Ch.1 たがう運命

N.H Ep.1 別れ

 雛街菜音は視界を埋める白い天井を知っていた。

 彼女がここで目を覚ますのは2回目だ。確かあれは3年前、一度ミスを犯して死にかけた。その時に見た天井。

 そう、ここは病院だ。

 辺りを見回せど月羽の姿はなく、目に入るのは空のベッドと、1人こちらを見て唖然とした様子の看護師。

「何が……?」

 上半身を起こし首を傾げた彼女の問いに、看護師は「少し待ってください」とのみ言ってこの場を去って行った。

 そしてそれから数分すると、看護師の連れてきた眼鏡をかけた中年の男が病室に入り、菜音の横たわったベッドの隣にある椅子に腰かけた。

「私が君の主治医だよ」

 男はそう言い、言葉を続けた。

 彼は、それはもう現在の状況を丁寧かつ詳細に説明した。そんな彼の話は、要約すればこうだった。

 およそ1カ月前に起きた原因不明の実験施設倒壊事故。その現場に駆け付けたレスキュー隊員によって、瓦礫の中から救助された唯一の生存者が彼女であったらしい。

 しかし、脳、脊髄、共に重傷を追っており、意識もなく、多くの再生魔法使いや科学技術、凄腕の医者が関わったが、意識を取り戻すのは絶望的であり、いわゆる植物状態のままになっていた、ということだった。

 また、面会希望者は0、戸籍等を探せど身元は分からずどうしよう、そう言っていたところで彼女は目を覚ました。

 ここまでが男の話であった。

「あの」

 話のキリが付いたのを見計らい、彼女は声を出した。

「なんだい?」

「あたしの他に、助けられた人っている?」

 ——何よりも気になっていた事実確認。

 月羽の姿が見えないのが、どうも不安だ。

「他に……かい?」

 男は自身の手元に有った資料に目を落とす。

「なんか……、髪の毛が白くて長くて、紫の目で、こう……綺麗な顔立ちの……」

 必死の説明をよそに、男は少しの間資料に目を落とした後で首を振った。

「いないね。数人、女性も死体で見つかっているけど、特徴通りの子もいたようだよ。現場から100メートル程度離れたところで見つかり、心臓をくりぬかれていたみたいだね。何があったのか……」

「……っ」

 死体がひどい状態……。天使と戦えばそうもなるだろう。その上特徴があっている……。

 ——月羽はもう……。

 この時初めて、彼女の脳に「月羽の死」という可能性が入り込んだ。今まで考えたこともなかった可能性。

 されど月羽は……。

「写真を見るかい? 大分ひどいし、本当は見せられないものだけど」

 菜音はすぐさま頷いた。

 ああ、大丈夫。これでわかる。月羽じゃないって。

 月羽のことだから、きっとまたあたしには想像の付かないような方法で生き残ってる。そう! 絶対そう!

 だって月羽だから。いつも菜音では想像も及ばないことをやって見せ、どんな難題にも答えを出し、どんな困難も彼女の魔法で打ち砕いてきた、頼れる菜音の相棒。

(退院したら、探しに行かなくちゃ……!)

 菜音は、沈みかけていた心を無理に保つ。

 その時だった。

 男の手元から差し出された写真が彼女の視界の端に移りこんだ。

「……」

 呼吸が止まり、胸が閉まるような思いが彼女を支配する。

 何かが胸からこみ上げる。

 と。

 頬を涙が伝った。

「え……」

 一つ、また一つと大きな粒が布団を濡らす。

「あれ? あたし……。う、あ……。ああ、ああ」

 そう、写真に写っていたのは、彼女の瞳に移ったのは、紛れもなく8年間隣を歩いた相棒、唯一無二の存在、月羽であった。胸に穴が開き、不自然な程白くなった月羽の姿。

 菜音は、ついに別れを実感した。

 知っていた、心のどこかでは、男の言葉を聞いた時点で、そうなのではないかと感じ取っていた。

 それでも現実を否定したくて……。

 しかし目の前に突きつけられた写真は確かで、それを見ることで実感する悲しみは、知っていたはずのそれとはまた異なっていた。

「月、羽……」

 今になって後悔する、あの時の喧嘩。

 あのまま一生会えないと知っていれば、違ったのかもしれない……。

 

 流れ続ける涙は止まることを知りえず、月羽との思い出が、彼女の脳を支配した。

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