姉、居座る(2)

 事務室には、私とジュリアン以外の人影はない。


 姉の爪痕深く、未だ人手不足の著しい王宮では、魔術師のみならず事務員も足りないのだ。

 その数少ない事務員たちが、今の時間帯はいつも出払っていることは知っている。

 事務とは言うものの、するべき仕事は書類仕事のみではない。誰かと交渉をしたり、なにかしらの許可をもらったりすることも少なくなく、そういう対人関係の仕事は日のある時間に済ませなければならないのだ。


 つまり、事務仕事をするのは日が落ちてから。

 激務もここに極まれりというものである。


 そんな激務のために、私は王宮に連れてきている侍女を差し出していた。

 本来の仕事とは違うことをさせて申し訳ないけれど、人手があるなら使わなくてはもったいない。

 最近は侍女たちも慣れたもので、私の指示を待つまでもなく仕事をしてくれるようになってくれていた。


 そういうわけで、二人きりの事務室。

 私は薬を水で飲みこむと、ぐいとジュリアンに身を乗り出した。


「それで、これってどういう状況なわけ? どうしてテオドール皇子がお姉様と一緒にいるの?」

「……さあ? 僕に聞かれても」

「なにも聞いていないわけないでしょう。知っていること全部吐きなさい」


 などと詰め寄ることができるのも、周囲に誰もいないからだ。

 私と彼とは身分差のある同士。この距離感も気安い口調も本来なら許されないけれど、見とがめる人間がいないなら関係ない。

 人目がないことをいいことに、腹の読めない幼なじみから情報を引き出そうと、私はさらに前のめりに距離を縮め――。


「皇子の目的くらい聞いているはずよ。洗いざらい――」

「――――失礼いたします。……こちらにいらっしゃるでしょうか?」


 その声が聞こえた瞬間、私は跳ねるように椅子から立ち上がった。


 同時に、手早く服装を整える。突っ伏していたせいで乱れた髪も直す。胃薬はそっと、資料の影に隠しておく。

 近すぎるジュリアンとは適切な距離を取り、頬を揉んで表情を作り、にこやかな令嬢の姿に変わるまで五秒。扉が開いたときにはすでに、完璧に『可憐な令嬢』である。


「先の、元聖女ルシアとテオドール皇子殿下の件で報告が。――ああ、やっぱり。リリア嬢もここにいたんですね」

「あら、ライナス様。なにかご用件ですか? 報告って……またなにかありましたの?」


 事務室の扉を開け、入ってきた男性――ライナスが、私を見て目を細める。

 私もまた、何事もなかったかのように笑みを返す。

 もちろん、『報告』という言葉に不安そうな表情を付け加えるのも忘れない。


 隣でジュリアンが「相変わらず、すっごい変わり身……」などと小声で言うのは気にしない。

 これもまた、淑女のたしなみなのだ。


 なにせ――。


「いえ、リリア嬢。問題が起きたわけではありませんよ。ただ――」


 ライナスはそう言うと、表情を硬く引き締める。

 その表情を向ける先は、私ではない。

 まだ椅子に座ったままのジュリアンへ、体ごと顔を向けると――。


「ご命令通りにあの二人を離宮の客室に案内しましたので。そのことをジュリアン殿下にご報告に、と」


 王太子付きの護衛騎士ライナスは、背筋を伸ばして敬礼した。




 なにせ――今は王太子の御前。

 侯爵家の娘ごときが、王太子の前で気安い態度など許されないのである。

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