山田朝右衛門吉睦vsジャック・ド・モレ― 2

 ジャック・ド・モレーが二三代目総長に就任した時、テンプル騎士団は存亡の危機にあった。

 聖地エルサレムまでの殉教者の護衛を任とした騎士団は、教皇インノケンティウス二世が与えた国境通過の自由。税の撤廃。教皇、君主以外の服従の義務免除等の特権を与えられ、勢力を拡大していたが、十代目総長の時代に幾度もの敗戦により聖地を奪われるという失態を犯しながら、それら特権の存在と、教会の資金を管理する財務機能とが、騎士団から危機感を奪っていたのである。

 二二代目総長はこれを危惧し、この事態に最も不安を抱える者を後継に選んだ。それがジャックだった。

 が、破滅は前触れもなく訪れた。

 当時のフランス王フィリップ四世による中央集権化の政策により、テンプル騎士団は預かっていた財を全て没収。

 そのために異端審問にかけ、悪魔崇拝や反キリストの誓いと言ったあらぬ罪で、異端者たる彼らから財を搾り取ったという構図を作り上げ、自らを正当化した。

 資源の全てを取り上げられたジャックら当時の最高幹部は、パリ・シテ島にて生きたまま火炙りの刑にかけられ、処刑されたと言う。

 しかし、それからだった。

「ふぃ、フィリップ王? どうなされたのです?」

 自らに権力を集中し、己がアイデアを独創的と喜び実行するばかりだった王が、まるで人が変わった様に何かに怯え始めたのである。

「く、クレメンスは何処だ……クレメンスを呼べ! 悪魔祓いの儀式をさせよ! 寒気が……寒気が止まらんのだ……!」

 共にテンプル騎士団を壊滅へと追いやった教皇、クレメンス五世の元、悪魔祓いの儀式は幾度となく行なわれた。

 しかし、結果は伴わなかった。

 そのままフィリップ四世は衰弱して死亡。美男王とも呼ばれた王の亡骸は、まるで老人のように老け込んでいたという。

 そしてクレメンス五世もまた、フィリップの後を追う様に雷が落ちた事で起きた火災で教会にて死亡。

 当時の人々は、ジャックの呪いだと恐れたと言う――本当に?

 聖地を奪われた不名誉を取り戻そうとした。

 だが財産は奪われ、異端者の烙印を押され、仲間達は拷問の末に死んで逝く。

 まだ何もしていなかったのに。

 まだ何も出来ていなかったのに。

 まだ何も――一歩踏み出す事さえもさせて貰えなかったのに。

 信仰して来た神は救ってくれず、崇拝して来た神は潔白を証明してくれず、今まで守って来た人々も何もしてくれず、蔑んでいった。

 ジャックは悟らざるを得なかった。

 誰も助けてくれないんだ。二百年も助けて来たのに。二百年も守って来たのに。二百年も祈って来たのに。崇拝して来たのに。誰も、誰も、誰も誰も誰も――神も、助けてくれないんだ。

「だったら……自分でやるしか、ねぇよなぁ」

 そうして、ジャックは実行した。

 火刑を身代わりでやり過ごし、フィリップには毎日少量の毒を盛って殺し、クレメンスは雷が落ちた様に放火して、彼が逃げられないように足の腱を斬って殺した。

 そうしてやる事をやったジャックのその後は、ジャック自身しか知らない。そしてジャックが、語る事はない。

「なぁ、おまえは人を呪った事ぁあるか? ……いや、どうせあれだろ。人を呪わば穴二つとか抜かして、呪った事なんてありませんって言うんだろぉ? あぁ知ってる知ってる知ってるよぉ。良い子良い子。そんな奴には……慈悲深ぁい神様が、素晴らしい施しを与えるってさぁ! ありがたぁく、受け取れよぉ!」

 ジャックが初めて、自分から仕掛ける。

 盾を前に押し出して視界を遮ると、盾を退けた直後に剣を振り下ろし、紙一重で躱した吉睦の毛先を斬り付ける。

 が、真の威力を見せたのは大剣が地面に触れた時。

 斬撃は地面を抉り斬りながら進むでもなく、深々と斬り傷を残すでもなく、大剣が触れた地面が大きな音を立てて爆散したのだ。

 体重の軽い吉睦の体は吹き飛び、壁際まで転がされる。

『す、スゲェ威力だぁ! “天使か悪魔かその名を呼べばパリ・シテズ・カース”によって力を増したジャック! 腕力も体重も関係ない破壊力で、朝右衛門を吹っ飛ばすぅ!』

 立ち上がった吉睦は、すぐさまその場から飛び退く。

 再び斬り掛かって来たジャックの斬撃が壁を破壊。爆散させ、二つ目の巨大クレーターを作り上げる。

 衝撃でまた転げた吉睦は転げた勢いのまま立ち上がり、刀を突き立てて何とか停止した。

「ケッケッケッ! 体重四〇キロも無さそうな体じゃあ、そりゃあ吹っ飛ぶだろうなぁ。筋力も体重も関係ねぇ。剣が触れた箇所がダイナマイト並の威力で爆発する。ジャック曰く、あれこそあの技の天使の側面――」

