエンの仮想彼女なんてもうどうでもいい、爆発してしまえ。そろそろいい時間だしその辺をぶらりとして帰ろうか。

「ところで若旦那はいつ結婚するだい?」

「良い人はおらんのかね?」

 若旦那というのはロエンのことだ。ソリティアからすればそれほど若いとは思わないが老人達からしたらまだまだ若者の部類なのだろう。いや、そんなことはどうでもいい。ソリティアはその場から去ろうとしていた足を止め聴覚を研ぎ澄ます。

「ええ、実はこれから約束があるのです」ロエンはそう言うと手に持った花束を示す。

 それじゃあこれも持っていきなさいと、袋に詰めた菓子や果物、野菜を渡され送り出される。

 ロエンは礼を言い早足で歩き出す、こちらへと。

「あ」ソリティアは隠れる間も無く、ロエンに見つかる。

「暑かっただろう。それじゃあ行こうか」ロエンは片方の眉を器用に持ち上げた。


 ソリティアはロエンの後ろを付いて歩く。先ほどまでより近く。彼はゆったりとした足取りで。

 最後の老人達の視線が気になったが、今は考えないようにする。勘違いされてもどうということもない。

「いつから気付いていたんですか?」ソリティアは気持ちを切り替える。

「家からの階段を下ってくるなと思っていた。君もどこかへ外出するのだろうとその時はぼんやり考えていたが、俺が花屋に入ってもあそこから動こうとしなかったから尾けられているんだと確信した」

「私、結構尾行は得意なのに。ミレイにも気付かれたことがありません」溜息が自然と口から出る。

「そんなことはない。あいつは気付いている。尾行されても気にしていないだけだ」

 そうだろうか?確かにミレイは戦闘者としては一流だし、野生的な感覚にも優れているのでロエンの言う通りかもしれない。

「兎に角、君のおかげで早く解放されたよ。礼を言う」

「随分と親しいのですね、街の人たちと」

「まあ、両親の代からの付き合いだしな。懐かしいんだろう。老人の習性だ」なんだか反感を買いそうなことを言うロエン。冗談かもしれないがこちらからは表情を伺うことができないので判断が難しい。こういう皮肉っぽい言い回しはしっかりイズールに引き継がれているなと感じる。

「ああ、こっちだ」ロエンが指を差す方向は家路から逸れる。

 行ったことのない方面で、街を出てシキ家がある同じ山に入る別の道のようだ。こちらはあまり整備されていない小径で緩やかな上り坂。脇には草が気ままに伸びている。涼しい風と木陰が心地良い。

「どこに行くんですか?」

「墓だ。両親の命日なんだ」

 ああ、そういうことか。それで花束なのだ。

「あのぅ、少し話は逸れるのですけど、どうしていつもと違う服装なのですか?」それについては説明がつかない。むしろ墓参りに行くのならばいつもの服装の方が良い気がする。そもそもそれが原因で跡を尾けて来たのだ。

「うん?いや時々着てるけど。たまたま見たことがなかったんじゃないのか」ロエンは不思議そうな顔を向ける。

 しばらくすると開けた場所に出る。形が整えられてはいるが古びた石が十個ほど。墓場と言われればそうなのだろうが、あまりにも粗末で没落したとはいえシキ家のような名家の墓場としてはそぐわないと感じた。

 ロエンは花束の包装紙を解き、地面に埋まっている筒に挿す。それから彼は墓石の間をぶらぶら歩き、時々墓石の苔やつる草を手で払う。それから墓全体が見渡せる位置に立ち無言で手を合わせる。ソリティアもそれに倣う。

 空気が澄んだ場所だ。有名な寺社の霊場に匹敵する。

「もしかしてここにシキ=フメイやユウリィも眠っているのですか?」

「いいや、ここにあるのは近年の先祖と無縁仏だけだ」

 フメイとユウリィは、五百年近く前に外世界から来訪した七人の客人と戦い滅ぼしたシキ家の英雄だ。それだけの偉人が眠っているのならこの清浄な空気も納得できるのだが…。もしかするとこの場所自体が特別なのかもしれない。そのような場所は各地で度々見かけることがあった。

「さて帰ろう」

 ロエンは来た時と別の道へ歩き始める。家の方角だ。聞いてみると墓から直接家に帰る道があるらしい。

「イズールとミレイは用事があって残念でしたね」

「まあ、あの二人はわざわざ墓参りなんてしないだろう」

「えっ?毎年一緒に来るのではないのですか?」少し驚く。ソリティアの故郷は世間との接触をほとんど絶っているので、一般社会の常識はあまり理解していないがそれでも少しおかしなことに思える。

「イズールは両親の死後にうちに来たし、ミレイはそんな柄じゃないだろう」ロエンが言い訳じみたことをぶつぶつと言う。

 ソリティアは呆れてしまった。溜息が出る。前を歩くロエンを追い抜き前に立つ。

「ちゃんと二人に声を掛けるべきです」

「忙しいのに迷惑じゃないかな」ロエンが目を逸らす。

「それはあなたが決めることではありません」ソリティアはそれから間髪入れず捲し立てる。「ミレイ本人の人格をあなたの認識で歪めないでください。イズールを家族の一員だと言うのは口先だけですか?私はあなたのそういう自分本位なところが好きではありません」

