外れスキルに気を付けて

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外れスキルに気を付けて

勇者、魔法使い、僧侶の一行は役場で冒険者名簿を眺めていた。三人は同じ村の出身で、あるときに勇者が「自分はどうも勇者らしい」ことに気づくと、彼は世界を救わねばならぬのっぴきならない使命感に燃え上がり、親戚、知り合いの中から冒険者として見込みのある人たちに声をかけ、旅に出た次第であった。


勇者の故郷の村は住人が多くなかったこともあり、冒険者としての適性がある人間は今連れている魔法使いと僧侶の二人しかいなかった。現在の三人でもバランスが悪いわけではないし、ここまでの道中もかなり余裕で冒険を進めてきたのだが、あと一人ぐらいは連れていってもいいのではないか、という意見がだれからともなく出て、人を求めて、都会に出てきたところなのである。


名簿には、冒険者として登録されている人たちの、住所、氏名、年齢、各種ステータス、おぼえるスキルなんてものが記載してあった。


「こんなに冒険者が登録されているとはな。来た甲斐があった」

「うちらの村では見たことのない職の人もいるみたいだし」

「せっかくだから慎重に決めましょうね」


魔法使いが「バランス的に物理職がいいのでは」と提案すれば、僧侶は「戦力は足りているから支援型がいいのでは」といって、勇者は「この物語はメイジスペルとプリーストスペルのほかにアルケミストとサイオニックというのもあるらしいからそういうのも試したい」と主張した。いずれも一理あり、なかなか話がまとまらない。


そうこうしながら名簿をめくっていると、分厚かったページも残りわずかになってきた。


「うーん、迷うな……。この料理スキルとかなんかすごいバフがかかるのかもしれんし、こっちのガードスキルとか堅実な気もするけど……んん!?」


突如、勇者は素っ頓狂な声を上げて、一人の冒険者の欄を指差した。魔法使いと僧侶も「どれどれ」と注目した。


「ほらこれ、スキルがビールだとさ! レベル上げてもビールLV10しかおぼえないらしいぞ、この人! よし、決めた。この人を仲間にしよう」

「えっ、それはどうかと思うけどな、私は」

「そうそう。もっといい人いっぱいいるんだし、考え直しなよ」


あからさまに役に立たなそうなスキルに対して、魔法使いと僧侶はごく当然の反応をした。


「職員さん、この、ビールをおぼえる人はどういう人なのかな?」

「ああ、キチジローさんですか。その人ね、昼間っからビール飲んでる人ですよ」


職員の説明に、魔法使いと僧侶は露骨に嫌そうな顔をした。


「何それ、遊び人ってわけ、キチジローさんは」

「いえ、そういうわけでもないんですけどね。マンション経営してて、建物の管理人やってるから基本的に一日中管理人室兼自室で過ごさないんといけないとかなんとか。歳は三十かそこらぐらいだったかな。でもいまどき管理人が出張らなきゃいけないトラブルなんてめったに起こらないし、ひまでしかたがないってわけで酒でも飲まなきゃやってられないってわけ。それにしても、へえ、キチジローさん、ビールなんてスキル持ってたんですか。どうりで、いっつもビールおいしそうに飲んでますもん」

「ねえ、勇者くん、やっぱりその人やめなよ。ほら、ステータスだってパッとしないみたいだし」


職員の説明を受けて、魔法使いと僧侶はもう完全にノーの結論を出していた。しかし、勇者は我が意を得たりといわんばかりのしたり顔を浮かべていた。


「ハハハ、お二人ともいたしかたないこととはいえ冒険者としての経験は浅いようですな。いや、おれはこう見えてけっこうな訳知りでね。勇者を自覚した瞬間に、あまたの勇者たちの記憶と経験を獲得したのだ。だからおれにはわかるね。この物語はここでキチジローを仲間にしておいたらどこかで役に立つ場面があるはずだ」


勇者は、ファイナルファンタジーIIIでいえばハイン戦の学者とか、ガルーダ戦の竜騎士とか、そういうピンポイントで「刺さる」ボスがこの後に設計されているに違いないと力説した。


