アステリオスvs武蔵坊弁慶 4
何度か斧を揮えば、大きな人間は瞬く間に逃げていった。
誰もが迷宮から出ようとして、自分はそれを追い掛けて、涙を流しながら何か言う彼らの頭を、自分はうるさいと思って握り潰した。
小さな人間達は自分を見るだけで逃げた。
少し脅かしただけで泣いて、鳴いて、啼いて。うるさいから食べてしまった。
女を抱く心地良さを知ってからは何度か行為もしたが、皆が最後には泣いてしまうから、やっぱりうるさくて食べてしまった。
タスケテって何だ。
ユルシテって何だ。
自分を見た人間達は皆、最後には同じ事を言って泣きじゃくる。
それが堪らなくうるさくて、壊してしまえば、食べてしまえば静かになると知ったから壊しただけで、食べただけで、自分は何も悪くないはずなのに、皆は寄ってたかって自分を悪者と言って閉じ込めた。
母からも、光からも自分を遠ざけて、暗く長い、ずっとずっと続く道の中に置き去りにした。
だけどこの人は、目の前に現れたこの人間は、逃げない。逃げたと思ったら向かって来る。背中を向けたと思ったら、次の瞬間には反撃して来る。
「来い」
そして遂に、自分に来いと言って来る。
初めてだ。
静寂を求めるための破壊でもなく、静寂を伴う食事のためでもなく、遊ぶために立ち向かう。そんな相手が、まさかこの世で出来るだなんて。
異世界だか何だか知らないが、何処に行っても自分は怪物で、何処まで行っても自分は化け物で、何処へ行っても自分は異質だった。一人だった。孤独だった。
そんな自分の、生涯初めての遊び相手。
これほどの歓喜が、これほどの愉悦が、此の世に存在したなどと、誰が思うただろうか――よもや遠き東方の異国に、このような男が現れようとは。
ようやっと、ようやっと会えた。
テセウスさえなってくれなかった、最高の遊び相手と。
「があああぁぁぁっっっ!!!」
『アステリオス渾身のタックル! が、弁慶は全く動かない!』
動かないどころか、弁慶はアステリオスの角と腰を持ち、両脚を払って横綱も顔負けの二丁投げで叩き付けた。
まともに受け身さえ取れなかったアステリオスは、また呼吸を奪われる。
すぐさま立ち上がって体を起こした勢いのまま突進するが、繰り出した頭突きを躱されて両腕でガッシリと腰を掴まれ、バックドロップで脳天から叩き付けられた。
相撲から突然のプロレス技。更に次に繰り出されたのは、テコンドーの踵落とし。
来いと発してから一度もその場を動かずにいる弁慶の足は、立ち上がろうとしていたアステリオスの首を穿ち、再び地に沈めた。
『弁慶怒涛のラッシュ! これまでのダメージを感じさせない一方的な攻撃が続く!』
「あれが、弁慶が異世界で手にした異能……」
「ケッケッケッ、ようやくお披露目か。その場から一歩も動かない事を条件に発動する、肉体強化術式――」
曰く、“
「条件はただ一つ、動かない事。その場で座るくらいは出来るだろうが、他には何も要求しない。だがその、その場から動かないっていう縛りが、戦闘にどれだけ影響するか」
四肢を突いたアステリオスは、その場から大きく飛び退いた。
が、その場から動けない弁慶は追い掛ける事が出来ない。かと言って、引く事も出来ない――というよりも、そもそも引くという選択肢がないから、今の場所を選んだのだ。
後ろは突き当りで壁しかない。
壁を壊せば道は出来ようが、戦闘中に背を向けて通路なんて作ってる暇はない。
左右も壁で隔たれているため、アステリオスが来るのは前方のみ。先程壁を突き破ってしまったので、左側からの攻撃を許してしまったが、その程度ならまだ対応出来る。
複数を相手するにはまるで使えない限定的な能力。だが対人戦で、それもこうした閉鎖的空間内での戦いにおいて、これ以上強い能力はないだろう。
炎が出たり冷気を吐けたり、雷を操ったりは出来ないが、タイマンならばまず負けないという自負が弁慶にはあった。
あの日だって、最後まで誰も通さなかった。
主の最期を、誰にも邪魔させなかった。
自らの武勲に驕るつもりはないが、後世の歴史に刻まれていると聞いた時、誇りに思った。自分は、やり遂げたのだと知れたから。
「来い」
「ばあああぁぁぁっっっ!!!」
繰り出された拳を受け止め、足を払って手首を捻り、投げる。
が、両手で自身を持ち上げて跳び上がり、弁慶に向かって自らを打ち出すミサイルキックを繰り出して、弁慶の腹を穿った。
それでも、弁慶は動かない。
体を捻って両足を逃がし、足首を捕まえて頭上に持ち上げ、得意の薙刀を操るが如く振り回してから投げ飛ばした。
地面を抉りながら転げたアステリオスは壁に拳を打って止まろうとするが止まらず、穴を広げながら転げ続け、ようやく止まれた時には広がった穴から亀裂が入り、壁が倒壊した。
持ち上げたアステリオスの顔は、清々しそうに笑う。
弁慶は苦しそうな顔をしながらも、指を曲げてアステリオスを誘った。
クラウチングスタートの体勢から突進。絶対に弁慶を動かすという意思を感じさせるタックルを繰り出すが、ぶつかったと同時に両足が浮いた瞬間を狙って両肘を持ち、腰を捻って壁に叩き付ける。
