ゾント王の館にて
王の館は、ベルセーヌの大陸を巡ってきたアトやジルにしてみれば、小領主の館ぐらいにしか感じられないほどにかわいらしい規模だった。
塀を巡らしてはいるものの、梯子を使えば簡単に乗りこえてしまえるだろう。鋲打ちの門も、今は大きく開き両脇に衛士が屹立しているばかりで、のどかなものだった。
「王からの要請により参った。取次ぎを願いたい」
リーグは門の衛士たちに、セイラムの街で例の男から託された書状を渡し、名を告げた。待つほどもなく、数人の官吏とおぼしき者たちがやってきた。
「お脚をお留めさせてしまい申し訳ございませぬ。王がお待ち申しあげております、どうぞお入りくださいませ」
うなずくとリーグは無造作に脚を踏み入れた。アトとジルもつづく。
いかに小国とはいえ、たった一枚の書状で即、王への面談が許されるなど、ずいぶんと安易なもののようにふたりには思えたが、師が何も云わない以上、疑念を口に出すことはなかった。ただ、ちらと互いに眼を配っただけだった。
門扉をくぐれば、外で見るよりも意外に広大な前庭であった。この国の王が住まう館――すなわちこの国のまつりごとの中心――というよりも郊外の寮のような木立に見え隠れするその館は二階建ての小ぢんまりしたものであり、切りそろえられた草地に岩のような幹の古木が伸ばす大きな枝は、それよりも雄大に感じられる。
敷地内はひんやりと乾いた涼しさを感じた。吹きぬける風にも、潮の匂いがする。
館の前に立つと、さすがにそれなりの広さであることがわかる。イーステジアの領主館のように漆喰や化粧板を多用した壮麗なものではなく、武骨な石造りだ。玄関周りの建材の彫刻がイーステジアのものとはまるで異なり、異国であることを強く感じさせた。
「王は容体がおもわしくなく、失礼とは存じますがリーグ様、横になったままのご対面をお許しいただきたいとのことでございます」
「構わぬが、そこまでお悪いのか?」
リーグの問いにふくまれる口調には、容態が悪い者を気遣うものがあると同時に、冷ややかなものもあった。
官吏は明快には答えず、リーグたちをうながす。
玄関から入り、そのまま階段を上らずに廊下をすすむ。おそらく執務の用をなしていると思われる一翼とは反対に向かって一同はすすむ。やがて一室に至り、官吏は扉に向かって声をかける。遅滞なく応えがあり、扉が大きく開かれ、リーグそしてアトとジルは招じ入れられた。
* * *
明るい部屋であった。庭園に向かって壁が取り払われ、陽光が存分に入りこんでいる。
中央に寝台が設えられ、そこにひとりの病人が横たわっていた。
枯草色の髪は半ば以上白く、肉の落ちた風貌には陰影が濃い。胸元までかけられた掛具は、一瞬ぎょっとするほどの厚みのなさであった。老年というほどではなく、少なくともリーグよりは若いと思われるその人物の、招いた者たちを見やる眼にはぎらぎらとしたものがあったが濁っており、見た目以上に病み衰えた印象を与える。
「ゾント八代目国王、ハロルド王にございます」
官吏がそう云うと、先導した彼らも含め、王の傍らに伺候していた近侍、女官たちも一斉に礼をとる。
ハロルド王――そう紹介された病床中の人物は、大儀そうにうなずく。その視線はリーグらを直視していた。眼の下の隈が色濃い。
片手を上げ弱々し気に振ると、周りの者も諒解していたのであろう、一斉に退室をした。屋内には病床の王、そしてリーグたちのみとなった。
閑散とした屋内は陽光で明るく澄んでいたが、隅には何やら病の澱がよどんでいるように感じられた。
王が筋張った指で手招きをする。リーグは自然に寄る。
病床の傍らに屹立する“大地の騎士”を、ハロルド王は硬い眼で見上げる。
両者の間には妙な緊張があった。どこの領主と対面しても、きわめてひかえめな礼節を以って接するリーグが、不思議なことにひどく冷たい態度をとっているように、アトとジルには感じられた。
「よう、参られた……」
初めて発せられた王の声音は、ざらついたものであった。
「お加減が悪いとうかがいました」
「……久方ぶりだ、リーグ……あの夜以来か……?」
「そうですな、あの夜以来です」
慇懃に答えたリーグであったが、やはりどこかよそよそしいものがあった。おおよそ予想してはいたが、アトとジルは、そのやりとりで両者の間に何らかの関係があったことを察した。
「あなた様は念願の王位を手にした。私は二度とこの国に脚を踏みいれぬと云ったのは、憶えてらっしゃるはずです」
ハロルド王は、肩で荒く息をしながら、昏い眼でリーグを凝視する。その視線が一瞬、ジルへと流れる。
「リーグ、貴殿のみと話をしたい……」
リーグはしばし無言であったが、やがてうなずいた。
「ふたりは退室しなさい」
「庭園に茶席を設けさせた。若いふたりは、そこで寛がれよ」
そう云うと枕元の卓上の鈴を振った。すぐに従者がやってきた。アトとジルに離席をうながす。
* * *
