ハサン・サッバーハvsシャルロット・コルデー 3
イスラム教。
キリスト、ユダヤと同じ一神教の宗教であり、様々な宗派が存在する。
その中の一つを纏め、暗殺教団を設立し、開祖にして始祖とされたのがハサン・サッバーハ。後に、山の翁と呼ばれる男であった。
幼少期からイスラム教と触れ合い、家族で偶像もない神を信じていた。
家族が皆信じているが故、違和感も疑念も抱かない。
だが、何処かフワフワとした気分ではあった。
偶像崇拝を許さない故、時折何を信じているのかわからなくなる。
神様ってどんな人だろう。神様は何をして欲しいんだろう。本当は祈りではなくて、何か別の物を捧げて欲しいのではないのだろうか。
そんな疑問を抱いてから、ハサンは勉学に励んだ。
数学。天文学。イスラムの宗教諸学とその研究に青年時代を費やし、当時のイスラム教シーア派の一つ、イスマーイール派が派遣した宣教師の下を訪ねた。
「私は、私は神様に何をすれば良いのでしょうか。私は、神様に何が出来るでしょうか」
「子供風情が、我らが神に対して何かするだと? 烏滸がましい。いいか、おまえみたいなガキはなぁ――」
「面白い事を言うなぁ、おまえ」
「アミーラ様!」
ハサンは後に語る。
この男。アミーラ・ザッラーブとの出会いこそ、運命の出会いだったと。
「神様に何かをして差し上げたいってか。なるほどなぁ。ならまずは……おめぇが、誰からも信じられる男に、それこそ、神様からもあ信じられる男になるこったぁなぁ」
「神様からも、信じられる男に……」
「そうすりゃあ、きっとあの方は示して下さる。おまえに何をして欲しいのか。おまえに求める役目って奴をなぁ」
「役目……!」
この時より、ハサンは人々に信じられるよう尽くした。
信頼を得るために行動し、信頼を得るために考え、信頼を得るために努力する。
勉学に励み、研鑽を重ね、鍛錬を積み、人々の信頼を勝ち取っていった結果、アミーラと同じイスマーイール派への正式加入が認められ、更に功績が認められると、イスラム王朝――当時のファーティマ朝へと招かれ、宮廷での研究を認められた。
その後も宣教活動で大きな功績を残し、砦の一つを奪取。そこを拠点として、ハサンは拠点の主となった。
その拠点を中心として、イスマーイール派から派生した彼の派閥。ニザール派の活動は活発化し、勢力を徐々に巨大化させていった。
そして王朝の世代が変わり、新たな指導者がニザール派を支持した。
彼を信じた人々が付いて来た。彼の事を、王朝までもが信じた。信じられる人間になれた――ハサンは自らの役割を、敵陣城砦の奪取や要人暗殺と言った、敵から奪う物だと見出した。
そんな彼を信じ、集い、彼を信頼――信仰した者達によって、暗殺教団の原点たる、アサシン教団が完成。ハサン・サッバーハは
「ったく、変わらねぇなぁ……信仰ってのはぁ」
爆風で巻き上げられた遥か上空から競技場全体を見回し、自分を信じて祈る信徒らに零す。
身を翻した彼の体は建物と建物の間で止まり、宙で立ち上がった。
「信じる者は救われる、か。そりゃあそうだ。祈りは救いだぁ……信仰も救いだぁ……自らの身に起こった不運や絶望的な出来事。理解出来ない物事に理由を付けて、必死に納得しようとする。それもまた、救いだぁ……」
シャルロットは銃口を向ける。
が、引き金を引くより前にハサンの立ち姿が反転し、蝙蝠のようにぶら下がった。唐突に逆転した標的に、シャルロットは動揺を禁じ得ない。
更に再度標的を見据えて構えると、ハサンはまた翻り、建物の中へと隠れてしまった。
シャルロットも撮影用ドローンも彼を探すが、黒い影の破片さえ見つからない。
だが彼の気配は、意識は、殺気は、シャルロットの周囲を彷徨って、纏わりついて、隙を突かんと狙っていた。
周囲のあちこちから、絶えず感じられる気配に臆したのか、シャルロットは銃を乱射する。だが全ては、無駄撃ちでしかない。
