姉、戻る(2)
「――ルシア・バークリー! 君との婚約も今日までだ! 君のしてきたことは、ここにいるリリアからすべて聞いている!」
その宣言が響き渡ったのは、一年前。
フィデル王国の重臣や主要な貴族たちが一堂に会する、大広間でのことだった。
「今まで婚約者だからと見逃していたが、これ以上は黙ってはいられない。今すぐこの国から出て行くがいい! 君に、このフィデルの土地を踏む資格はない!」
宣言を下したのは、見る者の目を奪う美貌の男性だ。
青みを帯びた黒い髪。高貴さを示す、紫水晶にも似た輝きの瞳。
王家の血筋を示すその容姿を持つ彼は、このフィデル王国の第一王子――次期国王たる、王太子殿下だった。
王太子殿下の険しい視線の先にいるのは、彼の元婚約者だ。
私の姉、ルシア・バークリーは、王太子の視線を受けてもなお、大広間の中心で背筋を伸ばしていた。
「……私がしてきたこと、ですか」
「ルシア、知らないとは言わせないぞ! 君に傷つけられた者たちが、どれほどいると思っているんだ!」
「知らないと言わせないもなにも……まるで心当たりがありませんけれど……」
姉は眉をひそめ、心底わからないと言いたげにそう言った。
これだけ大勢の注目にさらされても、その態度には少しも動揺は見られない。
怖じることも、恥じることもなく堂々と胸を張る姉の姿に、殿下の端正な顔が歪んだ。
「心当たりがないだと!? 君に魔術の指導を願った令嬢が、あまりにも無茶な訓練を押し付けられたと泣きながら訴えたと私は聞いているんだぞ!」
「たしかに、頼まれて魔術を教えることはありましたけれど……無茶を押し付けた記憶はありません。それで泣くなんて、失礼ですが相手のご令嬢のほうに問題があるのでは?」
「なっ……! い、言い訳をするのか!? 他にも、君に訓練を頼んで傷つけられたという報告があるんだぞ! 心だけではない、体にも傷ができたと!」
「訓練をすれば傷くらいは当然でしょう」
「ぐぐ……あ、あくまでも認めないつもりか! それなら、君が未来の王太子妃として魔術師団を視察するようになってから、退団する人間が後を絶たない! その理由も、君についていけないからだそうじゃないか! これはどう言い訳する気だ!」
「もともと魔術師団は激務で、退団者が後を絶たなかったでしょうに」
そこまで答えてから、姉は頬に手を当ててため息をついた。
殿下を見つめる姉の瞳には、あらわな呆れの色がある。まるで、出来の悪い子どもでも見るかのようだ。
「そもそも、殿下のお話は『聞いた』というお話ばかり。……どうせ、そこの愚妹があることないこと告げ口したのでしょうけど――そんな曖昧な話で、本気で私を国外追放するつもりですか?」
愚妹――と言いながら、姉はその視線を殿下から移動させた。
姉の視線の先が向かうのは、殿下の背後。ちょうど殿下の背中に隠れる位置にいる、私だった。
だけど、その視線はすぐに遮られる。
殿下の護衛騎士であるライナスが、すかさず間に割って入ったからだ。
「告げ口ではない! リリアには、私から頼んで君の行動を報告してもらっていたんだ!」
殿下もまた、そう言って私をかばうように前に出る。
殿下とライナスの二人から鋭い視線を受け、姉はいっそう呆れたように溜息を吐いた。
「……殿下が妹を甘やかすのは構いません。ですが、この婚約は殿下ではなく、王家とバークリー家で取り決めたもの。勝手に破棄して、そのうえ独断で追放するなど、王太子ともあろう方のなさることとは思えません」
「ぐ、ぐぐ…………」
あくまでも落ち着き払った姉の言葉に、殿下の頬がさっと紅潮した。
だけど、言い返すべき言葉は出てこないらしい。かすかな呻き声を上げたきり、殿下は悔しそうに奥歯を噛んで黙ってしまった。
その光景を、私は殿下の後ろで苦々しく見つめていた。
反論できない殿下。動揺の広がる重臣たち。そして、相変わらず涼しい顔で胸を張り続ける姉。
なにも知らない人間がこの光景を見たら、あるいは殿下に非があると思うかもしれない。
殿下の言葉は言いがかりで、姉はそれを正論で切り捨てる。殿下の後ろに隠れ、殿下の護衛騎士に守られる私は、さしずめ男をたぶらかして姉を陥れようとする悪い妹と言ったとこか。
だけど、この場に『なにも知らない人間』はいない。
殿下に非があると思っているのは、姉ただ一人だ。
殿下が激高しているのは、これだけ言っても姉が自覚しないからだ。
重臣たちの動揺は、どこまでも反省の色のない姉に戸惑っているだけ。
ライナスが私をかばったのは騎士として当然のことであり、私が殿下に伝えたのも実際に起きた出来事のみ。
そして、殿下が姉に突き付けたのは、言いがかりどころか一切の誇張もない事実だ。
魔術を『たしなみ程度』に習いたいという令嬢に、正規の魔術師さえ音を上げるほどの訓練をしたのも姉。
まだ新米の魔術師に、実戦さながらの訓練をして怪我人を続出させたのも姉。
姉の態度に不満の声を上げる人々に耳を貸さず、私や殿下がたしなめても聞かず、「私は悪くない」と王宮のあちこちに敵を作り続け――。
ついに「こんな王太子妃にはついていけない」と、国に欠かせない人材である魔術師たちの大量退団を招いてしまったのも、姉なのである。
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