ロックとジャズ

回復だんご

第1話 晴天

 タン、タンと音を立てて、少女は階段を昇る。登り切った場所にある進入禁止と書かれた立て札を無視し、その少女はところどころ塗装がはがれたドアを開いた。錆びた金属が擦れる軋んだ音がすると、白い肌を晩春の些か強い光が照らし上げた。次いで脱色されたハンサムショートの髪が風を含んで控えめに広がる。少女は捲り上げていた長袖のシャツの袖を下ろしながら扉の外へと足を踏み出した。

 背後で音を立てて閉まる扉と雲一つない蒼穹に切れ長の目を閉じて鼻から息を吐き、ささくれ立ったベンチに体を預ける。少女は口の端に笑みを浮かべると突然スカートを捲り上げた。内側に履いた、明らかに学校指定のものではない黒いデニムのショートパンツと健康的な肌色の太腿がちらりと覗く。そのポケットから紙たばこの箱を取り出すと、慣れた様子で箱を指で叩き、器用に一本だけ取り出し、薄い唇で挟み込んだ。

 スカートのポケットから取り出した銅色のオイルライターで火をつけて煙を吐いた少女は2,3咳き込んで口の端に煙草を咥えたままでスマホに目を落とした。時刻は11時40分。あと10分で3限目の授業が終わることを確認した少女は、投げ出すようにその精密機械をベンチに置いた。

 途端、扉の軋む音が屋上に響いた。背後にキュウリを置かれた猫のように肩を跳ね上げた少女は口の端に咥えていた煙草をベンチの右にある火災用のバケツに放り込もうと口に手を伸ばしたが、白く燻る先端に爪の短い指先が触れたことで声にならない悲鳴を上げた。

 扉を開けた人物は膝下まで隠すスカートを風になびかせて、聞こえた声と漂う煙草の匂いにくっきりとした目をやや見開いた。

「なんだよ先公じゃねぇのかよ」

 現れた人物を見て、細い煙を晴天に登らせる口元の棒を捨てることを辞めたらしい少女は目を閉じてベンチへと背中を預け、投げやりに足を投げ出す。現れた学生は、肩下まで伸びた真っすぐの黒髪が風になびくことに眉尻を下げたが、直後には頬を緩めて少女の隣に腰を掛け、目線をせわしなく、自身の手、少女の腰の奥にある防火用のバケツ、雲ひとつ無い空へと動かした。

「ここ、涼しくて良いね」

 事実、二人が座っているベンチは日陰になっていた。その生徒は制服のジャケットの前ボタンを外しながら、些か落ち着いた様子で言った。少女はそうだなとだけ返し、ベンチにへばりついていた身体をズリズリと動かして座りなおす。

「アンタもサボるんだな、カナミサマ」

 タバコの先端を赤く光らせて濃い煙を口から追い出しながら言った少女の言葉に、カナミサマと呼ばれた学生は口の端を片方だけ持ち上げ、眉を寄せながら目を細めてわざとらしく笑った。

「そんなに有名人になったつもりはないんだけどな」

「それはアンタが決めることじゃないだろ」

 右足を上に足を組み、ベンチの背に右肘を載せた少女が言った言葉に、カナミサマは目をやや見開き、そしてふわりと微笑んでそうだねと言った。グラウンドから響く生徒達の掛け声が長閑に青い空に吸い込まれる。

「君、いつもここにいるの?」

 問いかけたカナミサマの言葉に、少女は顔をしかめて大きくため息を吐き、肯定した。その後、数回小刻みに口から煙を吐き出し、後ろ髪の先を首元になでつけてから、右手で煙草を持って口を開く。

「で、アンタもサボりか」

「奏美でいいよ」

 言葉尻に被せるように、頬を上げながら言った奏美に、少女は眉間にしわを作りながら煙草の灰を消火用バケツに落として口の端を歪めた。バケツの中では、濁った水に浮かんだ灰がゆらゆらと溶け、消えて行く。それをしばらく見つめた後、まだ眼尻に笑みを浮かべている奏美の顔を見て、組んでいた足をもとに戻した。

「……二階堂。二階堂あさひだ」

 やや張りを失いつつも、つぶやくというほど小さくはない声でされた自己紹介に、奏美は大きな目を柔らかく崩した。続いて放たれた、よろしく旭さんという奏美の言葉に、少女は自分のくたびれつつ有るスリッパから目線を動かさずに、二階堂で良いと言う。

「いいじゃん。旭で」

 片眉を器用に下げ、手をお腹の前で組んで空を見上げながら言う奏美に、二階堂は横目でチラとその垢抜けた雰囲気のある顔を見るにとどめた。咥えられた煙草は短くなってしまっている。

 二階堂がその事に気づき、灰を落とそうとしたとき、11時50分を知らせるチャイムが無遠慮に鳴った。やや小ぶりな鼻から長く息を吐いた二階堂はフィルター越しに大きく息を吸い込み、やや乱雑な手付きで煙草を防火用バケツに放り込むと、口元に煙を漂わせながら立ち上がった。

 じゃあねと手をふる奏美に雑におうと言った二階堂はきしむドアを開け、薄暗い階段を降りる。奏美は二階堂を見送った後に、隣に置かれたままの見慣れないスマートフォンを見つけて口角を緩めつつも眉を下げ、それをポケットにしまって立ち去った。

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