「でも、それならそのときだけキチジローさんを入れればいいじゃない」

「それも一理ある。しかし、こういうこともあり得るのだよ」


勇者は、ドラゴンクエストIIIで遊び人をLV20まで上げれば賢者になれるとか、ファイアーエムブレムとかのシミュレーションゲームでは中途半端なタイミングでLV1で仲間になるやつは育てれば化ける、といったことを説明した。


「そういうわけで、キチジローさんを仲間にして序盤からこつこつ育てておくのが正解なのだよ。じゃなければ、こんなあからさまな弱キャラを設定する意味がない」

「うーん……。完全には同意したわけじゃないけど、勇者くんがどうしてもっていうのなら……」


かくして一行はキチジローを仲間にするべく、彼が管理するマンションの管理人室へ赴いたのだった。


「お邪魔します。キチジローさんですね。さあ、世界を救う旅に出ましょう」

「な、なんだ、あんたら。旅だって? 勘弁してくれ。マンションを長期間離れるわけにもいかねえし、だいたい、あんたらだって名簿で確認したんだろ? おれなんて足手まといにしかならねえよ」


世界の危機なので、ほぼすべての人間は強制的に冒険者の適性をチェックされて、適性のあるものは名簿に登録されていた。勇者一行らの勧誘に対する拒否権の有無などいうまでもない。


「そうだ、たしかにキチジローさん、あなたのステータスは散々だ。いいところはビールをおいしそうに飲むことぐらいだ。しかし、我々はあなたのそういうところを買っているのです。じゃあ、さっそく旅に出ましょう。そう、いますぐただちに着の身着のままで」


こうしてビールを飲むことしか能のないキチジローは哀れにも世界を救う冒険に駆り出されたのである。


「キチジローはビールを飲むと強力なバフがかかるのではないだろうか」


最初、勇者はこの仮説を確かめるために、戦闘が開始するや否や、キチジローにしこたまビールを飲ませ、その後、キチジローに魔物を殴らせたり、あるいは、魔物にキチジローを殴らせたりした。生まれてから一度たりとも魔物との戦闘に対する訓練を実施したことのないキチジローは、魔物に殴られるたびに重軽傷を負い、よく死んだ。しかしそのたびに僧侶が即座に生き返らせた。冒険者の適性とは、死んでも生き返ることができることなのである。


百戦ほどこなしてわかったことは、キチジローがビールを飲んでも、キチジロー自身へのバフも、味方へのバフも、敵へのデバフも発生しないということであった。勇者はこの事実を攻略Wikiに書いておいた。


次に勇者は、キチジローを連れて各地の酒場に行くと何か有利になるイベントが発生するのではないかと考え、この仮説を検証することにした。


各地の酒場に連れられたキチジローは、「魔物に殺され続ける日々を思えば夢のようだ」と涙を流してうれしそうにビールを何杯も飲んだ。このほんのつかの間の日々だけが、キチジローがこの冒険で得た良い思い出となるのであった。気持ちのよい飲みっぷりに、しばしば酒場の経営者や従業員に称賛されることもあった。しかし、特にイベントは発生しなかったし、隠し情報なども仕入れることはできなかった。勇者はこの事実を攻略Wikiに書いておいた。


勇者はキチジローが特定のボスにピンポイントで役に立つのではないかと常に考えていた。したがって、ボス戦では必ず最初はキチジローを中心に据えた戦略をとっていた。巨大な鬼のようなボスと戦ったときも最初はキチジローを先頭にして様子を見たが、キチジローは悲鳴を上げる間もなくボスの振るった金棒で脳天から足裏にいたるまで木っ端みじんに粉砕された。またあるときはドラゴンの堅い鱗をビールを飲むことで突破できるようになるのではという勇者の発案によって、キチジローは単身のこのことドラゴンに向かうこととなり、ドラゴンの吐いた炎によって消し炭となった。しかしそのたびに僧侶によって直ちに蘇生された。さまざまなボスによってキチジローはさまざまな攻撃にさらされ、挙句、さまざまな死に方を披露する羽目になった。勇者はボスを倒すたびに「キチジローを使わなくても勝てる」と攻略Wikiに書いておいた。


