姉、戻る(5)
私が駆け回っていたのは、姉の尻拭い以上の理由は本当になにもない。
妹の私から見ても、姉の王太子妃失脚は時間の問題としか思えなかったのだ。
私と姉は仲の良い姉妹ではないけれど、さすがに目の前で姉が立場を失っていくのを黙って見ているのは忍びない。
それに、姉の責任はバークリー家の責任。姉がしたことだからと、私が無関係の顔をできるはずもない。
両親は、姉に愛情を抱いているからこそ私に近況を聞いていた。
殿下は姉に歩み寄ろうとしてくれていて、だからこそ私に姉の行動を報告するようにと命じたのだ。
国王陛下は姉の能力を評価していた。魔術師たちも、姉の実力は認めていた。
姉の国への貢献は、事実として広く認められていた。
私と殿下は、いつか姉が自分の行動を見つめなおしてくれると期待して、周囲をなだめながら姉に警告し続けた。
それでもなおこの結果を止めることができなかったのは、きっと私たちが間違っていたのだろう。
「リリア、あなたがこそこそと妙なことをしていたのはわかっているのよ。私の友人たちに近づいたのも、私を悪役に仕立て上げるためなのでしょう?」
私たちの行動は、姉の誤解を招く結果になった。
姉は悪役に仕立て上げられたのではなく、姉自身の行動によって実際に疎まれ、恨まれていただけ。
姉が友人と思う相手も、内心では姉を恐れている人ばかり。
姉の強引な誘いを断れず、傷つき泣いていた令嬢を慰めるうちに、姉はそんな風に思うようになっていた。
「私を悪役にして、自分に同情させていたことも知っているわ。お父様やお母様だけじゃなく、殿下たちまであなたの嘘に騙されて、今やみんなあなたの味方。あなたの本性は、『姉想いの優しい良い子』なんかじゃないのにね」
そうこうするうちに、姉は私の言葉どころか、誰の言葉も聞かなくなってしまった。
姉の中では私こそが『嘘つきの悪』。
私の味方をする人々は、みんな『私に騙されている』のだ。
「あなたの本性は、ただの卑怯者よ。私が必死で魔術の訓練をしている間に、あなたは『才能がないから』と言い訳をして、訓練から逃げて茶会だのパーティだの遊んでばかり。あなたにはバークリー家の人間としての自覚もないの?」
私に魔術の才能がなく、魔術師の道を早々に諦めていたのも、姉の心証を悪くした。
私は生まれながら魔力に乏しく、どれだけ訓練を重ねたところで並み以下の魔術師にしかなれない。
姉が王太子妃になる以上、バークリー家の跡継ぎは私だ。
家を維持するためには、ない才能を磨くより、社交に出て人脈を作った方がまだ役に立つ。
それが魔術を誇る姉にとっては腹立たしく、余計に躍起にさせてしまった。
「そのくせ、私のものばかり欲しがって。卑怯な手を使って私を陥れて、貶めて――実力もないくせに、今度は聖女の地位まで奪うつもり?」
「お姉様…………」
そうして、この結末だ。
もう彼女には、私が聖女になりたいと思っていないことも、姉のものを欲しがっていないということも伝わらない。
「…………ルシア」
すっかり頭に血が上り、前の見えなくなっている姉を止めようと、殿下が一歩前に出る。
今の姉は、大勢の重臣たちの目にさらされている。
私を悪と決めつける姉の言葉が、彼らにどう受け取られているかを、殿下はわかっているのだ。
「あなたに私の代わりはできないわ。これは姉としての忠告よ。どうせあなたは私が目障りで、私がいなくなれば満足なのでしょうけれど。あなたのその身勝手のせいで、フィデル王国が滅びるの――」
「ルシア!」
もう一度、殿下は声を張り上げた。
姉に責められる私を背に隠し、彼は姉に険しい顔を向ける。
「それ以上、リリアを侮辱するのは許さない。リリアが今、どんな気持ちでここに立っているのかわかっているのか!」
「…………」
「それにこれは、リリアの身勝手ではない。君の追放は私の父上――国王陛下も、君の父であるバークリー侯爵も認めたことだ! だからこそ、ここにフィデルの臣下たちが集まっているんじゃないか!」
「…………そう」
叱りつける殿下の言葉に、姉は短くそう言った。
姉の表情は静かだ。
感情を一切失ったような無表情で、姉は小さく首を振る。
「それでは、これ以上話しても無駄のようですね」
だけど、内心が穏やかでないことはその言葉からわかる。
相手の言い分を聞かずに話を打ち切るのは、姉が苛立っているときの悪い癖。自分こそが平静であると見せつけるための行為だ。
今も、姉は平然としたふうを装って、ドレスの裾を摘まんで一礼する。
「ならば、私はその決定に従うまでです。フィデル王国は、国を支えてきた私ではなく、妹の嘘を選んだのですから」
「ルシア……」
恨み言を言い残し、くるりと背を向けた姉へ、殿下はひどく複雑そうな声で呼びかけた。
姉を追うように一歩前に出て、手を伸ばしかけてすぐに引き――。
「君は……君は、少しも自分が悪かったと思わないのか……?」
引いたこぶしを握り締め、わずかな期待を込めて、そう問いかけた。
「なにも、省みることはないのか? 自分の行動、態度、言葉。ほんの少しでも、悔いることはないのか?」
それは、殿下が姉に与えた最後の機会だ。
今日この場にこれだけの人を集め、これだけの大げさな場を作ったのは、ただ姉へ追放を告げるためではない。
集まった重臣たちは、姉の被害を受けた令息や令嬢の関係者たちでもある。
彼らの非難の目に晒し、殿下からはっきりと姉のしてきた行為を突きつけ、それがどれだけ重いことだったのかを自覚させる。
そうして、姉自身に反省を促すことが、殿下のもう一つの目的だった。
姉は国の根幹である魔術師たちを退団に追い込み、国を傾けた。
多くの貴族たちの反感を買い、対立を招いた。
姉を恨むものも、憎むものも大勢いる。
姉の能力は高くとも、姉の存在は国の禍根になる。
いや、下手に能力が高いからこそ、姉の存在は火種になるのだ。
そんな火種を残すくらいなら、国外追放をさせようというのが国の決定だった。
それでも、もしも姉が変われるというのなら――。
少しでも反省の色を見せたなら、この決定にも変化が出たかもしれない。
そんなわずかな期待を抱き、私と同じか――あるいは、私以上に姉をたしなめ、変わるようにと促し続けてきた殿下はこの場を設けたのだ。
「私に、なにを省みろと言うのですか? これまでただ一人で国を支えてきた私に?」
だけど、殿下のその心が姉に伝わることは、最後までなかった。
「私と妹――ひいては、妹の嘘に騙されたあなた方。どちらが悪かったかは、いずれ痛みを持って知ることになると思いますよ。――きっと近いうちに、ね」
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