魅了魔術(4)

「――で、でも! わかったこともあるから!」


 名誉挽回をしようというのか、犬――ではなくジュリアンは顔を上げた。

 こぶしをぐっと握りしめ、体は半ば前のめり。いかにも力んだ様子で語るのは――。


「せっかくだから、自分の体で魅了の効果を確かめてたんだ。どんな思考になるのか、どんな変化があるのか、どうやって解けるのかとか。こんな機会めったにないわけだし」


 変態の主張である。

 せっかくだから、ではない。


 ……などと私が白い目で見ているのは置いておいて、とにかくジュリアンは話を続ける。


「最初に打ち消そうと魔力を張ったのが案外効いたのか、僕の場合はたぶん魅了のかかりが浅かったっぽいんだ。それで、けっこう冷静に自分を見れたと思う。――魅了にかかると思考がぼやけた感じがして、ルシアのことばっかり考えるのは、まあ想像していた通り。だけどちょっと嫌なのが、『相手を好きになる』というより『好きという気持ちを乗っ取る』って感覚だったこと」


「乗っ取る?」


 どういう意味だろうか。

 いまいち感覚のピンとこない私を、ジュリアンがちらりと見る。


「……もともと好きな人がいる場合は効きやすいってこと。『好き』って気持ち自体を知っていることだから」


 ちらりと見る目には、なんとも読みにくい感情が浮かんでいる。

 なにかもの言いたげであるけれど、それはさておきジュリアンの説明でなんとなく理解はできた。

 恋人や伴侶、片想いの相手がいる場合、その人への想いが魅了をかけた相手への想いにすり替わってしまうのだ。


 誰か好きな人がいるほど、その想いが強いほどに魅了も効きやすい。

 ずいぶんと嫌な魔術だと、無意識に表情が苦くなる。


「僕はすぐに離れたけど、たぶん傍にいればいるほど効果が高くなる魔術だと思う」


 その苦い表情を横目に、ジュリアンは再び口を開く。


「傍にいるほど、冷静になる時間がないからね。だんだんと『魅了されている自分』の方が本当になっていくんだろうと感じたよ。逆に、距離を置くほど冷静になって、魅了の効果も薄れていく。たとえ魔術の発動を感じても、すぐに逃げれば『解呪』の必要もない。僕も、時間の経過で正気に戻ることができた」


 解呪――というのは、魔術の効果を打ち消す手段のことだ。


 解呪は魔術の術式を解析し、真逆の魔術をかけて根本から無効化させるもの。

 解呪方法さえ知っていれば、魔術をかけられる前に防ぐことも、あるいはすでに術中にある相手から効果を完全に拭い去ることもできる。魔術の対抗手段としては、最も強力な方法だ。


 そして、だからこそ解呪は難しい。

 魔術師は解呪を警戒して自分の術式を隠すものだし、そもそも魔術の解析をするには実際に発動した魔術に接触する必要がある。一度や二度で解析を終えられるはずもなく、何度も同じ魔術に晒されなければならないのだ。


 解呪と魅了魔術は、ことさら相性が悪い。

 近寄るほどに効果が深まるのが魅了魔術だ。解呪のために近づいているうちに、すっかり術中に嵌っているなんてこともあるだろう。


 ――『すぐに逃げれば』時間経過で戻るって言うけど……。


 それはつまり、長く接した場合は時間経過だけでは難しいだろうということだ。

 むう、と私は眉根を寄せ、無意識に唸る。


「それと、この魔術に対抗するために必要なものがあってさ」


 唸る私に、ジュリアンは続ける。

 身を乗り出したのか、声が先ほどよりも近い。

 東の窓から朝の陽光が差し込む事務室。不意に近づいてきた影に、私は思わず顔を上げた。


「魅了に抵抗するには、意志の力がかなり有効みたいなんだ。僕の場合は――――あのとき、傍にリリアがいたから」


 横からの日差しを受け、私を覗き込むジュリアンの表情は――よく、わからない。

 本当によくわからない表情だ。笑っているようにも見えるし、真剣なようにも見える。機嫌が良いような、悪いような、及び腰のような、前のめりのような。

 ひどく複雑な表情で、彼は私を見つめて瞬いた。


「だから抵抗できた。僕が魅了された姿を、君には見られたくないから」

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