Ep.2 決着

 現在時刻、午前1時52分。

 2人は実験施設の前に立っていた。

「不気味だな」

 月羽は顔をしかめる。

 何せ見張りが誰もいないのだ。今までの下請けの研究所ですら、10人以上の銃を持った男達がいたというのに。

 彼女の感覚には、菜音も同意のようであり、首を縦に動かす。

「だね……」

 とはいえ。

 この場で様子見、という訳にもいかないのが現状だ。残り時間およそ7分といったところで「人造天使」の召喚が始まってしまう。

 つまりそれは、今は進む以外の選択肢が残されていないことを意味している。

 2人はフェンスを飛び越え、実験施設の敷地内に足を踏み入れた。敷地、といっても周囲は荒れ地そのものであり、雑草やら背の低い木々やらが生い茂っている。

 それはまるで、放棄された実験施設のように。

 見れば、施設自体もまるで手が付けられていないようにも見える。

「ホントにここなのかなぁ?」

 首を傾げた菜音をよそに、月羽は施設の入り口を蹴り飛ばした。

「やはり」

 と月羽。

「それは全部、そう見せるための演出だな」

 直後、月羽の正面、施設の中から、数発の弾丸が彼女に放たれた。

 放たれた凶弾は、月羽へ向けて直線的な軌道で迫る。が、彼女に当たると思った数センチ手前でその全てが静止した。

「邪魔だ」

 彼女の鋭い瞳がライフルガンを持った戦闘服の男2人を貫くようにとらえた。

 刹那、彼女が男達の方へと右手をかざすと共に、2人の男は吹き飛び、背を壁に打ち付けられた。

 そして月羽はぴたりと動きを止め、少しの間考えた後で菜音へ目を向ける。

「菜音は、ここで待っていろ」

 月羽の脳には、''あの時の惨状''が鮮明に浮かぶ。

 彼女はもう、誰も失いたくはなかった。

「は?!」

 菜音は驚き、というよりも怒りに近い表情で月羽の顔を見る。

「今まで2人でやってきたでしょ!? 今日だって……!」

「それでも! わたしは、菜音に死んでほしくないんだ」

 時間は1時57分。

 最悪の場合、天使が召喚される可能性がある。それはつまり、想定していた惨事が発生する可能性を意味していて、同時に、天使と一戦交える可能性を示唆しているのだ。

 ならば……

「ここで逃げろ。菜音を守るためだ……」

 月羽は施設内へと足を進める。

 しかし菜音は首を縦に振る予兆さえ見せようとはしなかった。

 それほどまでに彼女は拒む。

「嫌だ! それならあたしは、月羽を守るため! 1人で危険な所になんて行かせない!」

 菜音は月羽を引き止める。

「菜音、君の魔法は……」

「魔法がどうとか、そう言う問題じゃないでしょ!?」

「……」

 月羽には、返す言葉もなかった。

 魔法とかそう言う問題でない、と言うことは月羽自身、よくわかっていたから。

 人間は魔法だけでないし、実際自身が魔法だけな分、そうでない人の持っているものもよくわかっていた。

 ただ、それでもどうしても、彼女は菜音を、失いたくなかった。それだけであった。

「でも、これは菜音のためで……!」

「すぐあたしのためって……! それってあたしの気持ちとか考えてないよね!?」

「それは……」

「あたしは! 月羽と行く。結果がどうなっても、それで後悔することはないし、逆に月羽がこれでしんだら、それこそ後悔仕切れない……!」

 月羽とて、彼女がこう言うことは、なんとなく察していた。長い付き合いだ、それくらいはわかる。

 そして、こうなれば彼女は意志を曲げないことも、わかっている。

 月羽は再び口を開こうとした。

 がその時。

「下がって!!」

 いち早く口声を出したのは菜音であった。菜音は同時に月羽を突き飛ばす。

「何を……!!」

 瞬間、2人の間に「何か」が降り立った。

 水色のコート、ワイシャツ、短パンの人型の生き物。

 しかしそれを人と表現するには、纏う空気があまりにも異質で、狂気的。こうして近距離にいるだけでも、命を刈り取られるような錯覚を覚える。まさに次元がずれている。

「あ、ああ……」

 人間とは、圧倒的狂気の前では言葉さえも失う。

 月羽にはもう、自分の首が体についているかどうかさえわからなかった。それほどまでに、現実を錯覚するまでに、圧倒的。

 「それ」の瞳が、貫くように菜音へ向けられる。

「……!」

 次の時、「それ」の翼が菜音の体を吹き飛ばしていた。

 菜音はそのまま建物ないまで吹き飛ばされ、壁に叩きつけられる。と、「それ」が指を弾いた。

 その指先からは雷が走るようにして空間にヒビが入り、瞬時にして実験施設が倒壊する。

「菜音……?」

 月羽には一瞬状況が理解できなかった。

 硬直した彼女に、「それ」の目が向く。

 体中を蛇が這いずり回った様な悪寒が、彼女の足元から背筋を走った。

 ——死。

 その一文字が月羽の脳を支配する。

 「それ」は無表情に月羽へ右手を伸ばすが、彼女は大きく後方へ跳躍することでその手を避けた。

 直後、月羽へかざされた右手から白い光束が放たれ、音速にも近いそれを月羽は両手で受け止める。いや、正確には彼女の手に触れる直前で光束の進行は拮抗していた。

「止まらない……!」

 同時、彼女の間合いに「それ」が入り込む。

 ——この攻撃はおとりか?!

 「それ」は素早く右腕を動かすと月羽の腹部にこぶしを入れた。

「がァっ‼」

 彼女の体はそのまま後方に吹き飛ばされ、100メートル以上離れたビルの10階部分の壁に叩きつけられる。そこを中心としてビルの側面には大きく割れ目が入った。

 肺の圧迫からか口を開けようと息ができず、全身が痺れ身動きも取れない。

 終わりか、と彼女は思う。

 「あれ」が天使なのだとすれば、惨劇が起こらなかったことは奇跡と言える。まあ、唯一の幸運だったか。

 それはそうと……。

 あの天使には物理法則が通用しない。

 その上体も動かない。

 ——詰み、か。

 意識が薄れゆき、彼女の瞳孔は上手く像を結べなくなってくる。

 その時、目の前に現れたそれは彼女の胸を左手で一突きにし、そこにあった心臓をつぶした。

 眠気のように全身を支配する倦怠感、そして痛みが、一瞬にして彼女を飲みこんだ。

 ——菜音……。

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