一年前の再演(4)
大広間の空気は張り詰めている。
無数の重臣たちの目。息を呑むような気配。今まで自分の味方だと思っていたものが裏返る。
形勢が変わったことを理解しながら、拒むようにテオドールは首を振った。
「……馬鹿な。魅了にかかっていないだと? 最初から?」
無意識にだろう。テオドールはジュリアンから逃げるように足を引く。
声は細く、かすかに震えていた。
だけど静まり返った大広間には、か細い声もよく響く。
「できるわけがない。魅了だぞ? 古代魔術だぞ? 解呪するにしても、その前に魅了されるはずだろう……!?」
テオドールの疑問はもっともだ。
魅了は伝説級の古代魔術。それ一つで、国さえ傾けられる力を持つ。
解呪をしようにも難解な魔術の解析が必要で、そのうえ対象の魔術に触れる必要まであった。
魅了と解呪の相性は悪い。
姉ほどの力があれば、解析をさせる前に近づいた相手を魅了することもできただろう。
姉とテオドールを王宮に残し、解析をするという選択をした時点で、フィデル王国は魅了に落ちるはずだったのだ。
――――本来は、ね。
それくらい、予測できないジュリアンではない。
そんな無謀なやり方で、陛下が私たちに任せてくださるはずがない。
それでも姉を王宮に残す選択をしたのは、『それで問題ない』という確信があったからだ。
「どうして魅了にかからない!? どうやって魅了を解いたんだ!!」
「どうやって?」
後ずさるテオドールを眺め、ジュリアンは口角を持ち上げる。
怯えるテオドールをいたぶるように、獲物を追い詰めるように、だけど少しも楽しくはなさそうに。
「最初からだって言っただろ。君はたぶん、僕たちとルシアの関係を勘違いしていたんだ」
「……か、勘違い?」
「追放した側とされた側。仲が悪いと思ったんだろう? 疎み合い、憎み合い、蹴落とし合う間柄だと思ったんだろう? 僕たちはルシアを追放したくてしたくてたまらなくて、いなくなったらせいせいしていると思ったんだろう?」
後ずさった距離を縮めるように、ジュリアンはテオドールに歩み寄る。
カツン、という硬質な足音が、彼の静かな声とともに周囲を満たした。
「他に手段がなくて、どうしようもなく選んだ決断だとは思わなかっただろう? 僕たちにとって、救いたくても救えなかった相手だと、君は想像もしなかったんだろう」
テオドールの困惑の目が姉を見る。
口はなにか言おうとして、そのまま言葉が出ずに閉じられる。
自分が今、なにを言われているのか理解できないのだろう。状況を受け止めきれないと言うように、その瞳が揺れている。
「少なくとも追放を決断する前まで、僕たちとルシアの関係は悪くなかった。リリアとルシアも、互いに嫌い嫌いって言うけど、別に憎み合うことも蹴落とし合うこともない。なんだかんだ相手のことを気にかけて、こっそり手助けしてさ。……僕から見たら、仲の良い姉妹だったよ。こう言うとリリアは嫌がるけどね」
嫌がる――と言いながら、ジュリアンは反応を確かめるように私を一瞥した。
私はその視線に、内心で思い切り顔をしかめる。
――冗談じゃないわ。『仲の良い姉妹』なんて。
私と姉は、仲良し姉妹なんかではない。
私はずっと姉のことが嫌いだったし、姉も私のことが嫌いだった。話は合わないし、趣味も合わない。顔を合わせれば喧嘩ばかりで、いつもいがみ合っていた。
だけど、だからこそ――。
「――――私は、魅了魔術を知っていました」
ジュリアンに促されるように、私は一歩前へ出る。
口にする声は落ち着いていて、態度は楚々として大人しく、令嬢の顔を崩さない。
私の内心を知るのは、この場ではジュリアンだけだ。
「お姉様の持つ魅了魔術も、その解呪方法も。最初から」
国境での出来事を聞いたとき、テオドールの変化を聞いたとき。
なぜ私が、真っ先に『魅了魔術』を思い浮かべたのか。
魅了魔術は、今となっては伝説の存在。現代に使える人間はなく、魔道具でも一度きりしか使えない。
重臣たちは存在を疑い、ジュリアンさえも最初は考慮から外すような、本来ならありえない選択肢を、なぜ私が口にしたのか。
それは私が、姉が魅了魔術を使えることを最初から知っていたからだ。
「かつて、お姉様自身が私に教えてくれたのです。――なにかあったときは、私がお姉様を止めるようにと」
きつく、きつく、こぶしを握りしめる。
今にもあふれ出しそうな、感情のすべてを込めて。
視線の先で、姉は今もなおテオドールに寄り添っている。
正気を失った瞳を潤ませて、縋るように、あんな男の袖を掴みながら。
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