「おまえは……自分自身を信じるんだっけか? 立派だなぁ。そう簡単に出来る事じゃあねぇ。歴史に刻まれるだけの事をやったおめぇは、すげぇんだろうなぁ……だが、惨めだなぁ」
「
「惨めだろ? 誰に任された訳でもない。誰に託された訳でもない。誰に頼られた訳でも、信じられた訳でも、背中を押された訳でもない。おめぇ自身が勝手に走って、先走って、早とちりして、そのまま突っ切ったのがおめぇの人生だろ? それで最後は処刑台……惨めだなぁ! みっともねぇなぁ! 自分自身を信じるなんて、そんなのただの自己満足だろ?! 美談みたいに語られてるが――」
「ああああああああ!!!」
思いっきり地雷を踏まれた。
ハサンとシャルロット。奇しくも二人は相性が悪過ぎた。
他者から信頼を受けて、次第に信仰を受けて神にまで近付いた男。
自分で自分を信じ、自分の信じた道を突き進んだ結果、斬首された女。
信じられる者と信じる者。相対すれば、これだけ相性の悪い間柄もない。いつの時代も、信仰は人々どころか、国の間にも亀裂を作る。
滅茶苦茶に乱射される弾幕の中、突如上の階層が爆破。先の爆弾だろう爆破の連鎖によって落下してくる瓦礫を伝い、ハサンが走って来る。
シャルロットの懐に入ると腹を蹴り払い、鎖を引っ張って繋いでいた瓦礫同士を引き合わせ、シャルロットを閉じ込めた。
「奇術師顔負けの暗器も、手も足も拘束しちまえば文字通り手も足も出ねぇよなぁ。にしても、随分と呆気なく挑発に乗ったなぁ……ま、その方が楽だからいいが。どれ、また首を斬って落としてやるか。今度は頬を引っ叩く奴はいねぇから、安心しなぁ」
「……に……を……」
「あ?」
『な、なんだ?』
実況も音を拾おうとするが、ドローンの高性能マイクでも拾いきれないほど小さな声で、シャルロットはずっとボソボソ何か言っていた。
術の詠唱か。何かの呪文か。神頼みか。
いずれにせよ、ここまでの戦いを見る限り、シャルロットには今の状況を打破出来る手段はないと誰もが思った――ただ一人、
「南條? どうしたの? もう、諦めちゃった?」
「馬鹿が」
「そうだよね……あんな勝手な事をされた挙句――」
「そっちじゃねぇ! てめぇに言ってんだ、
「……!」
「あ?」
シャルロットが、笑った。
水を得た魚のような。獲物を仕留めた獣のような。生き生きとした笑顔を見せた。
南條の意思が、まだ戦えるだろと問いかける声が、彼女に届いているはずがない。物理的にはあり得ない。
だが、彼女は信じていた。南條なら、自分を信じてくれていると。
「神に、崇拝を……天使に、信仰を……悪魔に、慈悲を……信じる者は、救われる。信じぬ者に、救われる価値無し……!」
自己革命、完了。
私は、
「……?!」
翼も無いシャルロットが飛翔。瓦礫を吹き飛ばし、鎖を引き千切り、光輝を纏って飛翔したコルデーは、鋼の鎧――当世で言うところの、パワードスーツに身を包んで、背中には白銀の翼を宿していた。
朝焼けに焼かれ、光り輝くその姿はまるで、天使――。
「天使? 天使だと?」
たかが人一人殺しただけの、革命の中で行動しただけの、現実と妄想の区別も付いているかわからない少女一人の、何処が天使だと言うのだ。
誰も救えていないのに。
何も変えられていないのに。
そんな彼女が、天使?
「ありえねぇだろうがぁぁぁ……」
首を、顔中を掻き毟る。
ハサンは気付いてしまった。
生きている間にこそ彼女は信頼を勝ち取れなかったかもしれないが、彼女は死して勝ち取ったのだ。信頼を。信心を。信仰を。故に称えられるのだ、天使と。
「ふざけんなよなぁぁぁ!!!」
二つの瓦礫に引っ掛けた鎖をバネにして、高々と跳躍。
跳びかかったハサンの斬撃が、シャルロットの暗器と激突した。
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