この物語は敵を倒したときに死んでいても経験値が入る設定だったので、戦闘終了時にだいたい死んでいるキチジローも三人とおなじようにレベルが上がっていた。しかし、たいしてステータスは成長しなかった。ビールLV1がビールLV5になったぐらいである。冒険が進むにつれて、キチジローの酒量は増え、しらふでいる時間は少なくなっていったが、それがビールスキルのためだけであったかどうか。


あるとき勇者は、


「風来のシレンシリーズに紛らわしい名前のアイテムがある。キチジローさんのビールは僧侶がおぼえているヒールのもじりなのではないか」


という考察を披露した。魔法使いと僧侶とキチジローは、真顔の勇者に対してどんなリアクションをすればいいのかはなはだ困惑した。


物語は中盤の山場にさしかかろうとしていた。このころになるとキチジローは戦闘ではもうまるっきり役に立たず、魔物に攻撃しても全く歯が立たないし、魔物の攻撃を受ければ一撃で即死するありさまであった。そのたびに眉一つ動かさずに僧侶はキチジローを蘇生した。装備を整えようにもキチジローが装備できる武具はぜんぜん手に入らなかった。彼は戦闘になるたびに勇者たちからやや離れた位置で卑屈な愛想笑いを浮かべるよりほかにすることがなかった。遠くから投石したり、矢を放ったり、日々の戦いはもうとっくにそんなしろうとのごまかしが通用するレベルを通り過ぎていた。


しかしそれでも勇者はキチジローを冒険の仲間から外さなかった。勇者はキチジローはなんらかの種族に対して特効をもつのではないかと考え、新たな魔物と遭遇すると、


「キチジローさん、あれは見たことがない魔物だ。もしかしたら、キチジローさんはああいうタイプに圧倒的に有利なのかもしれない」


と発案してキチジローを矢面に立たせ、そのたびにキチジローは見たことがない手段で惨殺されて、蘇生されるのであった。


死んでも生き返るとはいえ、当然だが痛覚までなくなるわけではない。死ぬ間際までの苦痛の記憶はキチジローの脳にしっかりと累積されていた。圧死も焼死も凍死も失血死も、切られて貫かれて殴られた痛みも、すべて生々しい知覚としておぼえていた。キチジローの精神はほとんど限界に近かった。いや、冒険者の適性のない常人であればとっくに廃人となっていてもおかしくはなかった。こんなことはしらふでやっていられるわけもなく、キチジローは最近では街中であろうと戦闘中であろうとビールを飲み続けていた。しかしそのことを勇者は全く咎めることなく、むしろ逆に、


「ああしてビールスキルを常に発動させておけば、それだけスキルが有効にはたらく場面をキャッチできる確率も上がるものだ。キチジローさんもようやく世界を救う使命の重大さに目覚めてくれたらしい」


とよろこんでいた。


ついに勇者らは魔王の居城にアクセスする手段を確保した。魔法使いと僧侶は「これで世界が平和になる」と自らの偉業を褒め称えあったが、勇者は「まだ終わりではない」と諭した。


「わかってるって、勇者くん。魔王を倒すまでが冒険っていいたいんでしょ」

「うむ、いや、それも間違いではないのだが、おれにはわかる。魔王を倒してもまだエンディングではないだろう。ここまでプレイ時間は20時間ぐらいで、昨今のゲームにしては若干のボリュームの少なさを感じる。それに、まだレベルの上限までには余裕があるし、これはおれのベテラン冒険者としての勘だが、この後に大魔王が控えていると考えるべきだろう」


勇者、僧侶、魔法使いの同郷仲良し三人組が和気あいあいと宿屋の一室で過ごしているころ、キチジローは一人で近くの安酒場に行って、常人の致死量を超えるほどのビールを飲んで、帰り道で少し戻すと、不意に涙が止まらなくなった。ビールスキルのおかげでキチジローは悪酔い、二日酔いとは無縁だったのだが、おびただしい死んだ記憶を思い出して、気分が悪くなって戻したのだった。


