アステリオスvs武蔵坊弁慶 3

 元は呪いであった。

 王は海神に捧げるはずの牡牛を自分の物にしてしまい、海神の逆鱗に触れた結果、王妃に牡牛に対して劣情を抱く呪いを掛けた。

 王妃は雇っていた名工に頼んで作らせた雌牛の模型の中に入り、牡牛との思いを遂げた結果、呪いは怪物と化して生誕した。

 それが雷光を投げる者アステリオス

 怪物ミノタウロスとして歴史に刻まれ、無限迷宮ラビュリントスへと幽閉された半神半人。

 九年に一度、七人の少年と七人の少女を食糧として送り出す生贄の儀式を止めるべく、多くの英雄、蛮勇、猛者達が挑み、死んで逝った。

 そうして三度目の生贄が送り込まれようとされた時、一人の男が立ち上がった。

 怪物ミノタウロスを倒し、脱出不可能とされた迷宮を王の娘の智慧を駆使して脱出した英雄、テセウスは語る。

 奴は赤子だったと。

 男は嬲り殺し、女は凌辱し、最後には食い殺す。

 羽虫の羽を千切るように、蜥蜴の尾を引っ張る様に、幼き残酷さをより残酷に、残虐にしたまま成長して、遊ぶ事と暴れる事が同義となってしまったから、彼は怪物になってしまったのだ。

 もしも彼が人間として愛され、人間達の愛情に包まれていれば、人間の規格に収まっていたことだろう。だがこの結末もまた、神の施した呪いだったのだとすれば、逃れる事は出来なかったのだろうと。

 遊ぶ感覚で暴れ、戦い、殺す。

 その延長線上で犯し、喰らう。

 暴力的なまでに強いのではない。強過ぎるから暴力的に見えるだけなのだと、テセウスは後世に言葉として遺す事こそしなかったものの、転生した今になって語る。

「作戦も、策略も、戦術もない。奴にとって、迷宮での戦いはまさに狩り。一方的に追い掛け、応戦して来るなら力で潰し、最終的には喰らい殺す。人間達よ、目に焼き付けろ。あれが愛を知らぬまま闇に閉じ込められた、怪物と呼ばれる赤子の姿だ」

 殴る、殴る、殴る。

 鉄塊のような拳で、ガードする弁慶を殴り続ける。

 が、両手を組んで振り下ろした一撃を受け止められ、横に逸らされて鼻頭に頭突きを受けると鼻を押さえて背中から倒れ、その場で転げ回った。

 その隙に弁慶は攻撃に転じず、敢えて距離を取る。

 右に左に、迷宮を駆け回り、とにかくアステリオスと距離を離す事を優先した。

『弁慶! まさかの逃亡! アステリオスはまだ鼻を押さえているが、絶好のチャンスを逃したか?!』

「絶好のチャンス、に見えるだけだ。あのまま弁慶が襲ってたら、怪物は本能で殺しにかかってただろうよ。ケケッ。今のラッシュで膂力の差を知った今、仕掛けられねぇわなぁ」

「この試合も、全然安心して見られないなぁ……」

「馬鹿。だから面白いんだろ? どっちが勝つか負けるかわからねぇシーソーゲーム。やる前から結果の見えてる試合なんざぁ、つまらねぇ」

 南條なんじょう安心院あんしんいんの言う通り、アステリオスの力をまともに受けた弁慶は距離を取り、一旦回復に努める事にしていた。

 回復の術がある訳ではないが、距離を置いて時間を稼ぐ事で自然治癒を自身の体に促す。

 無論、ただ距離を取って時間を置いているだけなので、呼吸さえなかなか整わないが。

「この迷路……監督の話では脱出不可能だとか。実際、その迷路そのものである確証もなし……つまり、出口があるかさえ、確証もなし」

 最善手は迷宮を出る事だと、戦いの場が迷宮となった時点で誰もが考えるだろう。

 しかし、それが例えば策略だったとしたら?

 そもそも出口など存在せず、この迷宮が外と完全に隔離された場所だったとしたら――あり得ない話ではない。

 迷宮を脱出する逸話とて、入り口から入って戦い、勝って、糸を辿って戻って来ただけであって、最初から迷宮に閉じ込められていた訳ではないのだから。

 ならば出入口そのものが存在しないとしても、何らおかしくはないだろう。

「休ませる気は、なさそうですな」

 考えていた弁慶の思考を妨げる、鈍重な音が近付いて来る。

 壁から飛び退いた弁慶を追って、壁を破壊しながら突き進んで来たアステリオスが戦斧を振り被って振り下ろし、躱した弁慶を追う顔に付いて行けず、壁に激突した体が壁を貫き、向こうの通路へと突っ込んでいく。

 背中から得物を取った弁慶は、再度壁を突き破って襲い来たアステリオスの戦斧を受け止め、直後に得物の関節を分断。槍と見せかけた三節棍がアステリオスの首に巻き付き、戦斧を躱しながら背後へ跳んだ弁慶が締め上げて、アステリオスの息を奪う。

