アステリオスvs武蔵坊弁慶 2
平安時代末期、鬼は生まれ落ちた。
母の胎内にいること十八ヶ月。生まれた赤子は周囲の二、三歳児の体格と長い髪を持ち、全ての乳歯が生え揃っていた。
その禍々しい姿から、父は子供を殺そうとした。
だが叔母によって引き取られ、子供は
「やめろ鬼若!」
現在の京都と滋賀県を跨る山、比叡山。
鬼若、少年時代。
叔母の勧めで比叡山の寺に入った鬼若だったが、一言で言うと不良であった。
がさつで不真面目。勉強は大がつくほど嫌いで、まともに授業を受けた事などない。そしてその常人離れした体格で誰が相手だろうと暴れる乱暴者として嫌われていた。
「また、やったな……鬼若。これでもう十五人目。全治二か月の大怪我だ。これ以上暴れるのなら、おまえには――」
「わぁっとる。儂が出てけばえぇんやろ。儂のやりたい事なんざぁ、ここにはあらへんので」
「やりたい事? なんじゃ、おまえのやりたい事っちゅうのは」
「さぁ。だからこれから探しに行く」
こうして鬼若は、半ば追い出される形で比叡山を後にした。
その際に生まれ付き生えていた長い髪を全て剃り、鬼若は自らの名を武蔵坊弁慶と改めた。
そうして数年の旅路の果て、彼はかの五条大橋へと陣取り、千本の太刀取りを目指して戦い続けた。それが彼の見つけた、最初のやりたい事だったのだ。
だが、呆気なく九九九本もの武器が背中と腰に揃ってしまった。
最初は興味本位で挑んで来る武者を倒し、五条大橋に鬼が現れたと聞いて当時の警察機関に所属する帯刀の警察を倒し、終いの方には橋を通りかかる者の中から帯刀している者を探し、奪い取るようになっていった。
何とも呆気ない。何とも情けない。
当世の武者は、こんなにも弱いのか。当世にはもう、武人はいないのか。
絶望さえ抱き、九九九本の刀剣を背に待ち構える事にも飽きを感じ始めた頃。彼は突如として、風の如く現れた。
「武蔵坊弁慶とはおまえの事か。おまえの評判を聞いてやって来た。手合わせ願おうか」
久しく、本当に久しい挑戦者。
確実に地元の人間でない若者は、武士とするには細く、女の様な白い肌をしていた。
「一瞬女かと見間違うたわ。そんな
「何だ、怖いのか? まぁもし負けたら、言い訳出来ないものなぁ、怪力無双。鬼と呼ばれた武蔵坊が、女じみた小僧に負けたなどと」
「何やて?」
「そら、勝負だ。場所は……あそこにしよう。まさか、逃げはすまいな」
「このクソガキが……勢い余って、殺してしもても謝らんぞ!」
決戦の場は大本山清水観音――今でいうところの、清水寺。
待ちに待った千本目。文字通り、清水の舞台から飛び降りる気で臨んだ一戦。
ようやく終わらせる事が出来る。ようやく終わらせられる。ようやく、この退屈から――
「どうした、武蔵坊。怪力無双と謳われしおまえの力は、そんなものか」
まるで歯が立たなかった。
九九九本のどれを駆使しても、九九九本のどれを繰り出そうとも、まるで刃が届かない。自分よりも小さく、細く、明らか弱いただの小僧が、いつしか弁慶からずっと高く遠い存在となり、弁慶を圧倒していた。
「なぁおまえ。散々暴れていたらしいが、結局何がしたかったんだ? 何の目的があって、どんな野望があって、おまえはその力を使う」
「……それは」
答えられなかった――というより、答えが無かった。
九九九本もの武器を集めながら、鬼と謳われながら、あらゆる敵と戦いながら、何も目指しておらず、何処へも手を伸ばしておらず、どんな夢も見てなどいなかった。
そんな弁慶の虚無を見透かしたかの如く、義経は仰向けに倒れる弁慶の腹に足を乗せて、弁慶の顔を覗き込むよう見下ろした。
「何も無いのか、無いのだな。ならおまえ、俺と同じ夢を見ろ」
「おまえの、夢……?」
「平家を滅ぼし、源氏による――我が兄上による大平の世を創り上げる」
「そんな事……!」
「出来る訳がないか? かっかっ! 上等! しかしそれほどの難題でなければ、この天才牛若丸には役不足よ。しかし今のままでは、力不足のほら吹きに成り下がる。故に、おまえの力を貸せ、弁慶。俺と同じ夢を見て、俺と同じ夢を目指せ。そしたらいずれ見せてやる。俺とおまえの夢の景色を」
朝焼けが、空を青く染め上げる。
流れる雲が義経の邪魔をすまいと退いて、弁慶には空を背に、後光さえ背負う義経の姿が神々しく見えて、初めて、何かに対して感動を覚えた瞬間だった。
鬼が、鬼から人へとなった瞬間だった。
そして義経は本当に、己が夢を――弁慶の夢を叶えてみせた。誰もが無理だと諦めるような夢を、彼は叶えてみせたのだ。
ただその先は、兄との対立という悲しい結末だったのだが。
「其方には、ありましょうか。己が身を焦がすような、果てしなき夢が」
歯軋り。低い唸り。吐き出す息にさえ覇気を纏った本物の怪物が、襲い来る。
