姉、戻る(3)

 このフィデル王国において、魔術師ほど重要な存在はない。


 大陸南東。穏やかな海と豊かな自然に囲まれた、フィデル王国。

 気候は暖かく、土地は安定し、地震や洪水といった大きな災害も少ないこの国において、唯一にして致命的な脅威がある。


 それが、国土全体にはびこる『瘴気』だった。


 瘴気とは、大地からにじみ出る魔力を含んだ霧のことだ。

 雨や風と同じ自然現象の一つであり、大地がある限りどこにでも発生し得るもの。多少であれば害もなく、恐れる必要もない。


 一方で、濃くなれば致命的な害となるのもまた、瘴気である。

 濃い瘴気は、生物の多くを衰弱させる。人は瘴気に病み、獣は倒れ、草木は萎れて育たなくなる。

 そして、一部の獣は真逆に、瘴気によって力を得て『魔獣』と呼ばれる存在へと変化する。


 目についた生物に手当たり次第に襲い掛かる魔獣は、瘴気の生み出す最も恐ろしいものだ。

 元の獣よりはるかに巨大で力も強く、戦い慣れた兵でもなければ太刀打ちできない。

 濃い瘴気にさらされた土地は、実りを失い、魔獣に荒らされ、最後には不毛の地に変わると言われていた。


 そんな瘴気を浄化できるのが、魔術師だ。


 魔術師の持つ魔力は、瘴気の魔力を浄化する。 

 瘴気に侵された人々も、瘴気に侵された土地も、回復させるのは魔術師だ。あるいは土地に結界を張って瘴気の蔓延を防ぎ、あるいは荒れ狂う魔獣を魔力でもって鎮めるのもまた、魔術師である。


 豊かであると同時に、瘴気の頻繁に発生する地であるフィデル王国において、魔術師は国を成り立たせる根幹に等しい。

 彼らを失うことは、すなわち国を傾けるに等しい行為なのである。




 …………と、いうのに。


「――だいたい、魔術師たちが辞めて困るというのであれば、なおさら私を追放したがる理由がわかりません。辞めた魔術師たちの穴を埋めているのは私ではないですか」


 姉はまったく悪びれることがない。

 魔術師を大半を退団させておきながら、なおも胸を張り続ける。


「今、この国の瘴気を浄化しているのが私だとわかっていますか? 王都の結界を、ほとんど私一人で維持しているのだということを、殿下はご存知ですか?」

「君が魔術師たちを辞めさせなければ、そんな必要はなかったんだ!」


 もちろん、殿下は姉の言うことなど百も承知だ。

 姉は誇るように言うけれど、姉一人に負担がかかるのは、姉自身が魔術師を辞めさせたため。

 その結果が、どれほど国を不安定にさせたかを姉は理解していない。


「君がいなくても、これまでこの国はやっていけていた! ああ、認める。確かに君は、聖女と呼ばれるほどの魔術師だ。君一人で、並みの魔術師百人分の働きだってできる!」


 聖女――とは、代々最も優秀な魔術師にのみ与えられる、名誉ある称号のことだ。

 その由来は、初代国王とともに瘴気満ちるこの地を切り開いた、初代王妃ソロルから来ている。

 不毛の地を次々に浄化したという、王妃にして魔術師ソロル。彼女こそは、この国で最初に聖女と呼ばれた人物だ。


 ゆえに、聖女は王族の伴侶として迎えられるのがこの国の伝統だった。

 魔術師団の長の座も、偉大なる魔術師ソロルにあやかり、王妃が担うことになっている。


 そして不幸だったのは、現国王陛下の最愛の王妃陛下が、惜しくも早世されていたことだ。

 聖女の称号を賜り、王太子殿下の婚約者となった姉の魔術師団での振る舞いを、止められる人間がいなかったのである。


「この国の魔術師たちは、君には物足りなかっただろう。……だけど、魔術師たちをやめさせておいて、一人で国を支えているから『聖女』だって? ここは君一人の国じゃない! この国には、君の代わりになる人間が必要なんだ!!」


 声を荒げた殿下の言葉は、つまりは『姉一人で国を支えてどうする』という意味だ。

 姉が優秀な魔術師であることも、今の国を支えていることも殿下は認めている。そのうえで、殿下は姉がいなくなったときの崩壊を恐れているのだ。


「……私の代わり、ですか」


 だけど、冷静なようでいて血が上っている姉には、そこまでの意味を汲み取れない。

 姉は『代わり』という言葉だけを受け取って、はっと鼻で笑った。


「まさか、本気でおっしゃっています? 誰かに私の代わりさせられるとでも? 私以外の誰が、一人で浄化も結界の維持もできると?」

「………………それは」

「私がいなくなれば、この国は間違いなく瘴気に満たされます。殿下はそのことを、きちんと理解されているのですか?」

「………………」

「そこにいる妹では、私の代わりは務まりませんよ。……なんでも私のものを欲しがってきた妹です。今度は聖女の地位が欲しかったのか、ずいぶん私の悪評を流したみたいですけれど」


 頬に手を当ててため息を吐く姉に、殿下はついに絶句した。

 しばらく無言で姉を見つめ、静かに瞬き――それから、確認するように問いかける。


「…………それは、その言葉は、君こそ本気で言っているのか」

「どういう意味でしょう?」

「リリアは――君の妹は、ずっと君のためにと駆け回っていた。君が泣かせた令嬢を慰めたのも、君に腹を立てる魔術師たちを宥めてきたのも、みんなリリアなんだぞ」


 ――――そう。


 姉の尻拭いをするのは、いつも私の役目だった。


 自信過剰で傲慢で、しかも下手に実力があるから自分を傲慢とも思わない。

 感情的なくせに自分が冷静であると信じ、常に正しいのは自分と考えている姉は、とにもかくにも他人と意見が対立する。

 対立したとしても、話し合って互いに落としどころでも見つけられるタイプならまだよかった。

 だけど厄介なことに、姉は頑固で融通の利かない性格で、まったく意見を譲る気がないのだ。


 姉の会話は、相手を怒らせるか泣かせるかだ。

 それでいて、姉としては正しいことをしているつもりなので、怒ろうが泣こうが自分が悪いとは考えない。

 相手が感情的になった時点で、「これ以上話しても無駄みたいね」とさっさと切り上げてしまうのだ。


 そうして姉がやらかすたびに、慌ててフォローに回るのが私だった。

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