第52話 早く過ぎて欲しくない時間

「うん。」

 あっさりと涼ちゃんは受け入れた。


「私はファン以上になちゃった。」

「うん。」

「普通に考えたら、こうやって一般の女の子に。普通の女の子にこうやって優しくしてるのでさえアイドルとしてプロじゃないと思う。」

手に持ったマグカップからじわじわと熱気を両手に感じる。


「そうだね。」

 ひたすらに彼は私の話に耳を向けた。


「あんな出会い方して、知らない人ってのもおかしいとは思うよ。これからは私一人で頑張るから。でも、これだけは言わせてずっとアイドルだったね。」

 それは私がずっと思っていたことだ。これだけ近くにいて、アイドルとオタクとの距離以上になったのに隙が無かった。どこを切り取ってもアイドルそのものだった。


「アイドルで君がファンだって言うからだから少しばかり演じていたかもしれないね。でも、初めて会ったときにあんな悲しそうな顔を見たあとに『ファンです』とか言われてもね。でもそのときに『この子を笑顔にできなきゃダメだな』って思った。こないだライブ来てくれたとき。ステージから見つけたときに凄い笑顔で、その顔を見たとき初めて自分の役割を果たせたと思えたよ。だって、誰かを笑顔にして、誰かに元気を与える。それが俺がやってる仕事だから。でも、今回はごめん。これはアイドルとしても、1人の大人としても謝るよ」


 私に向かって深々と頭を下げた。ストレートの髪がさらりと動く。


「せっかく笑顔にできたのに、またこんな困らせた顔させてしまって。普通に考えたらわかること。それなのに過ちを犯した。今回のスキャンダルだってアイドルとして最低だ。」


「そんなことない!」


 思わず大きな声が出てしまってしまい、咄嗟に自分の口を手で覆った。


「ごめん。思わず大きい声出た。」


 紛らわすために持ったマグカップのココアはまだまだ冷めることを知らない。


「だから、今までみたいに戻りたい。と言うより、いつかは戻らないとダメだと思う。」

「うん。」

「だって、釣り合わないじゃん。そもそも。」

 静かな時間が流れていく。

「でも、嬉しかったよ。家族より私のこと理解してくれたし、私の考えも認めてくれたし。それが私には新鮮だったし、嬉しかったし。でも、こないだ記事が出てさ。私、怖かったんだよね。」

「うん。」

「でも、今回の件もあって。だから、潮時かなって。」


 沈黙の間が生まれた。外から聞こえる小さな音だけがこの部屋に響く。


「そうだね。じゃあ、今日が最後だね。よし、このゲーム全クリするまで帰らせないからね。」

 最初に口を開いたのは彼の方だった。

 そうやって持って来たゲーム機は初めて会ったときから続けているゲーム。ストーリーのあるものであともう少しで全てがクリアする。

「ここまでやっておいて、全クリできないのは後味悪い。」

 私に見せてきた笑顔はいつも私に向け続けてくれたものの何の変わりもない。屈託のない笑顔。


「よし、本気出しちゃおう。」


 真剣な話をあと、最後の時間を一緒に楽しんだ。全力でゲームして、お菓子食べて、適当な会話を弾ませた。そんな時間だってすぐに過ぎていく。そういう時間に限って早く過ぎていく。

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