ソロモンvsアイザック・ニュートン 4
一瞬だが、走馬灯を見た。
いや。一瞬だけ見るから走馬灯なのか。
ともかく、そんな事はどうでもいい。
走馬灯の中で、誰かも知らない人の顔を見た。
だが何処かで会ったような、そんな既視感もあった。
きっといつか、街の何処かですれ違い、何かをきっかけに一言二言会話して、そのまま背を向けて二度と会わなかった程度の人。
そんな人物が、どうして自分の走馬灯に出て来たのかは、謎だが――今はそれどころではない。
「思いっきり殴られた……親父にも殴られた事無かったんだが、こりゃあひでぇ」
肋骨はまず折れている。おそらく二本。
そして他にも三本程度、ヒビが入っているだろう。
殴られた一瞬で潰された臓物の中身を血と共に嘔吐させられたせいで、体内の水分が足りない。お陰で、酷く鬱屈とした気分だ。
この表現が正しいのか否かは定かではないが、それすらもどうでもいい。
今この状況をどうにかしない事には、先の事など考えても無駄になるだけなのだから。
「怪物ごっこか。俺も昔は、悪魔を倒す騎士に憧れたものだが、俺に騎士役をさせてくれるにしては、ちょっと気合が入り過ぎじゃあないか? ソロモン王」
かまを掛けたが反応無し。
わざとシカトしているのだとしたらかなり腹立たしいが、だからと言って浅慮に動いてはこちらの寿命が縮まるだけ。
ちょっと馬鹿にしただけで、ここまで爆発するとは思わなかった。
叡智の王だ何だともてはやされたのだろうソロモン王の人生において、彼を蔑む言葉は少なかっただろうし、蔑まれる機会さえなかっただろう。もしかしたら、一度も罵倒なんてされた事がなかったのかもしれない。
そんな男が人生で初めて罵倒されたら、受け止め方など知るはずもなく――いや。だとしても限度があろうが。
怒りに我を任せるがあまり、悪魔に体を明け渡し、乗っ取らせるなど。
【ソロモンではない……我は魔王ゲーティア。ソロモンに叡智を齎し、栄光と栄誉を与えた悪魔達の原典。我こそがソロモンの叡智であり、我こそがソロモンの力そのもの。故に、ソロモンの侮辱は我の侮辱。貴様はここで、確実に、殺す】
「あぁ……つまり俺は、王様の地雷を踏んだ訳ね。に、しても……思ってた以上に、ガキだねぇ、ソロモン王って。あの程度でキレるんじゃないよ、全く――」
【……消えよ】
拳に纏う暗黒。
絶対に喰らってはならないだろう一撃を、ニュートンは苦笑しながら避けた。
壁と自分を反発させて跳び退くと、ゲーティアの頭上を取り、ゲーティアの巨体を見えない力――おそらく重力――で地面に押さえ付けた。四つん這いになったゲーティアの両手両足が、深々と沈んでいく。
が、ゲーティアは背中にクジャクの尾を想起させる豪奢かつ怪しい翼を生やし、両翼を広げて、両翼から羽を発射。鋼鉄の羽が散弾の如く、ニュートンに迫る。
今までよりも強い斥力を展開して跳ね除けるニュートンだが、腹を打たれた影響で余裕はない。故に、狙うは短期決戦。
一撃で仕留める。
“
この一撃で仕留めきれずとも、追い詰める。
「“
解き放った重力球。
球体の中心に引き寄せるよう強い引力が働き、中心に引き寄せられれば引き寄せられるほど、強い斥力によって押し潰される。
相反する二つの重力が融合する球体に閉じ込められたゲーティアの肉体は、跡形もなく消滅する。紛れもなく、人間相手に使う技ではない。禁じ手も禁じ手の禁忌。
異世界での生活においても、ニュートンがこの技を人間相手に使った事はない。
この戦いでも、ソロモンがゲーティアに成り代わらない限り、使う事はなかった。
「引き寄せられながら弾かれる。二つの相反する力によって、体はバラバラに引き裂かれる。極小のブラックホールから無理矢理同じ力で引っ張られるようなもんだ。耐えられるもんなら、耐えてみな!」
