第4話

 その日、仕事が休みで母も外出をしない日で家にいた。ちょうど、可燃ゴミの回収日だったこともあり、ゴミを出そうと台所や居間にいく。が、いつもいるはずの母の姿はみえず、そこにあったゴミ箱は中がキレイになっていた。母のことだから、片付けなくてもいいといってもきっと自分でしたのだろう。いつも注意ばかりしているので、たまにはありがとうと感謝の言葉を伝えてねぎらおう。強く決心をしたわけでもないが、なぜか少しだけ気合をいれた。そのまま、母を捜して玄関の方へと向かった。

 玄関の扉が開いているのが見えた。昨日の夜、寝る前に閉まっていることを確認していたので、きっと母がゴミを捨てに行くために開けて、すぐ戻るつもりだったのだろう。遠くないゴミ捨て場だ。迎えに行くのも悪くない。そう思いながら、玄関の上がりかまちから、土間に足を下ろして履きやすいスリッパタイプのシューズに足を通そうとした。

 その時だった。いつもは感じることのない感覚に襲われる。わずかに感じ取ったのは、いつもはないはずの臭い。車の排気ガスやタバコの臭いとは明らかに違う、不快感を覚える臭い。

 しっかりとシューズを履かないまま、玄関の外へ出ようとした。つまずきそうになりながらシューズに足をいれ、開きっぱなしの扉の向こう側に顔を出した。

 その時見えたものに強い衝撃を受けた。頭の中にまるで、写真で撮ったかのように一瞬で焼きついてしまっていた。

 玄関を出たところに確かに母はいた。しかし、それは立ってではなく、うつ伏せになった状態でだった。すぐさま駆け寄るとさっき嗅いだ不快感を覚える臭いがどんどんと強くなっていく。同時に吐き気が襲ってきた。母が倒れているところの地面が変色していた。何かで濡れていた。

 吐くわけにはいかない。母がどうなってしまったのか確認するまでは。そう思って、何とか吐き気を押さえ込み母へと近づく。

「母さん!」

 母が倒れている場所のすぐ近くには愛車の軽自動車があった。いつも玄関先のカーポートの下に置いてあるそれは、昨日帰ってきてから停めたものだ。足の悪い母がつかまれるように玄関の扉近くまでよせて止めている。その車の後部、マフラーの辺りで倒れていた。車が少しだけへこみ、マフラーもわずかに変形している。

 母を起こそうとする。錆びた臭いがいっそう強く感じられた。触れようとした時に、ふと思いとどまる。もし、頭を打っているのなら動かしてはいけないのではないだろうか。

 どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。どうする。

 頭の中で繰り返し、どうする、という言葉だけがぼこぼこと浮かび上がってくる。その言葉に答えを出す前に次の、どうする、が浮かんでくる。

 気づけば、母の体に触れようとしていた。そして、同時に浮かび上がるのは、どうする、だった。揺すって起こしていいのか、それとも、揺すらずにいればいいのか。確認しないといけないことがあるのではないか、そんなことをせずにとにかく助けを求めればいいのか。どうする、という言葉が浮かんだ時に、わずかに母が動いたのが見えた。

「母さん! どうした? 何があった?」

 その時には母を揺すっていた。大丈夫かどうかを確認することもなく、反射的にそうしていた。うつぶせになったままの母が、少しだけ体を動かす。母は顔をあげようと両手を地面について、力をいれていた。

「ああ、大丈夫。ちょっと転んだだけだから。ごめんね、びっくりさせて。心配かけたね」

 母が体を起こした時に顔をのぞき込む。

「母さん!」

 思わず、大声を出す。

 母の顔は血まみれになっていた。頭のどこかにケガをしている。しかも、地面の色が変わるほどの出血量。起き上がれたとしても大丈夫なはずがない。

「母さん! 動かなくていいから! 今救急車を呼ぶからそのままじっとしてて!」

 母に怒鳴るようにいって、スマホを取りに行こうとする。が、その時、誰かに手を強く握られていた。母が血のついた手でつかんでいた。

「そんな大げさなことしなくても大丈夫だよ。ちょっと転んだだけだから」

「いやいや! ちょっとなんてもんじゃないよ! すごい血が出てる! 大ケガしてるんだよ! 頭打ってるかもしれないから、医者に診てもらわないと!」

「そんなに痛くないから大丈夫だよ。ちょっと手当すれば——」

「ダメだって!」

 強く告げた時にびっくりしたのか、母が強くつかんでいた手が離れていく。

「とにかく、ここでじっとしてて! 今、救急車を呼ぶから!」

 そう告げてから、家の中へと飛び込み、スマホで救急車を呼んだ。

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