 ロエンが一歩後ずさる。

「ずっと思っていたんだか、君は俺に優しくないな」

「甘やかされてきたんですね」ソリティアは目の前の残念な人を見つめる。

 かつては名うての冒険者として世界各地で様々な伝説を残した〈剣帝〉シキ=ロエンだが、皆んな持ち上げすぎなのだ。そんなものは今や過去の栄光であり、現在では半引きこもりの無職なのだから誰かがその現実を突きつけてやらなければならない。それが優しさというものだと思う。

 ロエンは苦み走った顔でこちらを見つめ、その後にため息を吐き目を逸らす。

「まあ、いい。ありがとう」

「ありがとう?」ソリティアは意味がわからず顔を三十度ほど傾げる。

「二人のことを考えてくれて…」

「ああ」そういうことか。

 会話の下手な人だな。ソリティアはそう思うと少し笑えてきた。悪い人ではないのだろうし、だからこそ憎めない。一応この人もこの人なりにミレイとイズールのことを考えているのだが、そういうことが絶望的に下手なのだ。親ではなく親代わりなのだから仕方がないことかもしれない。

「それではみんなの予定を調整しないといけませんね」

「もしかしてと思うのだが、今年するのか?」彼は片眉を持ち上げて非対称な表情で問いかける。

「当たり前です。そうでなければあなた、有耶無耶にしてしまうでしょう?」ソリティアは小さく笑みを浮かべ帰路を歩いた。


 後日、ソリティアはみんなに声をかけて、ようやく全員連れ立って墓参りに来ることができた。シキ家の人間以外に居候のソリティア、デュマと何故かロークも参加している。

 ロークはソリティアも所属している冒険者組合〈渡りの回廊〉の総帥でロエンの古い友人、おそらくその彼が呼んだのだろう。

「こんなとこに墓があったなんて知らんかったな」イズールが水を満たした手桶を両手に持って言う。

「そだっけ?私は毎年来てるけどね」ミレイがイズールの隣で団子を頬張りながら答える。

「え、そうだったの?」ソリティアは少し驚く。視界に入ったロエンも一瞬だけだが驚いたように目を見開いたのを見逃さなかった。

「そりゃあねぇ。今年はまだだったから丁度良かった」

「なあ、その団子お供物なんじゃないか?」イズールの呆れた溜息混じりの声。

「どうせ持って帰ってから食べるんだから良いじゃん」ミレイが次の団子串を手にする。

「おい、一人で全部食うなよ」イズールは釘を刺す。

「あのー、誰か手伝ってくれませんか?」デュマは一人健気に汗水垂らし草刈りをしている。

「大丈夫だ」ロエンは見向きもせず、文脈に沿わない答えを返す。

「いや、大丈夫って…」デュマが絶句する。

 仕方がないのでソリティアも草刈りを手伝う。イズールも墓石に水を掛けブラシで擦っている。ミレイは団子を食べながらぶらぶらと歩いているし、ロエンとロークは二人で会話していて手伝う気はなさそうだった。

「よく家族で墓参りしようなんて思ったな」ロークがロエンにだけ聞こえるように声を顰めていたが、ソリティアは耳が良いので聞くともなく聞いていた。

「ソリティアが無理矢理な」ロエンの呟く声。

 無理矢理とはなんだと思いながらソリティアは刈った草を集めて隅へ積む。

「へえ?」ロークが面白そうにロエンの顔を見ている。

「正直なところ、ちょっと苦手だ」ロエンがさらに声の調子を下げる。

「そうか」ロークは口角を持ち上げ、ゆっくりと墓石の前まで歩き、ロエンも後に続く。

 ロークはマッチ箱を取り出し、そこから一本マッチを抜き火を点ける。その火を線香へ、そして咥えた煙草に。ミレイは抗議し、イズールは遠回しに罵る。ソリティアはとびっきり冷たい視線をお見舞いしたが、ロークはどこ吹く風だ。

「イズ」ロエンがイズールを手招きし、彼はロエンの隣に立つ。

「父さん母さん、俺たちの弟だ」

 イズールはそう紹介するロエンを不思議そうに見つめ、それから無言で空を見上げた。

 ロークがソリティアの横に立つ。恐ろしいほど静かで横に立たれるまで気付かなかったほどだ。

「よくあの頑固者を説得できたもんだ」ロークは美味そうに煙草を吸う。

 ソリティアは大袈裟に咳き込み両手を振る。

「ずっと思ってたんだが、お前俺のこと嫌いだろ」ロークのどこかで聞いたような台詞。

「自慢ではありませんが、私は誰にでも良い顔ができて偉いと子供の時から褒められているのです」

「それは多分褒められてない、むしろ多分に馬鹿にされているのでは?」ロークがよくわからないことを言う、半眼で。

「でも、あなたのことは嫌いです」ソリティアはキッパリと告げる。

「……」ロークは無言で彼女から離れて行ってしまった。

 それから入れ替わるようにロエンが来る。

「あまりあいつを虐めるなよ」

「失礼な方ですよね。自分から話しかけてきて用事が済んだら勝手に立ち去るなんて」

「もしかしてわざとなのか?」ロエンの疑問。

「こういうところが苦手ですか?」ソリティアは微笑みながら疑問で返す。

「怖ぁ」ロエンは吐息混じりにそれだけを言い、後退りながら立ち去った。

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