開け放された寝室から直接庭園へ出ると、陽の明るさがまばゆい。昼日中であるにもかかわらず、まるで王の身体から発する病の昏さが部屋の中によどんでいたように感じられていたのだ。
ふたりが屋内を振りかえると、師と王は互いを凝視したまま動いていなかった。
そのような場所に師をのこしたことが、不吉なことのようにジルは感じられたが、きびすを返そうとはしなかった。リーグがふたりをその場から外させたのには、何か理由があるはずだ。
従者に先導されるまま芝の鮮やかな庭園をすすむ。館の屋根よりもはるかに高い古木が数本並び、濃い木陰を作りだしている。古木は巨人の腕のようにたくましい幾筋ものうねりが、ひとつになったかのようであり、神殿の天蓋よりも壮麗な枝ぶりであった。おそらく、館よりも古いものであろう。
風が梢を揺らし、まるで影絵の人形芝居が演じられているように陽の光がちらちらときらめく。
古木の下に茶席が設けられており、すでにふたりの給仕が控えている。
給仕に引かれた椅子に座すと、湯壺を抱えた別の給仕が現れ、急須に湯を注ぐ。
「ゾントの茶は、低めの湯で淹れます。ときはかかりますが、茶葉の旨みと甘みが充分に出ますので、ぜひご賞味くださいませ」
給仕が丁寧に説明をする。なまりはあるが、聞きとれないほどではないイースター語だった。
しばらく待つうちに、急須から茶香が立ちあがってきた。それを大ぶりな碗に注ぎ分けると給仕は、自分たちはあちらで控えていますので、ご用事がございましたらお手をお上げくださいと云い、館の軒まで下がっていった。
* * *
「慣れないな……」
ジルが手に持った茶碗を見下ろし、唇を尖らせた。濃い濃緑の茶は渋く、イーステジアのものとはやはり違う。
「渋いお茶は苦手だったか?」
「ゾントのお茶なんて、初めてなだけだ……それにしても、えらく待遇がいいと思わないか?」
ジルがちらりと館へ眼をやると、給仕たちがすました顔で軒下で直立して待機している。
「……どう思う、アト?」
「なぜお師匠様がこの国の王と親しいのか?」
ジルはうなずく。
「お師匠様は剣の指南役として、帝国内でも身分の高い方とも懇意にしている。でもゾントなんて国、一度も来たことがない」
「ああ、それにこれまでお師匠様がこの国の名を口にしたこともないと思う」
「そう、それなのに予定を変えて突然この国を訪れて、あたしたちに席を外させてまで、王と何やら話を……一体何が……」
「あの王、せっぱつまっているようだった……」
アトは茶碗を置く。素焼きの碗は小さくことりと音をたてた。
「あたしも感じた。ひどくあせっていた。そして怯えていたように感じた」
「何にしても、あの王には何か隠しごとがあり、お師匠様もそれに関わっておられる……」
「悪事じゃないよね……」
きつく唇をかみながら、ジルが不安そうにアトを見上げる。
「そんなはずはない。“大地の騎士”が、やましいまねなどするはずない。何か事情がある」
アトがきっぱりと断言すると、不安そうにしていたジルがほっとうなずく。ふたりは同時に茶をすする。
不意にふたりの視界に、動くものが入ってきた。
館とは別の方向から、軽甲冑をまとった五人ほどの剣士が近づいてきた。館内で見かけた衛士と同じ装いである。ふたりには、ゾントの甲冑は部位が少ない簡素なもののように見える。
アトは眉をひそめた。先ほどまで館の軒にいた給仕の姿がない。
衛士はふたりに近寄り、脚を止める。
「そこの娘、参れ」
先頭のもっとも年長の衛士が一歩前に出ると、居丈高に云った。そのイースター語はなまりがひどく、聞きとりづらかったが意味は通じた。
「……何?」
横柄なもの云いに、ジルの表情が険悪なものになる。
「どういうことだ?」
アトが代わって口をはさむ。
「王のご命令だ。そこの娘、こちらへ参れ」
「ふざけるな……!」
ジルが怒鳴ると、衛士たちは互いに眼くばせし、剣に手をかけた。
「従わねば、力づくで……」
剣の柄に手をかけた先頭の衛士がぎょっとした。刹那に立ちあがり間合いをつめたアトの手で柄頭が押さえられ、抜くことができなかった。
「貴様、手向かうか!」
怒気をあらわにし、身を引いて強引に剣を抜こうとした瞬間、衛士の身体はどこをどうされたものか、半回転して地面に叩きつけられていた。
後ろの衛士たちが怒声をあげて身構えたが、そのひとりが悲鳴をあげた。ジルが手を返しただけで、茶碗の熱い茶が水槍のように顔面を襲ったのだ。
ジルが椅子から立ちあがる。
「ジル、下がっていろ」
「あたしを誰だと思っているの?」
地面に横たわり気を失っている衛士の腰から剣を抜くと、アトはジルに放ってよこした。
のこりの衛士たちが剣を抜く。
「状況がわからない、血は流すなよ」
「あたしを誰だと思っているの?」
(つづく)
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