しかしそれでもキチジローは勇者一行の魔王討伐についてきた。朝の集合時間に宿屋のロビーに姿を現した。これは必ずしもキチジローが誠実な人間であるとはいいきれず、なんとなれば、いったん勇者一行に加えられたならば、勇者から離脱の指示が出ない限りは、冒険者らが自らの意思で一行から無事に逃げ出すことなど不可能だからである。


魔王城でいくらかの新たな魔物に遭遇して、その都度、キチジローは新たな手段で命を散らして、甦らされた。


魔王を前に、ここまで案外苦労しないで進めてきた勇者一行も、さすがに身が引き締まる思いがした。使用する補助魔法や所持アイテムなどの打合せをして、そして当然ながら最初はキチジローがほとんど単身で魔王と戦う手はずとなった。


珍しく、酔っていないキチジローが勇者に語りかけた。


「なあ、勇者さん。こんな愚痴をここでいってもしようのないことは承知の上だが、どうしても聞いてくれ。やはりおれはなんの役にも立たないと思うんだがどうだろう。もちろん痛い目にあうことや死ぬことが嫌だというのもあるのだが、おれにだって正義感だの義侠心だのがちっとはある。けどね、もっとほかの有用なやつを連れてきた方が、ずっと効率的に世界を救えるんじゃないのかね。どうか、考え直してはくれないか」

「ハハハ、この期に及んで何をいまさら。おれはね、キチジローさん、世界を救う使命はもちろんあるけれども、あなたのようなキャラがなんのために実装されているのか、その神の意図を知りたいんです。もうこの際、特に何もなくたって構やしません。それはそれで年月が経てば笑い話の一つとして語り継いでいけますから。ああ、もうすぐ魔王の口上が終わりますから用意してください。ビール足りてますか。ほら、飲んで飲んで」


否応もなく、キチジローはビールLV7を発動させながら魔王のもとへ千鳥足で近づいていった。一瞬、魔王は怪訝な表情になったが、すぐに冷酷な顔へと戻り、躊躇することなくキチジローに向けて魔法弾を放った。


キチジローは即死した。跡形もなく蒸発した。ダメージ的にはキチジロー100人が死んでもおつりがくるほどの威力であった。が、すぐに僧侶が蘇生のプリーストスペルを詠唱した。この物語は、死んで生き返るとバフ、デバフ、状態異常がリセットされる設定だった。生き返ったキチジローは勇者からの「キチジローさん、ビール切れてるよ!」の指示に従い、恐怖に震える手で500ml缶を一気に飲み干した。


キチジローは飲み干した空き缶を魔王に投げた。攻撃のつもりらしかった。勇者は何かが起こることを期待してその様を凝視していたが、空き缶は魔王の脚に当たると「コン」と小さな音を立てただけで、床に転がった。ダメージ表示はなかった。魔王は一連の流れを憮然とした面持ちで静観していたが、何も起こらないことがわかると気を取り直して、普通にキチジローを攻撃して普通に殺した。勇者は「これも違ったかあ」と首をかしげると、魔法使いと僧侶に声をかけて、魔王と対峙した。


魔王戦はかけ値なしに死闘だった。勇者一行は持てる力すべてを振り絞った。床で冷たい死体となっているキチジローを生き返らせる余裕さえなかった。しかし結局のところ勝利の女神は勇者一行に微笑んだ。三人、満身創痍ながらも、ついに魔王を倒した。


「うはー、死ぬかと思った。いや、何回かは死んだけど、全滅するかと思った。状態異常耐性上がるアクセサリの方がよかったのかな。思ったより炎吐いてこなかったし」

「まあいいじゃない、とにかくこうして倒せたんだし」

「そうそう。ともかくいったん帰りましょ」


さっそく、魔王を倒した勇者一行は人間世界で一番偉いポジションの人物に報告に赴いた。偉い人は大歓喜し、今日はパーティーなどとはしゃいだが、果たしていずこからか大魔王の声があたりに響くと、そのへんの人間が無差別に100人ぐらい死んだ。大魔王の力をまざまざと見せつけられた人々は、世界を覆う闇がまだ晴れていない事実に絶望するのであった。


