姉、居座る(3)
青みを帯びた黒い髪。高貴さを示す紫水晶の瞳。人々の視線を奪う涼やかな美貌。
王家の特徴を色濃く映すこの男こそは、私の幼なじみにして未来の名君と名高い、フィデル王国の現王太子である。
――名君ねえ……。
確かに、ジュリアンは優秀な人物だとは思う。
幼なじみの私の目から見ても、彼は頭が良くて要領も良い。
情報を読んだり分析したりするのは特に得意で、そのおかげで現在のフィデル王国があると言っても過言ではない。
というのも、今のこの国が瘴気に呑まれていないのは、彼の分析能力のおかげなのだ。
魔術師を失い、姉を国外追放したあと。フィデル王国を瘴気から守るのは、残された少数の魔術師だけだった。
彼らだけでは、守れるのはせいぜい王都と一つ二つの主要都市だけ。この国が不毛の地となるのは時間の問題だった。
それをジュリアンは、過去数十年の瘴気の記録を読み込み、詳細な瘴気の発生予測を立てることで回避したのである。
地域ごとの瘴気の発生頻度、濃度、範囲、発生し続ける期間。そこから予測される影響の大きさと、魔術師派遣の必要性の有無。
被害が少なければ、あえて魔術師は派遣しない。あるいは瘴気の発生期間外は、王都でさえ瘴気を防ぐ結界を解除する。そして、その結界要員である魔術師を、必要な場所へと送り込むのだ。
最小の人材を最大限効率よく配置することで、被害を最小限に抑える。
言葉にすれば簡単だけど、それを実際にやってのけるのは並大抵の能力ではない。
瘴気の発生予測だって、これまで多くの学者が試みては挫折してきたこと。それを、ジュリアンは一人でほぼ完成の形へ持っていった。
もちろん、瘴気は自然現象であり、完全なる予想は不可能だ。
ジュリアンの予測をもってしても、完璧に被害を出さないというわけにはいかない。
特に、情報の少ない国境付近は予測が難しく、魔物の被害を出してしまっているけれど、逆に言えばそれ以外に致命的な被害を出さないままここまできたのだ。
この状態をあと二、三年も維持すれば、魔術師の数も十分に集められるだろう。
そうすれば、この国も前の安定した――いや、前以上に安定した状態になるだろうと言われていた。
――まあ、その数十年分の瘴気の記録を集めたの、私なんですけどね。
そんな未来の名君とやらに、こき使われているのが私である。
見た目よし。身分よし。能力も高く、性格も穏やかで紳士的。
特に女性の扱いに長け、夜会では彼を囲む女性の黄色い声が上がるという。
年ごろの令嬢の誰もが夢見る、憧れの王太子――。
なんて冗談ではない。
幼なじみの気安さか、あるいは姉という弱みに付け込まれてか、この男、なにかと私に面倒ばかりを押し付ける。
瘴気の記録もそう。魔術師の採用もそう。魔術師団の事務だって、人手不足だからと勝手に私を責任者にしてしまったのだ。
名君なんてとんでもない。あれは最悪の上司である。
そして最悪の上司とは、外面だけはいいものなのだ。
「――ああ、お疲れ。面倒な相手をさせて悪かったね」
報告に来たライナスを、ジュリアンはにこやかにねぎらった。
王族としては少々威厳の足りない態度ではあるが、これがまた臣下からの評判がいい。
やりがいがあるとかなんとかで、いっそう王家に尽くす気になるのだとか。
「……いえ。ご命令ですから」
しかし、今日に限ってのライナスの反応は鈍かった。
ジュリアンの言葉にそれだけ答えると、無意識にか視線を落としてしまう。
そのまま、なにか言いたげに黙り込むライナスの顔を、ジュリアンは座った状態でのぞき込んだ。
「どうした?」
「…………いえ」
いえ、と言ってから、ライナスはその言葉を呑むように口をつぐんだ。
それから、一つ深呼吸。大きく息を吸い、吐き出すと、彼は両手を固く握ってジュリアンを見た。
「ジュリアン殿下。――殿下は、あの二人をどうするおつもりですか」
声には、硬い響きがある。
ジュリアンに向ける表情は険しく、体もまた硬く強張っている。
それが、王太子への進言に対する緊張のためではないことを、私はわかっていた。
「元聖女ルシアは――あの魔女は、この国にいても害しかもたらしません」
押し殺した声は、怒りに震えていた。
王太子専属護衛騎士、ライナス・ヴェイン。
彼こそは、このフィデル王国の未来を大きく歪めた姉を誰よりも憎む、忠義の騎士である。
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