ゲーティアvsアイザック・ニュートン 2
観客は皆、そこが危険である事を察していた。
運営もまた、会場が危険である事を理解していた。
だが誰もその場から動かなかった。誰も逃げようとしなかった。誰もこの戦いから目を離そうとしなかった。
さながら、龍退治に挑む勇者の如く。
さながら、魔物討伐に挑む英雄の如く。
目の前の悪魔を倒さんと立ちはだかるアイザック・ニュートンという科学者に、人々は羨望と期待。そして希望と祈りを籠めた眼差しを向けていた。
伝説の一部を切り取ったが如き光景を前に、返す踵は存在しない。
これから繰り広げられる戦いが、転生者大戦の歴史に残る名勝負となる予感を感じて、人々は自らの命を一時的に放棄していた。
ニュートンは不適にほくそ笑み、ゲーティアは右手を持ち上げる。ゲーティアの手刀がみるみる硬く、薄くなっていくと、ゲーティアの手が本物の刀剣と化した。
【両断……!】
ニュートンの双眸が光り輝く。
リンゴ色の双眸は宝石が如き輝きを得て、紅玉の光を以て悪魔を見つめた。
すると、どうだ。先程は破られた斥力による防壁が、更なる攻撃力を獲得したゲーティアの一撃を受け止め、徐々にだが押し退けようとしていた。
が、ゲーティアも退かない。
先と同じ様に、力尽くでこじ開けようとしてくる。
それより先に、ニュートンが動いた。指先で宙に何かを描く。出鱈目に動かしている様に見えるが、ガレリオ含めた数学者は、それが数式である事をすぐに認知した。
数式の解を得たニュートンの指先から、真っ赤な光が解き放たれる。
「即席術式……“
常時展開していた斥力を、刹那の間に凝縮。
数倍に重ねられた斥力によって弾かれたゲーティアの右腕手刀が、木っ端微塵に砕け散る。
腕はすぐさま、自切した蜥蜴の尻尾が如く生えて来たが、ゲーティアの人ならざる顔に曝け出された表情は、激痛を訴えていた。
その瞬間、ニュートンが動く。
自らの両足の裏に瞬間的に斥力を発動。これを連続して行なう事で、今までになかった高速移動を可能とする。
そのまま自身に接近。“
オリンポス十二神ヘルメスも驚きの速力と軌道で駆け抜けたニュートンの体は、酷使し続けたせいで内側から崩壊しつつあったが、そんな事は気にしない。重ねに重ねたフェイントのお陰でようやくもぎ取った背後から、“
深々と体に入った足刀に抉られるゲーティアは黒血を嘔吐。砕け散る鱗が守っていた肉の更に内側に閉じ込められていた臓器を、圧し潰す。
ゲーティアは背中から鋼鉄の翼を展開。両翼を広げ、鋼の羽を射出するが、どれだけの数を射出しても、ニュートンの動きを追い切れない。
ゲーティアは一度に射出する羽の数を倍に増やすが、そうすると再生が追い付かず、ゲーティアの五体は徐々に空中に留まれなくなっていく。
「どうした! 怒りで思考回路がイカれたか?! どんな時でも平常心でなければ、俺を倒す式は解けないぞ、ゴエティア!」
【我はゲーティア! 七二の悪魔を従える者にして頂点! 万象滅却の魔王也!!!】
ゲーティアが再度両翼を広げた瞬間、ニュートンが動く。
今まで動き回っていたニュートンが止まったかと思えば、今度はゲーティアがニュートンへと引き寄せられて、体の自由を奪われた。
更に追い打ちを掛けるが如く、ニュートンは高速移動の衝撃で折れ曲がった指先でまた、数式を描く。
そしてまた解を得ると、床に両手を叩き付けた。
ゲーティアの体が、その叩き付けられた床へと引き寄せられていく。
そうして体の自由が効かなくなったゲーティアへと跳び込んでいったニュートンの掌底がゲーティアの胸に決まると、床への引力は消え去って、今度はゲーティアへと様々な者が引き寄せられていった。地下に格納されていたトレーニング機材や砕けた床の瓦礫。鉄の塊が次々とゲーティアへ引き寄せられ、雪だるまのように膨らんでいく。