「大賢者様の話によれば、大魔王は魔界にいるらしい。というわけで、次は魔界にアクセスする手段を見つけねばならんらしいが……。ところで、何か忘れちゃいないだろうか?」

「あら、勇者くんもそうなの? 私も何か心残りがあるんだけど……」

「そうかしらねえ……。あ、キチジローさん」


魔王との戦いがあんまりにも壮絶だったため、勇者たちはキチジローを生き返らせることも死体を持って帰ってくることもすっかり忘れていた。慌てて、というほどでもないが、勇者たちは再び魔王城へ赴いた。魔物のエンカはなくなっていたのでさしてめんどくさくもなかったし、ついでに、取りこぼしていた宝箱なんかを回収しておいた。


「ああ、いたいた。どれどれ、よかった、この部屋ちょっと肌寒いぐらいだし、死体も思ったより傷んでない。僧侶、頼む」

「ほいっと」


魔王に八つ裂きにされたキチジローは何事もなく生き返った。もうこれまでに何度も見た光景だった。ところが、勇者たちの意に反して、再びこの世に生を受けたキチジローの様子は尋常さを欠いていた。突然大声を上げたかと思うと目を閉じて頭を抱えながらうずくまり、最後には床に激しく頭をぶつける始末であった。


「なんかやばいことになったのかな。ステータス異常は……へえ、発狂だって。いままで見たことないな。ま、いいや。僧侶、状態異常回復のスペルを」

「ほいっと」


しかしキチジローの様子は変わらなかった。キチジローは自分で自分の頭を破壊して死んだ。すぐに生き返らせたが状況に変化はなかった。


「なんだろうね、これ。大賢者様に診せてみようか」


勇者たちはキチジローを簀巻きにして、大賢者様のところに担ぎ込んだ。


「いかん、発狂は簡単には治らん。冒険者は死んでも五体満足で生き返るのは知ってるだろうが、記憶は引き継ぐ。その結果、人間のキャパシティを超えた恐怖や苦痛を浴び続けると頭が使いものにならなくなっちまうのさ。このものはよほど恐ろしい目にあったと見える」

「おれたちが見た感じですと、そんなでもなかったみたいですけど。実際、魔王と戦って、おれらだって何度か死んだけど、こうしてピンピンしてます」

「それはまあいろいろ個人の事情もあるのだろうが……。ふーむ、おぬしら、この男をどうしてもまだ冒険に連れていく気かね」

「もちろんです。キチジローさんはおれたちの大切な仲間だ。それに、おれはこの世の真実ってやつを見届けたいんです」

「そうか……。よし、わかった。少々荒治療になってしまうが、その男を救う方法を授けてやろう」


大賢者様がいうことには、人類の生活圏を外れたはるか北のかなたで巨人族が生活を営んでおり、彼らが飲むビールを飲ませればキチジローはそれなりには元に戻るかもしれないとのことだった。それでだめなら脳切除手術でもしてみようかと大賢者様はいった。


勇者一行は巨人族の地を目指した。人間と巨人が互いに不干渉の契りを結んで幾星霜。いま、勇者一行はその契りを破り禁を犯すわけであるが詳細は割愛して、なんやかんやあって勇者一行は巨人たちの信頼を獲得するに至った。


「ユウシャ イイヤツ オレタチ ナカマ」

「おうよ、いっしょに大魔王の野郎をぶっとばしてやりましょうや。さて、ところでものは相談だが、あなたたちが普段飲んでいるビールをいくらか分けてほしい」

「ビール ワケル カンタン デモ ダメ コレ ツヨイツヨイ サケ ニンゲン ノム コレ アタマ クルクルパー」

「だからいいんじゃないですか」


勇者一行は気乗りしない巨人を拝み倒し、巨人たちが飲むというビールを調達してもらった。


「どひゃあ、こいつはすごい。匂いだけでも酔っ払っちまいそうだ」

「さっきスペルで成分調べてみたけど、普通の人ならお銚子一本であの世逝きね」

「心配しなさんな、キチジローさんのビールスキルはこの日のために実装されたんだよ、きっと」


勇者らは酔い防止のガスマスクをしながら、暴れるキチジローの口をこじ開けてビールを流し込んだ。巨人たちは人間たちの常軌を逸した行為に「ムゴイ……」と顔をそむけた。


巨人のビールを強制的に流し込まれたキチジローは、意識を失ってぐったりとなった。おろおろする巨人たちをよそに、勇者一行は「死んだら生き返らせればいいから」と涼しい顔で答えた。


