第2話 曇天

 雨がしとしとと降る駅前、行き交う人々が不満を顔ににじませる中を歩いていた二階堂は、液晶広告が18時を示すのを横目に、ゆるくカールする毛先を手で遊びながらやや細い脇道に入った。スカートに手をつっこみ、そして何かに気付いたように眉間にしわを寄せて舌打ちをした。そしてスカートの中に履いたショートパンツからウィンストンの箱を取り出し、片手で器用に一本咥えた。タバコの箱をしまった二階堂はそのままスカートのポケットを弄るが、目当てのものが出てこないらしく、やや険のある目つきを更に険しくして口から煙草を取り、ポケットにしまった。

「あれ、旭じゃん」

 自分の名を呼び、何をしてるの?と問いかける聞き覚えのない声に、二階堂は頬をヒクつかせながら振り返り、何だと言いかけて辞めた。二階堂の視線の先には、印象的なハッキリとした目とスッとした鼻筋を器用に惚けさせている奏美が立っていた。

 夏服に紺のベストを着た奏美は、制服の上からパーカーを着た二階堂としばらく見つめ合っていたが、思い出したようにあっと声を上げると傘をたたみ、細い雨に濡れながらもリュックからスマホを取り出した。

「これ、忘れてたでしょ」

 湿っていく髪を気にもとめずに差し出されるスマホを見た二階堂はその姿にやや口角を強張らせ、ぎこちない手付きで差し出されたスマホを受け取った。

「お前が持ってたんだな」

「置いとくとさ、没収されちゃうじゃん」

 あちらこちらへ視線を動かしながら言う奏美に、二階堂は細い眉の尻をヘラっと下げて口角を緩めた。そして奏美が傘を差し直すわけではなく、寧ろ丸めてボタンで留めているのを見て、濡れるぞと声をかけた。顔を上げ、片眉を上げた二階堂を大きな目で見た奏美は、黒目を更に潤ませて頬を持ち上げた。

「ここに来たんだ」

 そう言って指し示したのは、二人が居た横の店だった。ろくすっぽ手入れのされていないだろうガラスウィンドゥの中には、剣山のように弦楽器のネックが並んでいる。

「へぇ……ギター?」

 一年中同じ服を着る人間がブティックを覗いたような顔で二階堂は隣でゆっくりと雨に濡れる奏美に問いかけた。リュックからタオルを出して髪を挟み込んで水気を取っていた奏美はうんと答え、少しの間眉間にしわを寄せてから鼻から短く息を吐き、ポケットに手を突っ込んだ二階堂の腕を取った。唐突の感覚に細い眉を顰めた二階堂が言語化されていない声を上げるよりも先に、奏美は一緒に見ようと顔を近づけた。眉尻も口角も下げられた二階堂は、やや小さめの黒目で目の前の整った顔立ちを呆けたように眺め、頷いた。


 店の中は外から見えるより広く、狭い入り口を睨んだ二階堂は弦楽器が並ぶ店内を見やって手を首元に当て、深く呼吸をした。空調の効いた店内に、二階堂はパーカーの前を半ばまで閉じた。奏美は店に入る段階で腕を離しており、入ってすぐ立ち止まった二階堂を呼んだ。眉をハの字にして切れ長の目を細め、視線を泳がせながら歩いてくる様子を見て、奏美は口元を緩めた。

「ギター弾いたこと有る?」

 二階堂が入り口でまごついている間に店員に試奏を断ったらしい奏美は、試奏用のアンプに繋いだIbanezを足を組んで構えながら問いかけた。無言で首を横に降った二階堂に、そっかと言った奏美はアルペジオでC,Am,Dm,Gのコードをゆっくりと弾きながら、一つひとつの音を確認するように大きな目に真剣な色を浮かべる。その様子に、眉を上げて頬を少し持ち上げた二階堂は奥でヘッドホンをしている店員をちらと見てから、リュックを床において奏美の前にある丸い穴が空いた木箱に腰掛けた。

「音楽は好き?」

 黒いフレットの上に色白な長い指を滑らせながら、奏美は再び問いかけた。二階堂は足を開いて座っている木箱の前面に手を当てて、2,3度叩き、ジャッという音が混じったその音にやや眉を寄せながらもわかんねぇと答えた。

「あんまりテレビ見ねぇからなぁ」

 1秒に1回ほどのペースで、足の間に置いた手で箱をたたきつつ、切れ長の目を脱力させながらそう続けた二階堂に、奏美はそっかとだけ返してギターを弾き続ける。コードを追加してカノン進行のナチュラルな音を軽快に二階堂のリズムに合わせ始めた。奏美が形のいい眉をきりりとさせながら緩く弧を描く口元の顔を上げれば、随分と穏やかな表情をした二階堂と目が合う。ややリズミカルにコードを弾き始めた奏美に中てられてか、裏拍も入れ始めた二階堂は、緩んだ口元を隠すようにして力を入れて妙にゆがんだ口元をごまかすように顔をそむけた。埃っぽい乾燥した空気に、タイトな尖った音と二階堂のパーカッションが乗り、しばらくの間店内を満たした。

 やがて満足したらしい奏美が緩やかに弦を鳴らせると、二階堂も箱をたたくのをやめて、頬を上げてギターをケースにしまう奏美を眺めながら口を開いた。

「親父がよく洋楽を聞いてたんだ」

 年季の入った黒く四角いハードケースに、黒光りするIbanezをしまいながらへぇと言った奏美は、蓋を閉じてパチッとロックをかけてから立ち上がった。

「Queenとか?」

 つられて立ち上がった二階堂は目線をうろつかせてから多分と頷く。

「聞き覚えがあるからそうだと思う」

 緩くくるりと丸まった毛先を右手で弄びながら答える二階堂に、奏美はセンス良いねと言ってからリュックを背負った。そのまま、少し待っててと言って店員のほうに向かい、何かを話し始めた。二階堂は自分よりも背の低い奏美の華奢な後ろ姿を見て、わかんねぇよとつぶやいた。すぐに振り向き、ネックの交換をお願いしていたと語りながら戻ってそそくさとケースを持った奏美を見て、二階堂は口をゆがめた。

「こんな雨の時に取りに来なくてもいいだろ」

 茶化すように言った二階堂に、奏美は口元に手を当てて斜め上を見ながら唸った。

「でも、すぐに弾きたかったからさ」

 顔に笑みを浮かべ、力強い大きな目で自分を見上げる少女に、二階堂は眉を下げて、なんだそれと声を出して薄く笑った。

 まぁいいじゃんと言ってケースをひょいと持ち、店を出る奏美の後を追って外に出た二階堂は、傘立てに手を伸ばして2本とった。

 ありがとうと傘を受け取った奏美は、ほらと人差し指をぴんと立てる。

「止んだでしょ、雨」

 そうだなと上を見上げた二階堂の目には、紺と紅が入り混じった空に、薄く雲がかかっていた。雨上がりのくすんだような匂いに、二階堂は口角を微小に上げながら鼻を鳴らした。

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