第3話

「おはよう、莉花ちゃん」

「吉原さん、おはよう」


 朝、玄関ホールで吉原さんに声をかけられた。彼女はジャージ姿で片手にバスケットボールを抱えていた。


「朝練だったんだ、今日」

「そうなんだ、まだやるの?」

「もう少しね」

 

 朝から爽やかな吉原さんを見て私は、学校指定のジャージがこんなにオシャレに着こなせるのは彼女しかいないだろうなんて考えていた。


 私が気を取り直して「そっか、がんばって」と声をかけると、吉原さんは「ありがとう!」と笑顔で手を振って体育館へ駆けていった。


 それからというもの、教室移動の廊下や図書室、登下校時の玄関などで吉原さんと会って会話することが増え、私たちは友達と呼ぶには十分な関係になっていた。この短期間で仲良くなれたのは好きなバンドやマンガが同じということもあるだろう。接点なんてないと思っていたけど実は今までこんな偶然はあって、私は気づかずに過ごしていただけなのかもしれない。


「莉花、今日からバスケ部テスト休みなんだ。一緒に帰らない?」

「うん、図書館行くから途中までだけどいい?」


 ある日の昼休み、吉原さんが私のクラスまでやって来た。私の返事に瞬きをして首を傾げている。


「図書館? 本借りるの?」

「ううん、お母さんが夜勤明けで寝てると思うから、夕方まで勉強して帰ろうと思って」

「そうなんだ。だったら……」


 ここからは思いもよらずの急展開だった。


「ここ、私の部屋だから。好きなとこ座ってて」

「うん。ありがとう」


 吉原さんは「図書館じゃなくて私の家で一緒に勉強しよう」と私を誘ってくれたのだ。

 浮かれてついて来たものの、一歩足を踏み入れれば他人の部屋の香りに包まれ、それが片思いの相手だという事実で落ち着かない。テーブルの前に座ったが、ついキョロキョロと部屋を見渡してしまう。

 テーマパークで買ったであろうクマのぬいぐるみとか、オレンジのカーテンとか、かーわーいーいー。私は脳が麻痺しそうになっていた。


「莉花、ケーキあったから先に食べよう。蒼人あおと……あー、兄貴は帰り遅いと思うし」

「いいのかな? 帰ってケーキなかったら吉原先輩悲しいんじゃない?」

「大丈夫、今日はよそでおいしいおやつ食べてるはずだし」

「そう、じゃあいただきます」


 私は吉原さんと並んで、彼女に差し出されたチョコレートケーキを食べた。彼女の部屋で、しかもずいぶんと近くに座っているせいか、たぶんおいしいケーキなのに全く味がわからない。


「やっぱり、莉花って優しいよね」

「え? どうしたの急に」


 ケーキを食べて終えてお茶を飲んでいると、吉原さんが呟いた。私が首を傾げると、彼女はこちらを向いて優しい笑顔を浮かべていた。


「さっき、話したこともない兄貴のこと気遣ってたでしょう? それに、お母さんをゆっくり休ませてあげたくて外で時間潰そうとしたり……」


 私はなんだか気恥ずかしくなって誤魔化すように彼女から視線を逸らし返事をする。


「そんな大したことじゃないよ。ケーキはウチだったらお姉ちゃんがうるさいからだし、お母さんのこともちょうど勉強したかったのもあったからだし」

「大したことだよ。他にも学校でも廊下とか玄関のゴミを拾って捨てたり、掃除のとき、急いでる子とゴミ捨て代わってあげたりしてるの見たこともあるよ。誰が見てるわけでもないのに自然にできるのってすごいと思う。私は、そういう莉花が好きなんだ」

「え……?」


 今なんと? 

 私は自分の耳を疑った。そして俯いていた顔を上げて吉原さんを見つめた。

 途端に彼女の頬は赤く染まり、私を見つめもう一度口を開いた。


「莉花。私、莉花のことが好きだよ」

「は、はい……」


 あまりの衝撃に、情報が処理できない。

 そもそも「好き」の返事が「はい」って、私は一体何様なんだ?


「莉花は? 私のこと、どう思ってる?」


 吉原さんは頬を染め、目を潤ませ、私に問いかけてくる。

 夢にまで見た瞬間だ。私は深呼吸をしてもう一度彼女を見据えた。


「私も……好きです」

「よかったー!!」


 吉原さんが私の手をぎゅっと握りしめた。その手は少し汗ばんで、少し震えていて、彼女が勇気を振り絞ってくれたのが伝わって、私は胸が熱くなった。


「じゃあさ、私の彼女になってくれる? これからは美波って呼んでほしい」

「こちらこそ、よろしくね……美波」


 私は念願叶って美波と恋人になった。その後は正直勉強なんて手につかなくて、教科書とノートを眺めてから美波と見つめ合い笑顔を交わす、甘い時間を楽しんでいた。


「じゃあ、そろそろ帰るね」

「うん、本当に送らなくて大丈夫?」

「まだ明るいし平気。ありがとう」


 夕方になって帰宅しようと私は美波と部屋を出た。階段を数段降りたところで階下の玄関が見え、そこにはうちの学校の制服を着た男女が立っていた。


 その光景に、私は思わず「あっ」と声を漏らしてしまった。


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