10分ほど経ち、キチジローは「ううう……」と二日酔いのやつそのものの苦しげな声を漏らした。勇者は「ビールスキルってすごいなあ」とつぶやき、魔法使いと僧侶は「やったやったキャハハハハ」と手を叩いてはしゃいだ。この二人はちょっと酔っ払ってしまったらしかった。


「わかりますか、キチジローさん。勇者です。状況は後ほど説明しますが、我々はこれから大魔王を倒しに魔界に行かねばならないのです」

「はあ……」


ひとまずは発狂の治ったキチジローを連れて、勇者らはいったん大賢者様のところに戻った。


「来たか。おぬしらの活躍はもうわしのところまで届いておる。まさか巨人族を仲間につけるとはな。あとは魔界で大魔王を倒すだけだの。ああ、その男、どうやら正気に戻ったようだな。よいよい」

「大賢者様、魔界を目指す前に一つ教えてください。どうしてキチジローさんは発狂したんですか。たとえば死亡回数が内部的にカウントされていて、それが一定回数を超えると発動するとかシステムだったりしますか」


大賢者様は「こいつら、そんなに殺したのかよ」と勇者に対して呆れるやら驚くやらしたが、そんな感情はおくびにも出さず、淡々と説明した。


「いや、そうではない。要はな、この男は地獄を見たのだよ。文献にも報告されとるし、わしもかなりむかしに一度だけ同じ症状を見たことがある。地獄を経験してそれを記憶した人間はだれもが不可逆的に正気を失ってしまう。最後は耐えきれずに自殺を選ぶ。それほど、地獄というのは恐ろしいところなのだ」


大賢者様の説明にいまひとつ当事者意識をもてない勇者たちは「へー」とあいづちを打つ程度であったが、キチジローは地獄という単語を聞いただけで青ざめ、度を失ったしぐさを見せた。


「この世界の人間は死ぬと生前の行いに応じて、天国か地獄か次の人生かに向かわされる。しかし一方、冒険者というのは死んでもそれらあの世には行かずこの世にとどまり、しかるべき処置を行えば何事もなく生き返ることができる。その男も冒険者であるからには、普通は死んでも天国だの地獄だのの死後の世界に行くことはないのだが……そのとおり、魔王と戦ったときだ。おぬしらその男を長時間放置してどこそこに行ったらしいな。冒険者とて無条件で生き返られるわけではなく、勇者の一行にあってこそ、それが可能になるのだ。その男は勇者殿と長時間関係を断っていたせいで、あの世の管理者が『ああ、こいつはもう冒険者じゃないんだな』と勘違いして、死後の手続きを行ってしまったんだろう。それで、その男は手違いであの世の一つに行ってしまったわけだ」

「なるほど、おおむね理由は承知しました。しかし、それならキチジローさんは天国とまではいかなくとも、この世に生まれ変わろうとしてもよかったじゃありませんか。なんで地獄なんかに連れていかれてそんな恐ろしい目にあわされたんですか」


勇者は純粋な疑問を投げかけた。大賢者様はそれに答えていいものかどうか迷った感じで、口をつぐみながら首を二度三度とひねった。すると、場の気まずい空気に耐えかねた感じで、キチジローが語り始めた。


「実は……おれ、人を殺したことがあるんです……。地獄に落ちたのはたぶんそれが原因で……」


キチジローは振り絞るような声で自らの罪を告白した。一世一代の勇気であった。しかし、勇者はあまり釈然としない感じである。


「そんなん、おれらだってこれまでの冒険で人殺してきたじゃん。積極的に殺そうと思ったわけじゃあないけど、行く先々のトラブルを解決する過程で相手が人間だったこともあったじゃない。それでまあ、殺そうとは思わなかったけど、死んでもいいやぐらいの気持ちでやつらに剣振るったの。後日に話聞いてみれば、それらの各地のやつらはけっこう死んじゃってたらしいけど、でもまあ、それは不可抗力というか緊急避難というか、ま、世のため人のためってことでもあるし、神様だってわかってくれるって」

