不穏の予兆(5)

 ずっと国のために尽くしてきた。

 王太子の婚約者として、聖女として、貴族として。瘴気に満ちたこの地を癒し、民を救うために必死になってきた。


 なのに――誰も認めなかった。

 みんな、妹のリリアばかり。ろくな魔術も使えない、魔術の訓練をしようともしないリリアばかりを可愛がる。

 誰もがリリアの言葉ばかりを聞いて、私を遠ざけ――切り捨てた。


 それでも――。


 かつての故国を見捨てられなかった。

 だって民に罪はない。

 リリアや王族たちの勝手な仕打ちで、民が瘴気に苦しむなんて間違っている。


 だから戻ってきた。

 この『新しい力』があれば、リリアの姑息な嘘にも負けはしない。

 今はテオドール様も傍にいてくれる。

 彼と一緒なら、敵地のようなこの場所も怖くない。


 私は彼と、滅びゆくこの国の民を救ってみせる――――。




 そう覚悟を決めて、私を追放したフィデル王国に戻ってきたのに。


「――嘘でしょう!? こんな状況でお茶会なんて、なにを考えているの!」


 腐敗しきった貴族たちを目の当たりにして、私は愕然とした。

 私がいない間に、この国はどこまでも堕落していたのだ。



 〇



 ……ということを口走りながら、姉は幼い王妹殿下のお茶会に乱入して騒ぎ立てていた。

 参加していた令嬢たちはすすり泣き、まだ十歳の殿下は、駆けつけてきた私の腰に泣きながらしがみつく。

 私は不敬を承知で慰めるように殿下の頭を撫でながら、それこそ愕然と姉を見た。


 本当に、笑い事ではない。

 一緒に駆けつけたジュリアンの顔からも、さすがに笑みが消えていた。


「あなたたちには人の心がないの!? 民を苦しめておきながら、どうして笑っていられるの! 貴族ともあろう者が! 王族ともあろう者が!!」


 穏やかな庭園に姉の喚き声が響き渡る。

 喚きながらも、姉は誰かを探すように周囲をぐるりと見回し――。


「――――……リリア」


 遅れてやってきた私に気付くと、そこでぴたりと止まった。


「お姉様……!」


 私をひたと見据え、ゆっくりと近づいてくる姉に、私は小さく息を呑む。

 姉の隣には、相変わらず姉を止める気のない隣国皇子テオドールの姿がある。


「お姉様、おやめください! だ、誰か……誰か、お姉様を止めて!」


 殿下を巻き込むまいと遠ざけながら、私は涙を浮かべて訴えた。

 同時に、この状況を止めるべき騎士たちへと目を向ける。


 王宮内とはいえ、王妹である殿下には護衛がついている。王宮を守護する近衛騎士もいるし、姉の監視にはライナスを付けたばかりだ。


 彼らは今、姉を取り囲んでいる。

 だけど――様子がおかしい。

 誰も私の訴えは聞かず、姉を取り押さえる気配もない。


 姉の歩みを止めようともせず、彼女が進むと道を開ける。

 姉を見つめる瞳には――わずかな敵意も見られない。

 近づいてくる姉に、「まずいな……」と隣のジュリアンが一歩足を引いたことに、私は気付かなかった。


「みんな、どうしたの!? お姉様を止めないと――――」


 言いかけた言葉は、最後まで口にはできなかった。

 それよりも先に、姉を取り巻く騎士の一人の体が私に当たったからだ。


 思いがけない衝撃に体が傾く。急のことで受け身も取れない。

 勢いよく倒れ込む私に、だけど誰も振り返らない。

 姉は足を止めさえもせず、私の横を通り過ぎる。


「あら、なにかにぶつかったかしら?」


 くすりと笑うような姉の言葉だけが、頭上を通り過ぎていく。

 戸惑い、顔を上げた私は、取り巻く騎士の中にライナスの姿を見つけたけれど――。


「…………ライナス」


 つぶやく私の言葉に答えず、彼はふいと視線を背けただけだった。




 ――結局。

 地面に倒れた私は、最後まで誰からも手を差し伸べられることはなかった。


 すぐ隣にいたジュリアンでさえも。

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