四の四 ブライアン 八月十七日

「おい、なんか既視感のある光景だな」

 S市の東西に長い公園の中ほどの噴水の前で、東の方にそびえるテレビ塔を眺めながら、ブライアンはつぶやいた。N市のテレビ塔のあった細長い公園とそっくりな風景が目の前にあった。

「東西と南北と、長い公園の方向は違うけど、そっくりだよね。でも偶然みたいよ。ちなみに、あっちとこっちのテレビ塔を設計した人は同じ人」

 と環が解説をしてくれていた。ただ、自分の身につけていた知識でないことは、その手にスマートフォンを握って画面を見ながら話しをしている様子でわかる。

 陽はすでに傾いていて、陽光が公園全体をオレンジ色に染めていたし、公園の左右に整然と植えられた並木たちの影を色濃く地面に描きだしていた。

 昼過ぎにS市に到着してから食事をしただけで、ブライアンとトバイアスと環の三人は、もう足が棒になるほど市内を歩き回っていた。

「いささか疲れが溜まったようだ。すまないが、ちょっと休ませてもらうよ」

 そう言ってブライアンは並木の下のベンチに腰をおろした。

「いや、ダメだ先生」

 トバイアスが切迫したような表情で言った。

「どうしたトバイアス」

「近くで何かが起きそうなんですよ」

「なんだって」

「この間、触手を操る人に襲われたでしょう。あの時や、アメリカで亡者化した人達に襲われた時とかと同じような感覚があるんです」

「あの少年が近くにいるのか、それとも、周りの人たちが襲って来るのか?」

「そこまではわかりません」

 しかし、日本に来てからは周囲の人たちが正気を失って襲ってくることは一度もなかった。それを考えれば、あのフードをかぶった少年が近くにいるとしか思えなかった。

 ブライアンはベンチから立ち上がって、身構え、周囲に注意を払った。

「違う、先生。あそこだっ」

 トバイアスが指さす先は、公園の噴水を挟んだ反対側で、木陰にブロンドの女性ふたりがなにか立ち話をしている様子だった。そのうち、ひとりの女性が手に持った紙の手提げ袋をもう一方の女性に手渡した。

「いけない、先生、とめて!」

 トバイアスの声に弾かれたように、しかしわけもわからずブライアンは女性たちに向かって、石畳を蹴って走った。

 あと十メートルと迫った時、荷物を受け取った女性のもう一方の手がさっと動いて、銀色の物体がひらりと舞った。

 切られた女は瞬時に後ろに跳んで避けたが、左腕を押さえた。みるみるうちに二の腕が赤く染まっていった。

 切られた女はくるりと翻って走り出した。

 ナイフを持った女がそれを追う。

「グレートヒェン!」

 どこかから男の声が聞こえる。

「エメリヒ、来ないで!」

 逃げる女が叫んだ。

 ドイツ語だったのでブライアンには意味はわからなかったが、必死な声音であった。

 その時、逃げる女がつまずいた。

 覆いかぶさるようににしてナイフの女が手を天高く差し伸ばした。ナイフが夕日を照り返してきらりと光った。

 と、そこで女の動きがはたと止まった。

 その手首と胴体には二本の黒くて人の腕ほどの太さの縄が巻きついていた。いや、縄などではなく、それは影のような漆黒の触手であった。

 触手の伸びてくる先をブライアンが目で追うと、黒いフードをかぶったあの少年が、パーカーのポケットに両手を突っ込んだ姿勢で立っていた。

 女達の方を見れば、三十歳ほどの男が走ってきて、倒れ込んだ女をかばうようにしてしゃがみこんでいた。

 そして、不意に現れた猿渡刑事が、ナイフを持った女の手をひねりあげて、地面に倒して押さえ込んだ。

 トバイアスと環もブライアンと並んで茫然と成り行きを見守っていた。何が起きているのか、などと頭を整理している暇などまるでない。ただ、

「ジークリンデ・ラウエンシュタイン、お前を逮捕する」

 そう訛りの強いドイツ語で叫んだ猿渡刑事の声が耳の奥まで響いたのだった。

 さらに、数人のスーツ姿の男が駆け寄ってきて、ジークリンデと呼ばれた女を連行していった。

「グレートヒェン・コールさん」と猿渡は続けた。「あなたは我我が護衛をして、ドイツまでお送りいたしますので、ご安心ください。おっとその前に、部下に病院まで送らせましょう」

 ブライアンはあごがはずれそうなほどあんぐりと口を開いて、猿渡の喋るのを聞いていた。そして猿渡は今度は英語で、

「それから、ブライアン・ステイシーさん。あなた方にはお詫びをせんといきませんな。今捕まえた女やその仲間に、我々が捜査中であると察せられないように、あなた達を追うふりをしてここまでやってきました。さぞご不快でしたでしょう。ああそれから、あなた達に出た逮捕令状はとうに取り下げられていますので、ご安心して日本でのご旅行をお楽しみください。では」

 猿渡は言うだけ言って、踵をかえすと、女を連行していく仲間たちを追って小走りに去っていった。

 入れ違いに、今度は白いゆるやかな服をまとった二十代半ばの美しい女性が姿を現した。

「皆さま、やっとお会いすることができました。ぜひとも、私の招待に応じていただけませんでしょうか。空からの声を聞きしあなた方に、お話ししなくてはいけないことがあるのです」

 そうしてその女は、緊張に包まれたその空間をやわらげるように、穏やかにほほ笑むのだった。

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