魅了魔術(1)

 勝ち誇った顔の姉が訪ねてきたのは、その日の晩だった。


「――――久しぶりね、リリア」


 時刻は深夜。

 昼間の騒動の件もあり、姉たちのいる離宮を厳重に警戒しつつ、夜遅くまで大臣たちが緊急会議をしているさなか。

 無数の監視があるはずの離宮を抜け、姉は悠々と残業中の私のもとへとやってきたのである。


「相変わらず、ずいぶんと自由に過ごしているみたいね。……国はこんな荒れているというのに」


 場所は、魔術師団の事務室――の、隣に設置された仮眠室。

 仮眠と言いつつ仕事を持ち込み、眠い目をこすりつつ書類を睨んでいた私は、突然の姉の訪問に凍り付いた。


 ノックをされた記憶はない。

 一声かけられた覚えもない。

 そもそも部屋の前には警備の騎士がいて、勝手に入ることはできないはずだ。


「…………お、お姉様?」


 書類を手にしたまま、私は唖然と姉を見る。

 一瞬、理解が追い付かない。どうして姉がここにいるのだろう。どうして急に、私のところへと来たのだろう。

 いったいなんの用で、なにをするために?


「私がいなくなって少しは変わるかと思っていたのに、この状況でもあなたの心には響かないのね」


 困惑する私をよそに、姉はぐるりと部屋を見回した。

 探るような視線が仮眠室にしては立派な部屋を一巡すると、姉は呆れと失望の入り混じる顔で首を振る。


「瘴気に荒れて、魔術師も足りない。民たちが苦しんでいるのに、王宮でこんな贅沢をして遊んでいるなんて」


 その表情のまま、姉は私を見据えて歩き出す。

 近付いてくる姉に、私の体が強張った。


 姉は贅沢と言うけれど、部屋は侯爵令嬢として最低限のものだ。

 仮にも貴族令嬢が、仮眠とはいえ他の事務員と同じ部屋で眠るわけにはいかない。

 平民と同じ生活をして親しみやすさを出す貴族もいるけれど、それにしたって限度がある。

 宮中で未婚の令嬢がそんなことをすれば、恥知らずと思われるだけだ。


「あなたには、恥というものがないの? かわいそうに、あなたが贅沢をしただけ、また民が苦しむのよ」


 だけど、姉の考えは真逆らしい。

 姉の琥珀色の瞳には、非難の色が浮かんでいる。


「お姉様……どうしてここに」


 まさか、私を非難するためだけに来たわけではないだろう。

 私は警戒するように立ち上がると、近づく姉から距離を取ろうと足を引く。

 視線は、逃げる場所を探して部屋をさまよう。

 窓は少し遠い。扉は姉の後ろ。部屋を警備する騎士は――姉がここにいる時点で、あてにはできない。


「こんな遅くに、なにをしにいらしたのですか」

「私がここにいて、なにか問題が?」


 慎重に問う私に、姉は小首を傾げて答えた。

 問題があるかどうかと言われたら、もちろん問題しかない。

 私がこの部屋にいることを姉が知るはずはないし、そもそも姉には監視が付いているはずだ。


 昼の一件で、大臣たちも姉への警戒心を強めている。

 魅了魔術についての私の進言は、さすがに半信半疑――というよりも、ほとんど疑っていたけれど、なにかしらの魔術の可能性は認めていた。

 だからこそ、姉の監視には数少ない貴重な魔術師を割いていたのだ。


「それともリリアには、私がいることで不都合があるのかしら?」


 だけど姉は、そんなもの最初からいなかったかのように、私を見てくすりと笑った。

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