王は語る

 ……王との密談は、さほどかからなかった。互いに相容れぬだけであった。


* * *


 屋内に冷ややかな空気をのこしたまま、リーグは席を立つ。王と言葉を交わすのは、これで最後であろう。早々にゾントを立とうと考えた。

 王の昏い眼が自分の背中にそそがれているのを感じながら、リーグは弟子たちと同様に広く開け放たれた縁から庭園に出ると、茶席の方へ歩をすすめた。木立を曲がり、弟子たちがいざなわれた茶席に眼をやった。わずかに眉をひそめる。

 茶席の周りには、何人もの衛士がうずくまっている。皆、悶絶しており、ひとりは肩を外されたのか、腕をだらりとさせて脂汗を流しながらうめいていた。

 立っているのはアトとジルのみであるが、ジルが手にする剣は鞘のままであった。アトにいたっては何も手にしていない。

 不審に思っていると、彼方から別の衛士の一団が駆けよってきた。今度は十名ほどもいる。ふたりはたちまちとり囲まれた。リーグは別にあせらずに、弟子たちの方へ歩み寄る。

「王の館での狼藉、見過ごすことはできぬ」

 一団を率いてきた者の怒声が響く。

「手を出してきたのはこいつらだ」

 答えているのはアトだった。

「仔細は詰所で聞く。同行せよ」

「どいてもらおうか」

 衛士の輪の外からリーグが低く云った。初めてリーグに気がついた衛士たちが、驚いて振りかえる。

「狼藉者を訊問しているところだ、邪魔を――」

「どいてもらおうか」

 特に語気を強めたわけではないが、衛士は台詞は途切らせ、自分では訳がわからないまま、二歩三歩と後退した。それは周りに伝播し、灰色の剣士の存在を知った衛士の輪が自然に道を空けた。

「お師匠様。こいつら、いきなりあたしたちを捕まえようとしました。先に剣を抜こうとしたのも、こいつらです」

 ジルがいきりたっていた。

「黙れ! 衛士への狼藉は許さぬぞ!」

「私の弟子は、いわれなく手を出すようなまねはせぬ。私たちは王に招かれた者だ。ハロルド王に訊ねてみよ。そなたらは王の賓客を捕縛しようとしているのだぞ」

 リーグがそう云ったが、衛士たちは複雑な表情をしただけで引こうとしなかった。

「……いかなる理由があろうとリーグよ、狼藉をおこせば館から出ることはみとめぬ。しばし滞在してもらうぞ」

 声がし、一同が降りかえると、従者に身を支えさせているハロルド王が衛士の輪の外にいた。衛士たちは威儀を正す。病床の身であり、自身の脚で立つ様は弱々しかったが、眼光は鋭かった。

「ならば問おう、王よ――私たちはあなたから招かれこの国にまいった。それを咎人扱いするのがゾントの国法か? 礼節か?」

 リーグが冷ややかに答えた。

「咎人として扱おうとは思ってはおらぬ。ただその娘の身柄を預かりたい」

「あたしを!」

 眼を丸くするジル。

「重ねて云おう、私の弟子は咎められるいわれはない」

「内府衛士だけで六十名はいる。いくらそなたでも、斬り抜けることはできぬぞ、リーグ。従えば、決して誰も傷つけぬ」

 不穏な金属音がリーグの後ろから聞こえた。いつの間にか、アトが倒れていた騎士の剣を取りあげていた。

「お師匠様、お許しいただければ……この者たちひとりのこらず、なで斬りにいたしますが」

 低い声はいつもとは変わらぬものであったが、眼が座っていた。アトは元来温厚な質である。それがこれほど怒りをあらわにしているのは珍しい。

 衛士たちの間にも緊張がはしる。

 リーグは片手をあげて、アトを制した。

「ハロルド王、わかっているとは思うが、私たちはあなたの臣民ではない。あの夜のことをお忘れならば、今一度、憶いださせて差しあげましょうか?」

「話を聞いてもらうだけだ。手荒なまねはせぬ。それは誓う……」

 震える王の台詞に必死なものが感じられた。

「最初からそのつもりだったのか? 捕えておけば何とでもなるであろうと? 少々甘かったな。このまま、なしくずしと考えているのなら、私は許さぬぞ。ハロルド王、私は心底怒っている」

 最後のひと言で、場が凍りついたようであった。重く圧を持った風のようなものがリーグから発せられたように、一同には感じられた。衛士が皆、顔色を変え意識せずに剣の柄に手をやったほどだった。

 王は怯えるように身体を震わせてよろめいた。しかしそれで引くことはなった。 「……手荒なまねはせぬ。話を聞いてもらうだけだ。それは誓う……だから頼む……せめて一度だけ……」

