第3話 熱

 終礼が終わり、徐ろに騒がしくなる教室で二階堂はノートを鞄にしまい込み、担任教師の姿が消えたのを確認してからスマホを取り出してLINEを開いた。叔父から来ている連絡に目を通し、眉間にしわを寄せると腕組みをして勢いよく息を吐いた。

 カーテンの隙間から見える窓の外には憎らしいほど濃い緑色の葉が風に揺れ、焦がすような光が教室の壁の一部を揺れながら照らし上げている。廊下で騒ぐ他の生徒の声に口角を思いっきり下げた二階堂は、目を閉じて頭の上で手を組み、大きく伸びをして目を細めたまま机に突っ伏した。

 教室に残った数人の生徒たちがちらほらと奏美の名を話題に挙げているのが聞こえた二階堂は、ぼぅっと黒板の上にある時計を見ながら長く息を吐いた。時刻は16時45分。放送部がやっている放送が始まる頃だった。やがてキャッチーなジングルが鳴ると、騒いでいた生徒らは少し声を小さくしたようで、二階堂は目を閉じた。

『はぁい、こんにちは。小折女子高ラジオ放課後の部、MCは部長の二宮香がお送りします!』

 二階堂は聞こえてきた声が想定よりも2段階ほど高く、また溌溂としていたことに違和感を覚えてやや顔を上げた。

『ごめんねぇ、今日は高橋ちゃんの予定だったんだけど、昼の放送が終わったぐらいに急に変わってって言われちゃってさ…』

 延々と続く止まらないトークに、騒いでいた生徒らも不満気な顔をしていたが、やがて皆それぞれの生活のBGMとしての活用を始める。二階堂はカバンから水筒を取り出し、まだギリギリ冷たさを感じる麦茶を喉に流し込んだ。

 中身が空になった水筒を再びリュックにしまい、些か軽くなったそれを右肩に掛けて立ち上がった。ふと奏美の話をしていた生徒を見れば、さり気なく逸らされる視線に眉をかすかに動かした。そのまま熱を含んだ光線に照らされるカーテンを見た二階堂は、扉を開ける遠慮のない音に振り向いた。その人物は顔を動かして教室の中を一望すると、二階堂に焦点を合わせて、いたいたと軽い調子で言いながら中に入った。

「帰ろう、旭」

 余分な音を廊下に置き去りにした教室の中で、目元に柔らかな笑みを浮かべて自分を見つめながらその透明でやや低い声で述べる人物にしかめっ面を見せた二階堂は、やや伸びてきた髪をかき分けて首筋を後ろをさすった。

「アタシはアンタと帰るような仲だったか?」

 奏美は、教室の中でじっと視線を向ける複数の目に気付いてわざとらしい笑顔でひらひらと手を降りながら二階堂の言葉を聞き、形の良い眉をハの字に下げてうーんと声を出した。

「でもこの前、気持ちよかったしさ。またやりたいなって」

 液体が溢れる音と咳込みにチラと後ろを向いた二階堂の目に、一人の生徒が水筒のカップからお茶をこぼし、顔を赤くして咳き込む姿が映る。眉を上げながら眉間にしわを寄せて前に向き直り、口角を下げながら何の話だと問いかけた。ほら、雨の日のと言う奏美に、より一層眉を寄せた二階堂は、弾かれるように眉を持ち上げて少し細いが迫力のある目を大きく開き、そして再び眉間に力を込めた。

「あのなんていうか……アレか」

 言葉が出ずに、視線をうろつかせた後に誤魔化したと受け取ったらしい奏美は口元に自然な笑みを浮かべて、身長差からやや見上げるようにしながら頷いた。だがと口を開きかける二階堂の左腕を直に掴んで、じゃあ決まりだと歩き始めた奏美にまかせて一歩踏み出してしまった二階堂は教室を出るタイミングで長く鼻から息を吐きだし、やや目尻の緊張を和らげた。


 熱く焦げるアスファルトの上を、靴の裏から蒸されるように歩きながら、やや下にある緋色に染まった横顔を見た二階堂は、なぁと声をかけた。何と答えて大きな目を眩しげに細めた奏美に、二階堂はしばらく口を開け閉めした後に声を出した。

「アタシと居るところを見られたら、お前のファンがうるさくないか?」

 伏し目で、眉を下げた二階堂を見て、奏美は片方の口角を微妙に下げた。

「意外だね、なんか」

 下げた眉を寄せた二階堂がはぁ?と声に出すのも構わず、奏美はふっと笑って、丁度横に有った自販機に向いてポケットから黒い革の財布を取り出した。コインを2,3選んで自販機に入れながら、奏美は口を開いた。

「旭が私のこと、気にすると思ってなかった」

 反論をしようと口を開き、出るはずだった言葉は、ボトルが勢いよく落ちるドガチャッガララという音に喉奥に押し込められた。ボトルを受け取る細い腰を見ながら口の端を下げに下げた二階堂は切れ長の目に険呑な色を宿して腕を組んだ。

「悪い意味じゃなくって。嬉しいってこと」

 そう言いながらしゃがんでボトルを取り出し、一本を二階堂に差し出す。頬をゆるく上げた奏美の顔に目を閉じた二階堂は、差し出されたボトルを受け取って小気味いい音を響かせながら封を開け、冷たい中身を口に含んだ。

「君と居ると楽しいって思ったんだ。それで良い?」

 つい今しがた取り出したらしい2本目のボトルを手に、口角を上げて眉を下げた奏美はふんっとボトルの封を切って勢いよく喉に流し入れるとふぅと息を吐いて口角を自然に上げた笑顔を向けた。目を一旦強く閉じてからそうかとだけ言って財布を出し、コインを取り出す二階堂に、奏美はボトルをしまってそれを受け取り、財布に入れた。

「そうだ、教えて上げる」

 財布をポケットに入れて再び歩き出しながら言った言葉に半目を向ける二階堂の長く細い指と切りそろえられた爪を見て、奏美はギターと続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る