第46話 アリーナとスタンド

 開演2時間前。もう既に開場が始まり、大きなドームにファンがどんどん入って行くのがわかる。


「私たちも入りますか。ギリギリだとすごい混むと思うので。」

「そうだね。入らないと席わからないっけ?」

「そうなんです。まだ、どこかわからなくて。」


 今となってはほとんどのライブで使用されるデジタルチケット。そのおかげなのか、そのせいなのかわからないが、事前にライブでの席はわからないまま当日を迎える。今までは事前にわかっていたせいで、ステージに近い席。いわゆるアリーナ席は高値で取引されるほどだったか、それもなくなった。その代わりに開場に入って座席がわかってからの交換は少なくない。


 画面に記されたデジタルチケットはこのゲートから入ってくださいとだけ記されている。私が事前に調べた限り、このゲートからの入場は天井席と呼ばれる一番上の階に案内されることも多い。もちろんスタンド席の可能性もゼロではない。だが、その可能性は他のゲートに比べると少ない。


「すごい緊張してきました。」

「私はすっごいワクワクしてるよ。初めてだからかも知れないけど。」


 晴海さんはいつにもなくテンションが高い。私の心臓は体を突き抜けそうなほどバクバク動いている。

 少しずつ動いていく列。入り口に近づく度にいろんな声が聞こえてくる。アリーナ席だったのか悲鳴のような歓声があがる。


「こちらにかざしてください。」


 ついに自分達の番が来たと言われた通りに機械にかざす。すると、横の機会からチケットが印刷されていく。裏面が出て来たのでまだ座席はわからない。

 チケットを取って邪魔にならないような場所でそっとめくる。


「うわ、どこかな。近いといいね。」

「はい。緊張する。でも、見ますね。」


 めくって座席が書かれたところを確認するとそこには“アリーナ”の文字があった。


「晴海さん。アリーナ席です!アリーナ!初めてです。アリーナ席入るの。」

「アリーナって?あのステージがあるところと同じてこと?」

「はい!こんなことあるんだ。」

「早く行ってみようよ。」


 チケットを1枚晴海さんに手渡し、書かれた場所へと向かう。なかはコンサートのステージが組まれ、装飾品はキレイに光り輝いている。そこはもう遊園地よりも遙かに非現実的な世界が広がっている。席はまだ開場したばかりということもあってまばらに埋まっている程度。

 スタンド席のある通路から1段ずつ確実に下りていく。そのたびに近さを信じられなくなり、より一層現実から遠ざかっていく感じがした。


 アリーナ席エリアの前にはスタッフが待ち構え、チケットにアリーナと書かれていることを確認されてようやくそのエリア内に入ることができた。

 普段のスポーツ開催時には入れない場所に踏み入れていると思うとそれだけでも特別感があった。

 真横には花道と呼ばれるステージが組まれ、センターステージ、メインステージもこの距離で見ると迫力満点だ。


「あともう少しでここに出てくるとか信じられないね。」

「はい。もう何回かライブとか来ましたけど、慣れません。」


 チケットに記された場所を目指しながら歩く。辿り着いたのはセンターステージより少し上手の場所。ブロック最前列で前に視界を遮るものはない。今まで入ったなかで一番距離的に近いし、この規模でこの場所ならなおさら運が良かったと言わざるを得ない。


「初めてがこんな席だなんて。本当に琴葉ちゃんありがとう。思う存分楽しむ。」


 私だってそうだ。大学卒業して、いや、卒業する前からかもしれない。上手く就職活動はいかない。散々、面接は詰め寄られて、選考も中止された。後先決まらないまま卒業して、帰りたくもない地元に帰った。そこにある考えに縛られて、既卒の就職活動も厳しいことはわかっていたけれどそれでも辛かった。ここまで頑張ってきたけれどその報いもない。ただ、今日だけは。今日だけでもそんな現実から逃げたいし、逃がして欲しい。その思いがいっぱいだった。


 時間が経つに連れて座席もどんどん埋まっていく。年齢はさまざま。親子、友達同士、恋人年など組み合わせもさまざまだ。開演まで残り一時間にもなれば半分ほどの座席が埋まり、入ってくるファンも増えた。


「私、お手洗い行ってきます。」

「わかったよ。荷物見とくね。」


 晴海さんに荷物を託し、最低限のものを小さめのカバンに入れ込んで席を離れた。

 賑わいを見せるコンコースは名一杯おしゃれしたファンで溢れていた。そこですれ違ったのは美希で隣には同じ年頃の知らない人がいた。今までなら一緒にライブに行ってた仲だったはず。でも、もう今は違う。


「あれ、琴葉じゃん!久しぶり。」


 こちらに気づいたのか笑顔でこちらに近づいてくる。今までだったら嬉しいはず。でも、今は何とも言えない気持ちで一杯だった。


「久しぶり。」


 これまでのように接することができず、どこか不自然な返事になってしまった。


「元気だった?」

「まあまあかな。」

「同じところ来てたんだ。もうライブとか来ないのかと思ってた。」


 美希は地元が同じ。進学した先の大学も同じ大学ではないが近くだったこともあってよく会っていた。美希は就職を機に関東方面に来ていたことは知っていた。もちろん私が就職できなかったことも美希は知っている。だからこそそうやって言ってきたのだと思う。フリーターでライブに来られるということをよく思っていない。