とは言ったものの、耐えて欲しいはずはない。
這い上がって来て欲しいはずもない。
これで終われと祈りを籠めて、これで終わらせるため力を籠めて、ニュートン渾身の一撃が、ゲーティアを葬り去らんとした。
「お願い、ニュートン……ニュートン、決めて……!」
安心院もこれ以上なく祈る。
当人曰く、人生で本当に初めて使った一生のお願いを籠めて、両手を組んで祈った結果、祈りは、気泡のように打ち砕かれた。
【我は魔王。魔王ゲーティア。貴様ら如き規格で、我を滅ぼす事など出来ぬ】
自ら上半身を引き裂いて、自ら片腕を引き千切って、ゲーティアは自らを投擲。
ニュートンの体に深々と、ゲーティアの腕が突き刺さっていた。
更に追撃の眼光が光るが、ニュートンの重力が全ての目玉を押し潰し、追撃を回避。自らゲーティアの腕から逃れ、フラつきながらも辛うじて持ち堪えた。
酩酊したような足取りでフラフラと回りながら、引き抜いた反動で後ろによろめき、壁に手を突いて何とか止まる。
腹部に大きく空けられた穴から、自分が生きている事が不思議に感じられる中、ニュートンは苦しい呼吸を繰り返しながら天を仰いだ。
相手はまだ、体を再生中。
せめて、諦めるくらいの時間はある。
そういえば、結局、先の走馬灯で見た人物は一体――
「ま、どうでもいっか……」
周囲の雑踏が騒がしい。
周囲の景色が鬱陶しい。
こっちはもうすぐ死にそうなんだ。せめて最後くらい、静かにしてくれ。
「小僧、苦しいか。痛いか。寒いか」
騒がしい声の中で、やけにハッキリと聞こえる声がした。
空いた腹の底にも響くような、存在感のある声だった。
何処から聞こえたのか、不思議とすぐにわかった。
「結果には、全て原因がある。おまえが今苦しんでいるのも、痛がっているのも、寒がっているのも、それはおめぇ、自分がまだ諦めてねぇ証拠だ。生きていようとしてる証拠だ。まだ足掻こうとしてる証拠だ」
そこにはあの人が立っていた。
走馬灯の中で見ただけの人。
実際に会った事がないはずなのに、初めて会った気がしない。その顔に、その姿に、見覚えがある。
「諦める理由を探すな。逃げる術を探すな。責任を取れない人間が、科学者である資格はない。おめぇも科学者の端くれなら、おめぇの未来はおめぇが作れ」
曰く、ニュートンはその人の死んだ年に生まれたとされた。
その人は天文学、もしくは、近代科学の父と呼ばれ、当時太陽が動くとされていた世界で、地球が動くと信じ、真の星の在り方に最初に気付いた人間。
グレゴリウス暦とユリウス暦とで数え方が違うから真偽のほどはわからないけれど、同じ科学者として、アイザック・ニュートンは彼の生まれ変わりではないかとさえされた。
名を――ガリレオ・ガリレイ。
「そら。まだおめぇの頭は、回れるだろ。おめぇの頭は、諦めてねぇだろ。奴が本物の悪魔だって言うなら、教えてやれ。我らが
背後から襲い来るゲーティア。
ニュートンの腹を貫いた手刀で、今度は首を断ちに来る。
が、ニュートンの力によって首のすぐ後ろを通り過ぎて、空振りに終わらされたゲーティアの顔面に、ニュートンの拳が減り込み、ゲーティアの巨体が首から全身に掛けて回りながら吹き飛んでいった。
「悪魔がどんな文字を使うか知らねぇが、数字は神々の齎したアルファベットだ。つまりこの世界は、俺達の世界だ。それを証明しろ! 科学者として!」
「なるほど……そりゃあ、面白そうだ」
苦しくも、ニュートンは楽しそうに笑った。
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