「“
ゲーティアを核に、極小の鉄屑の星が作り出される。
が、ゲーティアから伸びる黒い枝のような爪と牙とが鉄屑を突き破り、周囲を襲う。
“
息もつかせぬ攻防。
実況が時折解説を挟むものの、観客の耳にはもう届いていない。
最新鋭のドローンが映し出す神話のような戦いに惹き付けられて、人々は声援を送る事も忘れて見入っていた。
「ケッケッケッ。皆がこの戦いに見入ってやがる」
「そりゃそうだよ……今まで、こんなに異能を使った試合なんてほとんどないもの……」
「それだけじゃねぇ」
観客席の通路にチラチラ見える。
この戦いを見て、万が一に備えて来た強豪チームの面々が、この戦いに見入っている。
出来る事ならニュートンに勝って欲しい。けど、ゲーティアの計り知れないスペックは恐ろしい。二つの感情が入り混じった彼らの目は、このどちらが勝つかわからない戦いを緊張と共に見届けんとしていた。
不適なのはわかっている。
が、これこそ南條の求めたエンターテインメント。
強者が勝って当たり前。そんな常識を捨てた、勝って欲しいと願われる者達の戦いが今、繰り広げられているのである。
尤も、今のゲーティアを応援している者が、果たしているのかは疑問だが。
「てめぇはどうなんだ? なぁ、ヴィクトル」
チームヴィクトリア監督、ヴィクトル。
彼は今、心底怯えていた。
勝っても負けても、彼を迎えるのは地獄のみ。
非難、罵倒、バッシング。これから来るだろう言葉の暴力と叱責を考えると、恐ろしくて仕方がない。
だがそれ以上に、負けるのが怖い。
最早ソロモンが戻って来ようが来まいが関係ない。これからはゲーティアを主戦力に置けばいいだけの事。
これからも勝って勝って、勝ち続ければ、誰も文句など言うまい。誰も罵倒などすまい。非難などすまい。
勝てば誰もが認める。認めざるを得ない。
そうして今まで実績を積み重ねて来た。
「勝て……ゲーティア勝てぇぇぇい!!!」
貪欲なまでの勝利への渇望。
渇き切った獣の咆哮に応えるが如く、ゲーティアは全身から壊光線を解き放つ。
突如として解き放たれたうちの一つが、ニュートンの脚に炸裂し、ニュートンの左足が消失した。
同時、引力が解除されて鉄の中からゲーティアが這い出て来る。
今まで開かれていなかった口を開き、唾液を漏らしながら四肢を突いて這う姿は、まさに獣。
彼もまた、数万年ぶりの解放と自由を手にするため、勝利に餓えた獣と化していた。
片脚を失い、片膝を突くニュートンは皺を寄せた眉間に指を当てて考える。その指が再び数式を書こうとした時、ゲーティアの体から伸びる得体の知れない、けれど絶対に良くないとわかる何かが伸びて、ニュートンを襲って来た。
片脚だけの斥力付与ダッシュで逃げるが、先までのような機敏さはない。攻撃自体は避けられるが、漏れ出る血液によって体力を消耗させられる。
【我は……我はゲーティア! 魔王ゲーティア! いずれ地上の全てを支配する者也!!!】
この瞬間、試合終了後のゲーティア討伐は決定された。
ゲーティアが支配を望むなら、彼をこの世界に留める訳にはいかない。
だが今は、今の間だけはダメだ。今はまだ、彼の試合だ。
「式さえ書かせなきゃ、俺に勝てると思ったか? 馬鹿だろ、おまえ。依り代にしているソロモン王の方がよっぽど頭が良さそうだ」
【なん、だ、と……?!】
「これでも数学者だぜ。暗算くらい出来ねぇでどうするよ。てめぇを倒すための式はもう出来た。後は、それが正しいか否か、証明するのみだ」
ニュートンのリンゴ色の双眸が、光る。
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