アステリオスは壁を蹴って肉薄。
再度突進して来たアステリオスが今度はぶつかるより前に弁慶は自ら倒れ、角を握り取って胸と腹に足を蹴り入れ、巴投げの要領で投げ飛ばした。
転げた先で頭から壁に突っ込み、怪物の巨体が倒れ伏す。
『投げる! 投げる! 投げる! 弁慶、アステリオスの攻撃を受けながらも、その怪力を利用して投げまくる!』
アステリオスの仮面が砕ける。
初めて晒した素顔は牛と人を混ぜたようないわゆる不細工であったが、その表情は楽しいという感情で満ち満ちていて、誰も不快感など感じなかった。
それはまた、対峙する弁慶も同じ。
苦しいが、全身が痛むが、譲れはしないが、嬉々として笑う怪物に応えて誘う。
向かって来る敵は、自分よりも巨大。過去にそんな相手はいなかった。当世でこそ珍しくないそうだが、弁慶の生きた時代では、己より大きな相手に出会った事など一度もなかった。
そんな相手と、小手先の術技ではなく、渾身の力を比べられる。
『弁慶!』
不意に、ドローンが撮影する観客席の声援の中から、聞き紛う事無き声が聞こえて、弁慶はつい、うっかり笑ってしまった。
今頃きっと、ようやっとおまえが張り合える好敵手を見つけたか的な顔で笑っているに違いない。そんな声をしていたからだ。
確かに探していたのかもしれない。
五条大橋に陣取っていた頃から、京都中を探し回っていたのかもしれない。
だが結果的に現れたのは、好敵手ではなく仕えるべきあなたで、最後まで、自分は武蔵坊弁慶という荒武者と一人で戦ってくれる相手を見つけられなかったのかもしれない。
だが、喜んでばかりもいられないだろう。
こちらは常に最善手、最適の一手を選び取らなければならない繊細な作業の真っただ中。相手はそれだけの怪物だ。それを好敵手として迎えるのは、なかなかに複雑な心境である。
だが確かに、胸が高鳴る感覚は、否定し切れない。
「来ませぇぇぇい!」
「があああっっっ!!!」
殴って来た拳を躱して、顔面に拳を叩き込む。
踏ん張ってまた向かって来た脳天に手刀を叩き込み、更に顔面を殴って下顎を揺らすと、深く腰を据えて繰り出した正拳突きを下腹部へと叩き込み、突き飛ばす。
四肢を突いて堪え、飛んで行った距離をまた縮めて来たアステリオスの顔面を殴ろうとするが、あろう事か鋭い犬歯の並ぶ口が大きく開き、突き出した拳に噛み付いて来た。
そのまま頭を押さえ付け、一本背負いで叩き落す。
拘束を解く事には成功したが、左拳を噛み砕かれた。
異形に変形した拳が映されて観客席から悲鳴が上がる中、テセウスは思わず前のめりになって、立ち上がるアステリオスを見て震えていた。
自分は本当に、本気のアステリオスを倒したのか。
あれはまだ、遊びの延長ではなかったのか。当時のあれは、あのように的確に倒しに来ていたか、的確に急所を突きに行っていたか。戦斧さえ持たず、戦うなんて事をしていたか。
一方的に虐殺するのでもなく、ただ適当にあしらうのでもなく、目の前の相手を敵と認識して戦っている怪物を見て、英雄テセウスは不安に駆られた。
もしも今、自分があそこに立っていたら、果たして勝てただろうかと。
「ぐるるるる……るがぁぁぁっっっ!!!」
背後に回ろうとして来たアステリオスをカウンターする形でのラリアットで捉え、払い除ける。
弁慶の御業、“不動仁王”は強力だったが、強力過ぎた。
あちこちの壁を破壊し続けた結果、周囲はもはや平野も同然。唯一残されている壁は、弁慶が背にしている一枚のみ。その間に入られれば、間違いなく動かされ、能力は解除される。
そうなれば、負けだ。
だから絶対、背後にだけは行かせない。
その必死さがアステリオスに伝わっているのか、アステリオスはここに来て、弁慶の背後を狙い始めた。
殴って、蹴って、振り払って、何度も何度も打っては飛ばす。
百キロは優に超えているだろう巨体を殴るのに、そろそろ体も悲鳴を上げ始めた――が、だから何だ。
男は、武蔵坊弁慶は死して尚、誰も背後に寄せ付けなかった
「我は……儂は……俺は! 鬼若! 武蔵坊弁慶也いぃぇっ!!!」
突進して来たアステリオスの下顎を打ち上げ、止まったところを殴る、殴る、殴る。
武器を取り、武器を選び取っている暇などない。もしこの場で武器を取り、串刺しに出来れば勝利は確実なのだろうが、もしも取った武器が怪物の肌に突き立てられなかった時のことを考えると、ここは刺突ではなく殴打がいい。
だから、全身全霊で殴って、殴って、殴り飛ばした。
「あ……あぇ……えぇへははは! はぁははははは!!!」
殴り飛ばされた先。弁慶から見て正面で、アステリオスはまたクラウチングスタートの姿勢。
だが、今までとは明らかに違う。
何せアステリオスの体は雷電を蓄え、雷電を乗せ、雷電を纏っていたのだから。
さながら、雷光を投げる者が如く。
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