 王は震える唇で、弱々し気に繰りかえした。その卑屈で必死な様は、もはや懇願に近かった。

「お断りいたします。やり口が卑劣でございますぞ」

「話をうかがいます」

 突如ジルが低く云った。

「ジル――」

「このままでは埒があきません、お師匠様、あたしはなにもやましいことはありません。手荒なまねをしないとのことでしたら、お話をうかがいましょう」

 ジルがそう云ったのは、いかにリーグやアトであれ、この館の者すべてを争うことなど無理であると思ったからだった。


* * *


 案内された部屋は館の二階であった。室礼は整っており、これはアトは知るはずもないが、ジルに与えられた部屋と決して遜色はない。おそらく客間であろう。

 これまで弟子に見せたこともない怒りはもう風貌からは失せ、リーグは落ち着きはらって、長椅子に腰を降ろしていた。

 アトには理解できないことばかりであった。

 王に呼ばれた――とのことで、はるばる聞いたこともない国を訪れた。館に来るなり拘束されそうになり、しかもそれはどうやらジル目当てである。かといって牢に入れるわけでもなく、このように充分に快適な部屋を与えられた。もっとも扉の向こうには衛士が見張っているし、露台から見下ろす庭園にも、これ見よがしの警護の者が屹立している。軟禁である。

 露台から庭園を見下ろしたアトは、いまいまし気に顔をしかめた。

 それに何より、リーグの様子もおかしかった。何やらありそうないわくを、何も話してくれない。

 長椅子に座し半眼で長い沈思をしていたリーグが、やがて眼を開けた。露台のアトは、その気配を察して振りかえった。

「聞きたげだな?」

「正直に申しますと、仔細をお話いただけたらと思っています」

 師に詰めよるような不作法はできなかったが、ジルが連れていかれたことは、アトにとって非常な不安を感じさせた。普段であれば師の裁量を疑うことなどないが、今回ばかりは理解に苦しむ。

 リーグもそれを充分にわかっているのであろう。

「アト、そなたには話しておく」

 穏やかに話しはじめた。


* * *


「ヨーレイと申します。ご用は何でもお申し付けください」

 黒髪のすっきりした顔立ちの女官が、一礼をする。歳のころは三十ほどか。王の館に仕える女官だ。相応の身分であることが、身なりや落ち着いた物腰、流ちょうなイースター語から感じさせる。咎人――というか訳が分からないまま部屋に押しこめられた小娘であるジルの世話をするような下働きには見えなかった。

「間もなく王が参ります。不便かとは思いますが、しばらくお待ちください」

 ヨーレイはそう云い、茶の支度をはじめた。不便も何も、たった今この客間に連れこまれたばかりだ。柔らかそうな長椅子に座してもいない。

 牢に入れるわけではないとあの王は云っていたが、しかしまさかこのような整った部屋に通されるとは思ってもみなかった。手荒にあつかわれたわけでもない。

 ジルには何が何だかわからない。師匠は何かを知っているのだろうか?

 話を聞くとは云ったが、このようにリーグやアトと離れたことが、ひどく居心地が悪い心持ちにさせた。

 ヨーレイにうながされて、ジルは卓につく。ヨーレイの入れた茶は、先ほどのものよりもさらに豊麗な香りだった。苦いのは苦手と思っていたが、これはほのかな甘みも感じさせる。

 前触れもなく扉が開け放たれ、ハロルド王が入室した。指先でヨーレイを下がらせるが、ジルはとても腰を上げる気にならなかった。この館に入ってからの不快なできごとに、腹をたてていた。

 屋内にふたりきりになると、ハロルド王はジルの真正面に座した。

 ジルには、王がひどく疲れきっているように見えた。肌はたるみ不健康に青白く、眼の下の隈が目立った。元は枯草色だったが、今はほとんど真っ白となった髪には艶がなく、ずいぶんと薄い。

(この人が……王?)

 信じられない想いだった。ベルセーヌ大陸各地に身分の高い知己のいるリーグについて回り、領主の館にも出入りしたことがある。その際に出会った者たちとくらべても、いかに小国とはいえ、このハロルド王という人物からは、先ほどまではまだ見ることができた権力者の威風などみじんも感じられなかった。

「ゾントの茶は……イーステジアのものとは少々違うであろう?」

 不意にハロルド王は云った。落ちくぼんだ眼窩の底で、不安げな光があった。

 なぜそのような眼をする――ジルは不審を感じた。この国でもっとも権力があるはずの王が、なぜそのような不安そうな怯えるような、いや、まるでジルの機嫌をうかがうような卑屈な眼をする?

「さっきの衛士たち、向こうから手を出してきました」

「……」

「何もしていない者を、居丈高に拘束するのがゾントのやり口でございますか?」

「……」

「私たちは何の罪も犯しておりませぬ。早くお解き放ちください」

「……」

 ジルが何を云っても、王は昏い眼のまま、何も答えなかった。ジルはだんだんいらだってきた。

「あたしのことがお気にめさないのでしたら、牢にでも入れればよいでしょう」

 語気が強くなった。王の唇が引きつった。やっと何かを伝えようというのだろうか。

「……私の云うことを、驚かないで聞いてもらいたい……私は嘘偽りは申さぬ」

 大仰なもの言いに、不作法だがジルは顔をしかめる。

「そなたは……」

 云いかけて王は躊躇したが、わずかに口ごもった後、つづけた。

「そなたは……私の姪だ……」


(つづく)

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