2
目が醒める。
いつもの場所。
いつものベッド。
いつもの時間……
いや、時間はいつもよりも早かった。
「ダメか……」
動かない体で口だけがそう呟く。
いつもの悪夢。
脳細胞にこびり付いた赤い瘡蓋がゴソゴソと脳髄液に攫われていく感覚。
髪を掻き分けると同時に軽く頭皮を揉む。
指で押した所が何だかジワジワする。
寝返りを打つと、いつもの場所からいつもの眼鏡を取り、軽く身を起こしてから掛ける。
眉間に皺が寄る感覚。
度なんか入っていないのに、つい焦点を合わせる真似をしてしまう。
先生がいつもしていた様に……
眼鏡があった場所の先、睡眠剤と空のグラスの向こうにある先生の顔は笑っている。
いつもの笑顔。
写真だから、当然と言えば当然なのだが、でも、先生の困った顔も好きだったのになぁ、とその時の顔を思い出してしまう。
少し気が楽になった後に、もう何年も見ていないし、金輪際見られないことも思い出してしまう。
楽しい思い出はそのまま今の喪失に繋がっている。
僕はそろそろ先生の歳を追い越してしまう。
こんなに生き残ってしまうなんてなぁ……
アラームの音。
解除し忘れた目覚ましが僕に仕事を思い出させる。
儀式的に溜め息を吐くと、そのままベッドから起き上がり、グラス一杯の水を飲んでから電気ポッドでお湯を沸かすと、その間にシャワーを済ませる。
体を拭きながら、鏡に映った自分の体の疵を見る。
この前また増やしてしまった。
——先生が見たら怒るかな?それとも悲しそうな顔をするかな?——
縫い後を指でなぞりながら考える。
まあ、この後の仕事には支障はないだろう。
コーヒーをドリップでゆっくりと入れると、それを喫みながら軽い朝食を作る。
ベーコンとサニーサイドエッグのファーマースタイル。
先生は向こうの風習で半熟の片面焼きだったが、僕はしっかりとした両面焼きが好きだ。
それをテーブルに移すと呼び鈴が鳴る。
長く短く長く短く、短く短く。
僕はそのまま扉を開ける。
「ハァイ、J?調子どう?」
そこに立っていたのはサイドを刈り上げた長い金髪を軽く結上げ方側に垂らした女、アンジェラだった。
ジャケットにパンツスタイルではあるが、手を振ると短いタンクトップの隙間からタトゥが覗く。
「何でいつもこの時間なんだ?」
僕が施錠しながら扉を閉める間に、彼女は勝手に奥のダイニングのテーブルに歩いていく。
「だって、この時間ならアナタの淹れたコーヒーが飲めるし、朝食サービスもあるでしょ?」
彼女は振り返りもせずそう告げる。
「ウチの
「あら?依頼を届けてあげているのだから、多少のキックバックは良いでしょ?」
まあ、通じはしないのだが。
「それに、ほら、ちゃんと用意してある」
2人分の朝食が用意してあるテーブルを見ると、彼女は相変わらず勝手に席に着く。
「いつもの事だからな。ほら、手が汚れる前にいつものを出して」
そう言って僕は彼女に手を差出す。
アンジェラはジャケットの内側から折り畳まれた封筒を出す。
「いつも言ってるだろ。封筒を曲げるな、って。写真が折れると面倒なんだよ」
僕がそれを受取り、中身を確認している間に彼女は勝手に朝食を食べ始める。
「どうせ後で焼くんだから、寧ろくしゃくしゃの方が良いじゃない?」
僕はアンジェラの提案を無視して依頼書の中身を確認する。
コーヒーの香りがなかったら、彼女の言葉を無視するのは難しかったかもしれない。
「これ、期日がないが、無期限なのか?」
「ああー……特に聞いてないけど、まっ、早い方が良いんじゃない?何か、裁判が始まると面倒そうだし」
そう言うとアンジェラはスマートフォンでニュースを流し始める。
『……この件に関し、連邦捜査局は昨夜、重要参考人と思われるジョアン・レイノルズ氏を緊急指名手配としました。なお、この指名手配はあくまでも参考人保護の観点によるもので、今回のテロ事件との関係は未だ調査中、との見解を示しており——』
ここでアンジェラは一時停止する。
「そう、これこれ。この人ね」
そう言いながら画面をこちらに向けてくる。
「依頼が来たって事は、関係者なのか?」
僕はようやく自分の分の朝食を食べ始める。
「さぁ?」
アンジェラは肩を竦めてみせる。
ただ、その青い目はいつも以上に冷たく感じた。
「じゃ、ヨロシクねー?」
朝食を食べ終えたアンジェラは立ち上がると、そのまま玄関へと向かう。
「『朝食ありがとう』の一言も言えないのかい?」
僕は座ったまま、見送るでもなく彼女の方に向き、いつもの嫌味を言う。
これも、いつだって通じないのだが。
「そうね」
ただ、今日はいつもと違った。
「あんまり言っちゃいけないオシゴトだし?」
そう云うとアンジェラはこちらに振り返る。
「ただ、そうね、お礼の代わりに一つだけ」
ここで一呼吸置く。
「貴方、最近『前任者』に似てきたから、注意してね?」
そう言うと、指で眼鏡の仕草をする。
その青い目は、いつだって冷たいのだ。
僕は黙って頷く。
「後……」
僕の反応を確認したアンジェラは言葉を続ける。
「後?」
「私は目玉焼きは片面焼きが好きだから、次からはそれでヨロシクね?」
僕は方眉だけ上げる。
「ウチの
僕の言葉を無視してアンジェラは扉を開ける。
「じゃ、今後ともヨロシクー」
そういって、そのまま去って行った。
どこからか、声が聞こえた。
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