最終話

 頭の中になぜか今朝のできごとが浮かんでくる。

 車を出そうとした時、いつものように母のてのあとがついていた。すぐに洗い落とせるように近くに置いてあった車用のブラシで拭くが簡単に落ちず、仕方なくホースで水を車にかけていた。

「母さん! 一人で外に出たの?」

 玄関にむかって叫ぶと中からよたよたと歩きながら、タバコをふかす母があらわれる。くわえながら歩いてくる母は器用に灰を落とさずに近づいてくる。

「そうやぁ。ゴミ捨てるのに出たんや。何かにつかまらんと母さん、転んでしまうから。ホント、アンタがいいところに車置いてくれてるから助かるわ」

 のんびりと話す母。

「いつもいってるじゃないか。ゴミぐらい僕が捨てるから置いといてって」

「そうやなぁ。だけど、母さん、アンタに迷惑かけたくないんや」

「いやいや。この間みたいに転んでケガされるほうがよっぽど困るんだって。あんとき大変だったの覚えてるだろ?」

 母がよたよたとしながら、玄関の上がりかまちを下りてくる。素足のまま下りて、土間のところに置かれていた、スリッパに足を通す。上手く通せずに何度かやり直していた。

「母さん。無理に出てこなくていいよ」

「大丈夫や。つかまるところはいっぱいある」

 玄関先まで来た母は、言いながらタバコをくわえる。今も変わらない銘柄を吸っている母。タバコの値段が上がったといいながらも、吸い続けている。

「歩きタバコやめてって。家火事になるから」

「ああ、わかったよ、アンタ水そこに流して」

 母は地面を指さしながらいってくる。

「そこで消すつもりじゃないよね?」

「そのつもりだけど?」

 ため息だけを出して、地面に水を撒く。すると母がしゃがみ込んで、水にタバコをつける。

「これで問題ないだろう?」

 そう言った母を見た時、世界は変わっていた。


 トンネルの向こうは直線が少しだけですぐに次のトンネルが見えた。その中間辺りに側道へと入る道があるようで、看板と道路の分岐を示す点滅が見えた。とにかくそこに逃げるためにアクセルを踏み込む。

 分離帯が迫り、ほとんど減速せずに側道へとすべりこむ。そこで初めてブレーキを踏み込み車を止める。

「はぁはぁっ」

 車の脇をトラックが通り過ぎて行った。あのトラックのライトのせいで明るかったのか。そう思いながら、ぼんやりとトラックを見ている。

 と、どこからか電子音が聴こえてきた。聴きなれた音だったが、それがなんなのかすぐにはわからず、ぼんやりとトラックを見ていた。音楽は鳴り止むことはなかった。どうやら、その音が自分のカバンから聴こえていることに気づき、カバンの中に手を突っ込もうとした。

 ドォンという音が聴こえ、そのあと何かが爆発したような音も続いてきた。

 音の先は通りすぎていったトラックだった。トラックがトンネルの中に入ることなく、入口付近で炎上しているのが見えた。

「事故?」

 側道の途中とはいえ、よせたまま車から降りる。

 音楽が鳴り止まずに続いている。トラックから目を離せないまま、スマホに手を伸ばすとそれは家からかかってきていた。出るとすぐに声が聞こえてくる。

「ああ、良かった。アンタ、まだ運転中だったらゴメン」

 母からの電話だった。こんな遅い時間まで起きてたのかと、よくわからないことを考えてしまう。

「あ、ああ。大丈夫。今車止まってるから。それよりこんな遅い時間にどうした? もう寝ないと明日、大変だよ」

「そうやねぇ。寝とったんやけどね、ちょっと気になったから電話したんや」

 自分のペースでのんびりと話してくる母。さらに続けてくる。

「イヤな夢見たから電話したんや」

 その瞬間、背中に寒さを感じた。

「い、イヤな夢って?」

 おそるおそる聞いてみることにする。背中に感じている寒さは消えることはなかった。そして、今気づいた。車の窓という窓についていたはずのあの赤い手形がキレイさっぱりなくなっていたことに。

 母がゆっくりと告げてきた。

「アンタが、炎の中で焼かれていく、っていうイヤーな夢」

                                    fin

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