「そうよねえ。あれを人殺しっていわれても私たちだって困っちゃうじゃない」

「放っておいたらもっと多くの善良な人々が死んだわけだし、そんなら悪人が死んでよかったって」

「いや、そうじゃあねえんです。ちょうどいい、僧侶さん、おれの懺悔を聞いてくれますか」


キチジローはうなだれ、唇を震わせながらぽつりぽつりと語り始めた。それによれば、数年前に元交際相手の女性を殺してその死体を自室の床下に埋めたのだそうである。それで、他人に部屋を探られるのを恐れて、理由を作って四六時中部屋に詰めていたのだそうである。キチジローの態度のわりには、第三者からすれば思ったより興味がわく話でもなく、勇者などは途中であくびをかみ殺した。


「よく自らの罪を話してくれました。キチジローさん、大変でしたね。しかしまあ、世界の危機の前にはそういった個人的な話はいったん置いときましょう。その女性だってここにいれば『いまはそれどころじゃないよね』といったはずです。まずは大魔王を倒して、それからじっくり考えましょうよ」

「これ終わったら自首しちゃおっか。それに、世界救ったってことになれば罪を減じてくれるんじゃないですか」

「そ、そうかね……。それならおれもこれからの冒険をがんばれるんだが……」


キチジローは大賢者様に救いを求めるようなまなざしを向けたが、憶測で希望をもたせるのも酷と感じた大賢者様はごまかすように視線をそらした。


ともあれ、キチジローは正気に戻った。以前の彼と比べれば、常に漠然とした恐怖におびえている雰囲気をまとっており、ときどきぽかーんと呆けたり、自分で自分の頭髪を抜きながら歯ぎしりをすることはあったが、それ以外はおおむね元に戻ったような気がした。ビールもよく飲んだ。キチジローの平素をご存じない勇者たちは、彼は本来こういう人間だったのだろうと考えることにした。


いろいろあったが、勇者たちは魔界に行った。勇者はいまもってキチジローの活躍の場を探していた。それは言い換えればキチジローが死ぬことを意味していた。キチジローは事あるごとに「勇者さん、絶対におれの死体を忘れないでくださいね」と念押しした。地獄についての詳細な内容は巨人のビールによって洗い流されたようなのだが、漠然と、尋常ではなく恐ろしい出来事であったというのは脳にしみこんで消えていないようだった。時には泣きながら土下座して懇願することもあり、しばしば勇者たちは持て余して、そういうときのやりとりは結局「まあ、飲んでくださいよ」と終わるのが常であった。


魔界の冒険は過酷なものだった。魔物は強いし、環境からして人間には適さないものだった。からかうつもりなど毛頭なかったのだが、「キチジローさん、地獄はここよりもひどいところだったんだろうね」と尋ねると、キチジローは泡を吹いて卒倒し、そのまま死んだ。勇者は悪いことをしたと少し反省した。


「結局、キチジローさんが有利な魔物はいなかったし、それなりに高レベルになったキチジローさんが転職できるレア職なんてものもなかった。キチジローさん専用の強い装備もなかったし、ビールLV10になったが、いまもって我々はその有効な利用法を発見するには至っていない」


勇者たちはとうとう大魔王のところまでたどり着いた。道中、いろいろあった。キチジローは精一杯死んだ。魔界に来る前、ありとあらゆる方法で殺されたキチジローであったが、魔界に来て初体験の死に方を無数に味わった。それを見せつけられ、世界は広い、と勇者はため息が出た。


キチジローはどうにか正気でいる、ように見えた。彼のモチベーションは地獄落ちを回避したいというただそれだけである。魔界でのキチジローの壮絶な死に様を見届けてきた勇者らは、地獄というのはそれほどにひどいところなのかと思い、これからも善良に生きようと固く誓うのだった。


