第63話 カイル THE LAST MASTER その3

 それにしてもこの邪神ってやつは……


 まるでゾウか、はたまた恐竜か。


 いずれにせよそんな巨体ならば、それなりに動きが緩慢になりそうなものだ。

 しかし驚くべきことに、邪神テスカポリカはその大きすぎる身体を持て余すことなく自由自在に操って、闘技場の中を縦横無尽に飛び回っていた。


 邪神が暴れる度にズシンズシンと地面が揺れる。そして石材とコンクリートで固められた闘技場の外壁はその衝撃に耐えかねて、その度にバラバラと崩れ落ちてゆく。





 駄目だ。


 まだ五体の感覚が戻っただけで、身体に力までは戻っていない。


 しかし……。


 それでも俺はなんとか起き上がろうと、無理やりに身体に力を入れた。ガクガクと震える身体に鞭をうって、つまずこうがひっくり返ろうが、這いつくばってでも俺はレイラを助けに行かなければならない。


 今、一人で邪神と戦っている妹を助けてやれるのは俺しかいないのだ。



 しかし……。俺が無理に上体を起こしバランスを崩した時。俺の身体が突然誰かの手によって支えられた。


「カイルさん。少しだけじっとしていてください。今『治癒の法』を使います」


 それは聞き慣れない若い男の声だったが、身体を支えてくれた少年のその気品溢れる姿に俺は見覚えがある。


 彼もまた、剣聖と一緒でこの場所から逃げ出さなかった人間の一人。さっきまでこの会場にバカでかい結界を張っていたエイドリアンの幼き主人ことショーン少年である。


「お前……。メイドの方はいいのか?」


 俺は咄嗟にそう答える。確かに回復魔法は嬉しいが、先に気を失ってしまったエイドリアンは、自力で起き上がれた俺よりも状態は深刻なはずなのだ。


 しかし、少年の口からは出た言葉は、いかにもエイドリアンらしい愉快な事実を教えてくれた。


「大丈夫です。エイリンならギリギリの所で『仮死の魔法』を使っていましたから。彼女ならもう既に魔法を解いて復活しています。今はエデンさんの治療をしているので、彼も心配ありません」


 俺はその言葉を聞いた時、思わず笑ってしまった。エイドリアンは何と食えない女なのだろうか。あのような芝居じみた事を言っておきながらも、あの絶望的な状況下で自らに延命の作を施して、微かな望みをつないでいたのである。


 本当に笑うしかない。


 そして、これほど頼もしい事もない。


 エイドリアンは無茶苦茶な女ではあるが、先ほど見せつけられた魔法の実力はまさに想像以上なのだ。



 だが、これでようやく絶望的な状況に光が差した。


 俺は、少年の魔法によってその身体がみる間に機能を回復していくのを実感しながら、その視線はレイラと邪神へと送っていた。


 まるで獲物に飛びかかるサバンナの猛獣ライオンの様に、邪神は幾度となくレイラへと飛びかかる。だがそれでも彼女が邪神と渡り合えているのはただひたすら逃げに徹しているからであった。


 ここで俺がレイラの助けに入れば勝機は確実にある。俺はそう確信した。


 しかし、本当にそうなのだろうか……。


 この邪神は一つの国を一瞬にして滅ぼしたとエイドリアンは言っていた。


 それがこの程度で……




 だが、今はとやかく言っている暇はない。俺はショーン少年の回復魔法もそこそこに、その身体が動くようになるやいなや、全速力で邪神の眼の前へと飛び出した。


「やっと、戻って来た……」


 背後から聞こえたのはレイラの声。


 そう。本当にやっとだ。あの山深い村を出てから約6年。その間に俺はそうとう拗らせてしまったが、こうして再び妹の前に立つのは嬉しいものだ。


 本当は、妹が一人で強くなっていくのが怖かった。


 そして、嘘がバレるのが怖かった。


 今こうしてウサギの着ぐるみを着ていることだって、そんな後ろめたさで妹の顔がまともに見れなかったからだ。


 でも、もう今はそんなことなんてどうでもいい。あれから俺だって妹に追いつこうと沢山修行をしたんだ。まだまだ、剣聖とまで呼ばれる妹の足元にも及ばないかもしれないけど、今なら言える。


 そんな事は些細な事だ。


 だって。お兄ちゃんも妹と二人で冒険をする夢を、そして共にドラゴンを倒したいって夢を見ていたから。


 だから、もうこんな被り物なんて必要無いんだ。いま目の前にいる敵はドラゴンとは少し違うけれど、それは大した違いではない。隣にお前が居ることこそ俺の夢なのだ。




 でもさ。せっかくだから格好だけはつけさせてくれよな。


 俺は、いつだって妹に格好いいって思われ続けたいんだよ。



 そして俺は……。


 邪神テスカポリカの目の前に立ちはだかると、大きなウサギの頭をおもむろに脱いでその素顔を白日の下にさらす。


 そして背後のレイラを振り返って、俺はとびっきりクールにこう言った。


「待たせたな。レイラ」

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