第7話

 手形。それも真っ赤で血の色のような、手形。

「えっ? なっ?」

 ハンドル操作がおかしくなり、車が左右に揺れ出す。前方をみても車はない。ぶつかることはないが、トンネルの壁にぶつかりかねない。

 ブレーキを踏もうとした時に、突然クラクションが鳴り響く。

 驚いて、運転席側のサイドミラーを見ると、赤い手形はないものの、代わりにトラックが写っていた。おまけに二車線の中央を示す、線も見えない。車は道路のど真ん中を走っていた。

 徐々に近づいてくるトラック。ちょうど、左に少しだけカーブしていたので、ハンドルをそれに合わせて、少し大きめにきると車は左車線へと入って安定する。大きなトラックが車の横をものすごい速度で走り去っていった。

「な、なんだったんだ……」

 速度をゆるめながら、もう一度運転席側のサイドミラーをみるが、やはり赤い手形はなかった。

「み、見間違い…………か?」

 さすがに疲れがピークに達しているのだろうか。あるはずのないものが見えていたのはあまりにも危険だ。

「つ、次のパーキングで休むか」

 今のまま運転することへの恐怖を感じ、次のパーキングまでむかうことを決断する。母には悪いが、そこで少し休むことにしよう。最悪、朝になってしまってもかまわない。事故を起こすよりマシだ。そう思って、法定速度ピッタリで車を走らせる。

「あちっ」

 いつの間にか、タバコはフィルター近くまで燃えていた。慌てて灰皿に放り込む。

 それからさっき買ったコーヒーに手をつける。さっき開けてあったので左手だけで簡単に開けることができた。飲むとまだ冷たいコーヒーが口の中に入ってくる。頭が冷えていく感覚があり、少しだけ落ち着くことができた。

 さっきから妙なことが続いている気がする。疲れているからだと言い聞かせながら、車を走らせる。後ろからトラックが近づいてきていているのか、ライトがあてられサイドミラーからはまぶしい光が見えている。そのせいか、トンネルの中が妙に明るく思える。

 トンネルの出口が見えてきた。相変わらず、トンネルの外側は暗いが、それをみてなぜか安心している。不思議な感覚に包まれていた。本来だったら、明るいところの方がホッとするはずなのに。

 車がいよいよ出口に差し掛かり、ふと、ルームミラーで後方を確認した時だった。同時になぜ外が見えて安心するような感覚に襲われたのか。その意味がわかってしまった。

 赤い手形。

 車の後方が確認できる窓。そこに赤い手形があった。ルームミラー越しでもはっきりわかる、真っ赤な手形。まるで手に血をつけて窓にさわったようにも見える。手形からゆっくりと赤いものが落ちていく。

 それが、窓の一番下まで落ちた時だった。

 ビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタビタ。

「うわぁぁぁぁっぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁ!」

 後ろの窓におびただしい数の手形がついていく。それも真っ赤で湿り気のある音を伴って。思わず、後ろを振りかえる。

 光があてられているせいか、真っ赤な手形が窓一面にびっしりとついている。しかも、その手形は後部座席の窓にまでついてきている。その間もあの湿り気のある音は続いていて、徐々に近づき、音が大きくなっていた。

 後部座席横の窓がすべて手形で塗りつぶされ、運転していることも忘れて、ゆっくりと助手席の方をみる。

「くっ、くるな! くるなぁぁぁぁっ!」

 手形が助手席の窓にまで来ていた。徐々に迫ってきている感覚に襲われる。このままトンネルから出られず、ひっぱり込まれるんじゃないか。考えが浮かんだ瞬間に、後ろを振りかえる。運転席側も既に真っ赤になっていた。最早、大丈夫なのは前のガラスだけでそれ以外は真っ赤になっている。

「な、なんなんだ! なんなんだよ!」

 叫びながら前をみる。車はトンネルを抜けたところだった。速度は一〇〇キロを超えていた。もう、ダメだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る