「しかしだね、キチジローさん、最後に聞いてくれないか。ああ、ビールなら飲んでください。じゃんじゃんやってください。あなたのスキルはそのためにあるんだ。おれはまだあきらめちゃあいないよ。ウィザードリィIVというゲームのだね、あれのラスボス。エルフの忍者なんだが、こいつは基本的に無敵なんだ。どんな攻撃も通用しない。ところがこのラスボスに、ディンクというなんの使い道もないモンスターが攻撃すると、どうしたわけか倒せるんだ。ディンクの役目っていうのはゲーム中でそれだけさ。わかってくれたかい、キチジローさん。あなたはグレーターデーモンやデーモンロードじゃあなかったかもしれないが、ディンクなのかもしれない。唯一無二の役目だ。それじゃあ、そいつを飲み終わったら試してみようじゃないか」


キチジローは勇者たちに支えられながら、ふんらふんらした体幹で大魔王に近づいた。大魔王がひと睨みするとその魔力だけでキチジローは消滅した。せめて一発ぐらいはいれようと僧侶がすぐに蘇生させたのだが、大魔王の全身からはなんらかの魔力が絶え間なく漏れ出ているらしく、か弱いキチジローはそれだけで蒸発するのであった。


「勇者くん、これって無理じゃないのかなあ」

「そうねえ。仮に何かの奇跡でキチジローさんが大魔王に攻撃を当てられたとしても、その苦労を思えば別に有利な気もしないし」

「そっかあ。でもまあ、そういうものなのかもな。ファイアーエムブレムで成長しない役に立たないユニットなんてざらにいるし、ラジアータストーリーズもたくさんいる仲間の中で使えるのなんて一握りだった。キチジローさんもさほど深い意味もなく彩りとして実装されただけなのかもしれない」


勇者は手前勝手に納得して、そこからは魔法使いと僧侶と力を合わせて大魔王と戦った。詳細は省くが、幾度もの死線を良乱数で乗り切り、どうにかこうにか、勇者たちは大魔王を討伐した。今度は忘れずにキチジローも甦らせ、四人で帰還したのだった。


世界に平和が訪れて1年が過ぎた。キチジローは牢獄にいる。大魔王を倒した次の日、地元に帰ったキチジローは元交際相手の殺害の罪を自白した。キチジローの供述どおり、彼の自室の床下からは白骨化した女性の遺体が発見された。本来ならば極刑になるところを、世界を救った功績に免じて、禁錮5年に罪を減じられた。


「職員さん、本の購入をお願いできますか」

「お安いご用さ。申請書を持ってくるからちょっと待ってな」


キチジローはここでの暮らしも悪くはないと感じていた。もう彼女の死体が発覚することにおびえる必要はなくなったし、悪夢も見なくなった。酒精の世界に逃げる必要もなくなった。大魔王を倒してからいままでずっと、キチジローはビールスキルを発動させることなく過ごしていた。何より、殺されないのがいいとしみじみ感じていた。投獄直後、キチジローはほとんど廃人となって下の始末すら職員たちの手を焼かせたが、いまではすっかり穏やかな日々を過ごせている。


「なんだね、あんたら……。あ、こりゃあどうも……。知らぬこととはいえとんだご無礼を……」


牢獄で繰り返される毎日に慣れた身にとっては、少しの例外にすらただちに反応できた。キチジローはだれか尋常ならざる人間がこの牢獄にやってきたことを確信した。


「やあ、キチジローさん。元気にしておりましたか。いえね、このあいだDLCで追加ストーリーが実装されたんですよ。もちろん新規のボスも新規のアイテムも大量に追加された。キチジローさん、今度こそあなたとあなたのスキルが輝く場面があるはずだ。ややもすればビールスキルの上方修正が入ってるかもしれない。たのしみだなあ。じゃあ、さっそく旅に出ましょう。そう、いますぐただちに着の身着のままで」


勇者は牢獄のカギを勝手に開けるとキチジローを引きずり出した。キチジローは気が遠くなる思いがして、そのまま正気を失ってくれればと思った。しかし、こいつらはそのぐらいではあきらめないことはもう身にしみていた。いっそ殺してくれとも思ったが、それすら無意味なことも知っていた。

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