魅了魔術(3)
「――――ごめん! なさい!!!!」
翌日。
朝一番に事務室へやってきたジュリアンは、私の前で拝むように手を合わせた。
「可能性は考えていたけど、正直ありえないだろうと思って油断してました! そのせいであっさり魅了にかかってしまいました!! ほんっとうにごめんなさい!!!」
がらんとした事務室に、悲痛な謝罪が響き渡る。
まだ事務員が出勤するには早すぎる時間帯。他に人の姿がないのをいいことに、王太子ジュリアンは私に向かって深々と頭を下げていた。
仮にも王太子。仮にも未来の国王なのに、恥も外聞もあったものではない。放っておいたら、地面に膝をつきそうな勢いだ。
「………………」
そして一方の私も、人目がないことをいいことに堂々と頭を下げられている。
書類が積まれた机の前。私は椅子に腰を掛け、目の前のジュリアンは座らず立ったまま。こんな光景を誰かに見られでもしたら、間違いなく不敬罪で私の首が飛ぶ。
だけど不敬罪など知ったことではない。
頭を下げる王太子に、私の目はどこまでも冷ややかだ。
なにせ、この男――。
「………………逃げたわよね、昨日」
昨日、私が倒れていたときにはすでに、現場から逃走していたのだ。
痛む体を抱えて一人で立ち上がって、ジュリアンがいないことに気付いた私の心境たるや。
どこをどう探しても見つからず、呼んでも現れやしない。結局私一人で王妹殿下やご令嬢たちを慰め、勇気づけ、どうにか各々の屋敷へ送り返したのである。
これをいったい、どう言い訳できるというのだろうか。
「逃げました!!!」
どうもこうも、言い訳をしない。
いつもの飄々とした様子もなく、涼しげな美貌も台無しにして、ジュリアンはさらに深く頭を下げてきた。
「リリアを一人で残して、本当に悪かったと思ってます! 次からは、もう油断しません!」
「…………」
私は無言で、頭を下げ続けるジュリアンを見下ろした。
私よりずっと背の高い彼の、普段は拝むことのできない頭頂部。飄々とした彼らしくもない焦りの表情。あらわな必死さの感じられる声音。
ときおりちらりと顔を上げ、こちらを窺い見る捨て犬めいた彼の瞳に、私は「はー」と長い息を吐いた。
――……まあ、本気で悪いと思っているのは伝わってくるわ。
私に後始末を押し付けて逃げたことに腹は立つけど、腹を立てているだけでは話は進まない。
むしろここまで謝られると、どうして逃げたのかという方が気になってくる。
「…………言い訳を聞くわ。あのとき、なにがあったの?」
渋い声でそう言えば、ジュリアンがぱっと顔を上げる。
私の譲歩が感じられたのだろう。彼の顔に浮かんでいるのは、心から安堵したというような、ふにゃふにゃの表情だった。
もともと飄々とした男ではあるけれど、ここまで締まりのない姿も珍しい。『涼しげ』の評判も馬鹿馬鹿しくなるほどの緩んだ顔で、彼はふにゃふにゃのまま私の隣の椅子に腰を下ろした。
「ルシアが近づいたとき、なにかしらの魔術を使っているのはなんとなくわかったんだよ。僕も一応、魔術師の素質はあるから」
フィデル王国の歴代の王妃陛下は、その多くが魔術師だ。
年齢や身分の問題で聖女が王妃に相応しくない場合でも、名門貴族の中から魔術の素養のある令嬢を選び出す。
王家の血筋には、そんな王妃たちから受け継いだ魔術の才能が受け継がれている。
中でもジュリアンは優秀で、『魔術師の素質がある』どころではなく、正規の魔術師も顔負けの実力を持っていた。
――……なんでもできてムカつくわね。
と思っているのはさておいて。
とにかく、魔術師であるジュリアンは魔力の放出に敏感だ。目の前にいたら、誰が魔術を使っているのかもすぐにわかるという。
「一応、反射的に防ごうとはしたんだ。僕の魔力でルシアの魔力を打ち消して、魔術を無効化させようとしたんだけど――まあ、普通に押し負けて。それから、頭が冷静でなくなった感じがした」
そう言いながら、ジュリアンは渋い顔で腕を組む。
よほど苦々しい記憶なのだろう。ちらちらと私を窺い見ながら語る口も、どうにも重たげだ。
「あれが魅了の感覚なのかな。周りがあんまり見えなくなって、リリアが転んでいるのも他人事みたいで。ルシアがいなくなっても戻らなくて、あのままだとリリアにひどいことを言いそうで――――」
「逃げたのね」
「はい……」
刺すような私の言葉に、ジュリアンは神妙に頷いた。
王太子というより、もはや叱られた犬である。
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