 “天使之豊穣グラース・デス・アンジェス”。

「本当、周囲からヘイト買う能力だよねぇ……ルーザーの中でもめっちゃ嫌われてるし」

「まぁ、まともに対峙する能力じゃあねぇからなぁ。特に技術で勝負するタイプ……それこそ、朝右衛門みてぇな奴にはキツいだろうよ。ケッケッケッ」

 軽々と吹き飛び続ける吉睦が手も足も出ないのを見て、ジャックは笑う。

 嘲る形で歪ませて、それ見た事かと言わんばかりに。

「人を呪わば穴二つ? 確かに穴は二つだったなぁ。王様と、教皇……俺が呪いに呪った二人が埋まったお陰で、俺は助かった。助かったどころか、慈悲深き神様が俺を転生させてくれた。俺はその世界でも他人を呪って呪って呪い続けて……気が付けば魔王なんて呼ばれてた。たまんねぇなぁ! 神様信仰してた時代より、人を呪ってた方が成功するんだもんなぁ! 皮肉だよなぁ!」

 盾も大剣も置き、自らを抱き締めて身を捩じる。

 攻撃と防御。明らかにどちらとも該当しない行動に、吉睦は怒るでもなく、蔑むでもなく、憐れむでもなく、ただ真っ直ぐに立ち上がり、最初と同じ姿勢で構えた。

 煽られている事に気付いていない訳ではない。

 聞こえていないフリをするため、誤魔化している訳でもない。

 彼女の姿勢の意味に真っ先に気付いたのは、他でもない。彼女を煽り、怒りに身を任せて突っ込んで来たところを仕留めようとしていた、ジャックだった。

 今まで嘲り笑っていた相手に対して、初めて本気の感情を発露する。

「何だぁてめぇ。そんな目で……俺を、俺を救おうとする目で、見るんじゃねぇっ!!!」

 知っている。

 過去、何度も見て来た。

 子供の頃から見て来た目だ。見間違うはずがない。転生してからは二度と見なかったけれど、忘れるはずがない目だ。

 信仰と崇拝。祈りを捧げる者達を護り、救おうとする騎士らの目。

 かつて、ジャック・ド・モレーという男が憧れを抱き、焦がれた目。

 まるで過去の、自分まで続いて来た二二人の歴代総長が、自分を説得させているかのような構図が、ジャックは腹立たしくて仕方がなかった。

「てめぇみてぇなただの人斬りに、同情される覚えはねぇんだよぉぉぉ!」

 “天使之豊穣グラース・デス・アンジェス”――!

 振り下ろした斬撃が吉睦に迫る。

 が、吉睦は後退するどころか接近し、ジャックが剣を振るために開けたわずかな隙間を掻い潜って懐に侵入。首目掛けて放った突きがジャックを動かし、結果、剣の軌道もズレて攻撃は完全なる空振りに終わる。

 そして、大剣を振り切った体勢から懐に入った吉睦を退ける事が出来ないジャックは何とか飛び退こうと地面を蹴るが、先に吉睦の剣がジャックの体を捉え、浅くも長い縦一直線の斬り傷を刻み付けた。

『朝右衛門先制! 先に攻撃を決めたのは、チームヴィクトリア、山田朝右衛門だぁ!!!』

 致命傷にはなり得ない。

 だが、覆りもしない。

 今までリードしていた自分が、有利に立っていたはずの自分が、先に傷を付けられたという事実。

 憎悪と怒りとで腸が煮えくり返る思いの中、ジャックが沸き上がらせた感情は、信仰と崇拝を守り続けて来た守護騎士が抱いてはならぬもの――殺意という呪いであった。

 だが、そんな殺意さえ、吉睦は真っ向から対峙する。

 恐怖などない。怯えもない。戸惑いもない。憐れみもない。

 あるとすればただ、目の前の罪人を処刑せねばという、山田朝右衛門としての義務だけであった。

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