一年前の再演(16)
唖然とする人々をよそに、私は倒れたテオドールへと歩み寄る。
コツコツと音を立て、一歩、二歩。三歩目を踏み出したところで、テオドールが我に返ったように半身を起こした。
「ま、待て待て待て待て!!」
片手を地面につき、口にするのは上擦った制止の声だ。
もう一方の手を私に向けて突き出し、怯えた顔で後ずさる。
「こ、侯爵家の娘ごときが、僕に手を出していいと思っているのか! 正式な裁きならまだしも、皇子を私刑なんて大問題だぞ!」
「…………」
私はなにも言わずに、さらに一歩足を進める。
テオドールはもう目前。燭台に照らされた私の影が、まだ立ち上がれないテオドールの上に落ちる。
いったい私をなんだと思っているのか、テオドールが化け物でも見たような悲鳴を上げた。
「ままま待てって言ってるだろ!! ええと、そ……そう、そうだ! 僕もルシアに魅了されていたんだ! もともと悪いのはルシアで…………!!」
「………………」
やはりなにも言わないまま、もう一歩。
足先がテオドールに触れる距離。テオドールの青ざめた顔が、ほとんど真上を向く。
いったい私がどんな表情をしているというのか。テオドールの目は恐怖にうるんでいた。
「うう……ぐぐ……わ、わかっているぞ! お前だってルシアのことが嫌いだっただろう! 誰だって嫌いだろう、あんな馬鹿な天才! ぼ、僕だけが責められるいわれはないはずだ!!」
「……………………」
ぴたり、とそこで足が止まる。
私の影の下。それ以上動かない私を見て、テオドールの顔に安堵がにじむ。
手ごたえがあったと思ったのだろう。テオドールは笑みに似た表情を浮かべ、この機を逃すまいと言いたげに声を張り上げた。
「や、やっぱり仲が良いなんて嘘だったな! わかるぞ、天才だなんだと言いながら、なにもわかっていない連中への嫌悪感! 僕はお前の理解者だ! 同類だ! 僕なら、お前の気持ちをわかってやれるんだ!」
――……ええ。そう。
同類というなら、たしかに同類なのだろう。
私もテオドールも、天才を兄弟に持つ凡人同士。
聖人でもない単なる凡人に、すぐ隣の天才を妬むなという方に無理がある。
それも、無垢で無自覚な天才ならなおさらだ。
嫉妬と劣等感にまみれながら、相手を好きになれるはずもない。
力の差を思い知るほどに、相手のことを嫌いになっていく。
『――――どうして魔術の訓練を辞めたの』
やればできる、をそのまま信じている姉に、私のことなど理解できない。
努力は必ず報われるし、夢は諦めなければ叶うもの。みんながみんな、いつかは自分の夢を掴めるはずだなんて、本気で信じているのだから笑ってしまう。
『才能がないからなんだというの。魔力量だけで魔術師の技量が決まるわけではないでしょう』
『できないなんて、どうして諦めるの。あなた、魔術師になるのが夢だったじゃない!』
『魔術の訓練もしないで、なにしてるかと思えばお茶会? 人前で作り笑いなんて、本当は苦手なくせに。平気なふりして、やりたいことも諦めて、自分だけ我慢すればいいと思っているつもり!?』
『いい子ぶってないで、わがままの一つくらい言いなさいよ! あなたのそういうところ、本当に大嫌い! ――私と一緒に国を守るんだって、昔からずっと言ってたくせに!! あんなに魔術師になりたがっていたくせに!!!!』
――私も。
姉のそういうところが嫌いだった。
まっすぐで、純粋で、夢見がちな理想主義者。
自分の力は人々を救うためにあると信じ、才能に驕らず、努力を続けて、理想を目指して一人でどこまでもどこまでも突き進んでいく。
本当に、本当に大嫌いだ。
――なんにもわかっていないわ。
私がなりたかったのは、『お姉様みたいな』魔術師なのに。
「………………………………」
長く、深い息を吐く。
私と姉はわかりあえない。顔を合わせれば喧嘩ばかりで、趣味も合わず、意見も合わず、どこまで行っても交わらない。
仲が良いなんて冗談ではない。姉は私のことが嫌いで、私も心から姉のことを嫌っている。
それは本当に、どうしようもない事実なのだ。
ただ――――。
「――――る、ルシアに思い知らせたいだろう!? 僕がやってやる! 僕はお前の味方だ!」
ただ。
それ以上に、私は姉の誇りを踏みにじる人間が嫌いというだけだ。
目の前で喚くテオドールを見下ろして、私は最後にもう一度こぶしに力を込める。
それから、吐いた息を今度は大きく吸いこんで――。
「リリア、僕を逃がせ! そうしたら今度こそルシアを――――」
「――――くたばれ」
この一か月で溜め込み続けたすべての怒りを、男の顔面に叩きつけた。
鈍い音が大広間に響き、唖然としていた人々が目を見開く。
相手は仮にも隣国の皇子。仮にも国が迎えた賓客。リオネル殿下にとっては、仮にも自分の兄である。
驚愕と困惑、どうしたものかという動揺。大広間中の人々が、目の前の光景に慌てふためく中――――。
ただ一人。
私に良い笑顔を向けて、グッと親指を立てて見せるジュリアンに、私も同じだけ良い笑顔を返した。
長年の胃痛も今は感じない。
久しぶりに、心の底から晴れやかな気分だった。
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