戦斧の柄の鋭利に尖った先端で刺突を繰り出し、そのまま振り下ろして刃を落とし、地面を割ると、握り締めた左拳で弁慶の顔面を狙う。
が、弁慶は背中から取り出した刀にて受け止め、自分から後ろに跳んで衝撃を吸収。壁際まで追い込まれながら、先に薙刀の柄を投げた方へ即座に跳び、追って来た斬撃を躱してみせた。
柄を拾い上げ、投げ付ける。
その程度がアステリオスに効かない事は承知の上。投げ付けた柄に隠すように投擲した小太刀がアステリオスの喉を狙い、更に後ろを弁慶が追う様に走りながら、背中の太刀を抜き取った。
アステリオスも先に投げた戦斧を拾い上げて柄を撃ち落とし、次に来た小太刀をもう片方の戦斧で砕き割り、迫り来る弁慶には鮫のような鋭利な牙が並ぶ口を開けて、喰らい掛かった。
太刀に喰らい付いたアステリオスの左脇下に肘を入れ、自身の左腕で兜の角を掴む。
そのままアステリオスの巨体を背負う様に持ち上げ、黒帯の有段者顔負けの一本背負いで百キロは優に超えている巨体を叩き付けた。
『弁慶の鮮やかな一本背負いが決まったぁ! アステリオスの頭が、深々と地面に突き刺さる!』
よし、と義経はガッツポーズを決める。
清水寺で戦ったかつての弁慶にはなかった技の冴え。武器のキレ。暗闇の中でさえわかるくらい透き通った瞳の輝き。
「やってやれ、弁慶!」
弁慶は走り出す。
先の音の反響で、近辺の地図は把握した。
走った先にあった比較的広い間へと飛び出し、背負って来た武器の中から選び取ったのは当時の日本では珍しい三叉槍。突進して来るアステリオスの顔面目掛けて突きを放ち、回避させた先にまきびしを巻いて踏ませると、歯を食いしばって耐えるアステリオスを三叉槍で突き飛ばした。
が、壁に叩き付けられたアステリオスの体に傷はない。
辛うじて戦斧による防御が間に合い、ただ突き飛ばされただけのようだった事に弁慶は眉をひそめたが、今の事態を重く受け止めてはいなかった。
迷宮という相手の領域内でも、存分にやり合えている。
未だ相手が有利な状況には変わりないが、相手はまだこちらの実力を計りかねているはず。何より、アステリオスにそんな技量があるとは思えない。
かつての己と同様、力の限り捻じ伏せるだけの型だと判断した弁慶は、力の底さえ見せなければ、充分に勝機はあると考えた。
三叉槍を投擲して弾かせた隙に、抜き取った刀剣で斬り掛かる。
鈍重な戦斧で両方とも弾き、防いだアステリオスは兜の下でまた唸り、弁慶の持つ刀目掛けて噛み付き、砕き割った。
そのまま戦斧を手放し、弁慶の頭へと手を伸ばして来るが、弁慶は
「――?!」
まるで石のような皮膚。
苦無なんて小さな武器では、傷さえつけられない。貫くなんて以ての外。
そんな手が繰り出す掌底によって苦無は弾かれ、弁慶は下顎を突き上げられて吹き飛ばされた。
『あぁっと! 今度は弁慶が吹っ飛んだぁ! 壁にぶつかった弁慶、意識はあるか?!』
意識は辛うじて残ってた。
が、下顎を打ち抜かれた。
脳が揺れ、景色が溶ける。体が揺らぎ、意識が、視点が定まらない。
狙って打ったのか打ったところに顎があったのかわからないが、アステリオスはゆっくりと歩み寄って来る。
その手に戦斧はなく、代わりに戦斧よりも硬度の高そうな拳を握り締めて、壁にもたれかかる弁慶へと繰り出した。
幾ら強靭な肉体とはいえ、半神半人と普通の人間とではその強度はまるで異なる。
苦無で貫けないアステリオスの皮膚は、握り締めれば充分な凶器。落下する鉄骨を受け止められる骨と肉を守る皮膚は隅々まで硬く、拳は鉄球が如き威力で弁慶へと叩き込まれた。
「うぅぅあああ! あああぁぁぁっっっ!!!」
『アステリオス、倒れている弁慶を殴る殴る殴る! 弁慶、防御に徹するが、全てを防御出来ていない!』
当然だ。
普通の人間同士でも、殴られれば痣も出来るし時間が経てば腫れ上がる。
だがアステリオスの拳は、缶に穴を空けるとされるエアガンに勝る。エアガンとて、撃ち出すのはBB弾。それがもし鉄球で、しかもゼロ距離で放たれたら――想像もしたくない。
「フン。あの怪物を舐めるからそうなる。あの僧侶が何者か知らないが、そう簡単に勝てるなら、奴に生贄など捧げる必要もなかったのだ」
「その通り。そしてあんたが出て来るまで、俺達が殺されるはずもなかった」
「雷光を投げる者? 違うな。奴は正真正銘、半神半人の怪物だ。だからこそ、奴は歴史に刻まれた」
屈強な男達はそう語る。
彼らはかつて迷宮に挑み、怪物ミノタウロスに挑んだ者達。怪物によって殺された者達。
そんな彼らの先頭に立ち、弁慶を応援する義経と同じく腕を組んで戦いを見ていたのは、かつてミノタウロスを倒すに至った英雄、テセウスであった。
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