 泡を噴いて唸るアステリオスは巨体を振り回し、戦斧を落とした手で棍を引いて息を取り戻そうとするが、首を絞める弁慶の怪力じみた膂力が許さない。

 あまりの苦しさに混乱したアステリオスは壁に向かって突進。弁慶を背に乗せる形で、獣が如く四足を突いて走るアステリオスは次々と壁を突き破り、床を転げ、我が身を叩き付け、弁慶を振り払おうとした。

 アステリオスと共に壁に激突し、床に叩き付けられる弁慶は血を噴きながら、アステリオスの首を絞める棍を離さない。

 が、強靭な両者に対して、強靭ならざる三節棍を繋ぐ鎖は千切れ、振り返り際に繰り出したアステリオスの鉄拳じみた拳が、弁慶の顔面を殴り、通路の端まで突き飛ばした。

 そのまま追撃しようとしたアステリオスは酸欠状態で一歩も進めず、その場で膝を突いて咳を繰り返し、胃液を嘔吐。

 咳と嘔吐を繰り返しながら、何とか追撃しようとするアステリオスより先に体を起こした弁慶だったが、殴られた衝撃で呼吸出来ないくらいに折れ曲がっていた鼻を、無理矢理自身の力で戻して呼吸を取り戻し、その場で血反吐を吐いた。

「まるで牛の突進……いや、牛と人の間に生まれた怪異であったか……」

 馬の蹴りは頭を刎ねるから、馬の後ろには立つなと言うが、アステリオスの拳は何処だろうと飛んで来るのだから、避けようがない。

 まともに一撃受けてしまった弁慶は余計に躱す力を奪われ、更に通路の端にまで飛ばされて、完全に追い込まれてしまった。

 この場を逃げるには、目の前のアステリオスをどうにかするしかない。

 だが、膂力は格段、背丈もアステリオスの方が上。どれだけ武器を持っていても、怪物の怪力の前には存在意義さえ見出せない。

 が、だからと言って、諦めると言う選択肢はないのだ。

 ないのだろうなと、ドローンの見せる画面が思わせる。

 この状況を見ても、一切動じず腕を組んでみる義経の姿。諦める訳はあるまいなと語り掛ける立ち姿には、もう諦めるという選択を諦めさせられる。

 倒れているなどらしくもない。

 膝を突くなどあり得ない。

 弁慶ならば仁王立ち。死して尚も仁王立ち。立ってなんぼの、弁慶也――

「よし」

『弁慶! 辛うじてだが立ち上がったぁ! だが、アステリオスも立ち上がったぁ! 袋のネズミ状態の弁慶! アステリオスも、ジリジリとにじり寄る!』

 折れそうなほど歯を剥いて唸る。

 弁慶の血に濡れた拳を握り締め、震えながら弁慶へと迫る。

 迫り来る巨躯は牛の怪物。コメカミから生えた角。牙のように鋭い犬歯。筋骨隆々とした筋肉を通う血脈が血を通わせ、血が通る度に破裂寸前まで膨らんでいる。

 徐々に真っ赤に染まり、体中から湯気を上らせるアステリオスは、遂に弁慶を通路の最奥まで追い詰め、両手を結んで硬めた拳を大きく振り被って。

「らぁぁぁあああっっっ!!!」

 人間らしからぬ怒号と共に、雷霆が如く弁慶目掛けて叩き落した。

 終わったか。

 観客席の誰もが、テセウスさえも思っていた中で一人、未だ屈せず揺らがない男がいた。

「――?!」

 頭から血を流し、目に入って、目玉を濡らしても倒れない。死んでいない。殺せていない事に、アステリオスは驚愕で固まる。

 固めた拳を動かす事も出来ず、手首を掴まれてビクッと震えたアステリオスは、次の瞬間に腕を振り払われ、足を払われ、体勢を崩されたところに繰り出された拳を顔面に受けて、壁を貫通。三つ先の通路まで吹き飛んで行った。

 それを見て言葉を失う客席の中、揺るがなかった男、義経は笑って。

「そうだ、ここからだ! 武蔵坊!」

 初めて、人間に素手で殴り飛ばされた。

 自分より小さな相手に、技術でも何でもない、素の力で殴り飛ばされた。壁まで貫通して、三つもの通路を跳ねさせられた。

 違和感を感じて角を触ると、あったはずの場所に角がなく、頭から触って辿ると角が折れて、短くなってしまっていた事に気付き、また驚愕させられた。

 首に掛けていた数珠を両手首に巻き付け、合掌する弁慶は乱暴に頭を振って血を振り払い、アステリオスを見下ろし。

「来い」

 と、力の限り鋭い眼光と共に、強い覇気を籠めた言葉で誘ってみせた。

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