「美希、その子誰?」

「この子は中学からの付き合いなんだ。大学も近くのところ通ってたの。」

「前に言ってた子か。」

「そうそう。」


 目の前に私がいるというのにお構いなく話を続けていく。前に言ってた子というのが引っかかった。私をどんな子として話していたのか気になるところ。


「この子、同じ職場の同僚。夏のツアーも一緒に行ったんだ。」


 夏のツアーとは私が外れて行けなかったやつだ。そして、その応募のときに美希を誘った。でも、美希は別の子と行くからと断った。その別の子が今私の目の前に現れて点と点が繋がったような気がする。

 大学を卒業して初めて会った美希。髪はしっかりとヘアメイクされている。ネイルもしっかりされていて、持っているバッグもブランド品。着ている服も今まで着ていたものとは違って少し大人っぽい気がする。


「その服。めっちゃ懐かしいね。」

 私が着ていた服のどこが懐かしいのかと思ったが、記憶を掘り返してみれば美希と初めてライブに行ったときに買った物だ。


「まだ着てたんだね。懐かしいなって。もう私すっかり好みかわっちゃってさ。相変わらず髪巻くの上手いね。私、めんどくてさ。朝、美容院でセットしてもらった。」

 悪気は全くない。それはわかっていても私には嫌味に聞こえた。社会人となればオフィスカジュアルの服が増える。そのことを考えれば今まで持っていた服を手放すことだってわかる。私とは違って安定的に収入のある美希がブランド品を買うのも、美容院にお金をかけることだってあたりまえだし、そうあってもおかしくはない。でも、違和感があった。今までとは見違えるほど豪華に着飾っている。グッズの量も今までとは比にならないほど買い占めていた。今までそこまで買う人ではなかったはず。それに派手にデコられた団扇。規定を守っているかも怪しい大きさ。今までと何かが違う。


「それから就職活動は?」

「就職活動はぼちぼちかな。」

「早くしないとブランク期間どんどん空いていくよ。やばいって。」

 そんなこと言われなくたってわかってる。

「うん。わかってるけど。」

「琴葉。ちゃんとしてるからその辺も計算の範囲内なんだろうな。私、バカだからさ。そんなことできない。」


 確かに美希は学校の成績で言うと私よりずっと下だった。でも、今は美希の方がずっと社会的な成績は上だ。愛嬌もあったし、コミュニケーション力も私より遙かに秀でていた。


「琴葉誘ってくれなかったの?なんで、いつも一緒に来てたじゃん。」

 断られたのはこっちだ。そのことすらも忘れられているのか。


「夏のとき違う子と行くって言ってたから。今回もそうなのかなって。」

 誘ったけれど、それより先に別の子を誘っていた。そのことも覚えていない。きっと彼女には悪気はない。もとから記憶力は乏しかったし、何回も同じ話をすることはあった。それが私のこと絡みだと思うとショックだった。


「そうだっけ?」

「そうだったよ。」

「そうだったかも?ね、席どこだった?私、今回天井席でさ。遠いんだよね。」


 席を離れてもわかるように持ち歩いていたチケット。いい席だったからこそ知られたくないと直感が働いた。美希はもともとオタ友。私は知っている。就職で関東に来たことを着に推し活も以前にも増して活発になっていたことを。映画の試写会。舞台。ライブ。前よりもお金をかけていた。それにライブだって今まで席を気にするような人じゃなかった。どこの席でも会えるし、ライブを楽しめることに変わりないよねと思っている人だった。会う数を重ねすぎたのか座席の近さばかり気にする人のような言い方だ。その一方で私の推し活は乏しい。テレビでドラマ見てCM見て、たまに雑誌を買う程度。会いに行くのはライブだけ。それもたったの1回の数時間。その差を比べたときに邪魔されたくないと言う気持ちが強かった。


「まあ。いいところだったよ。」

「チケット持ってるでしょ?見せて。」


 ためらいがあった。でも、見せないとめんどくさい。「見せるだけね。」と言って、チケットを美希の方に見せた。


「え。アリーナじゃん。いいな。ね、琴葉アリーナなんだけど。」

 私と美希との会話に入らずスマホをいじっていた美希の同伴者に声をかけた。すると一緒にチケットを覗き込んでは「ほんとだ。」と言った。


「交換しない?」


 美希から出た言葉は意外なものだった。


「何で?」

 思わずそう聞き返した。


「いや、そりゃいい席で見たいし?誰かと来てるの?」


 ここで誰かと来てると言ったら絶対交換してと頼み込んでくる。それだけは阻止したい。


「1人。1人で来たけど。」

「なんだ。じゃあ、ダメか。違う人探そう。」


 残念そうな顔をして「行こう。」と一緒に歩き出していった。ライブが終わってからずっとあとに知ったことだけど、援助交際をしてお金を貰っていたらしい。そのお金を推し活に使い込んでいた。ライブに行く回数が増えたのも、それに加えて今まで行っていなかった試写会に舞台も行けるようになって、さらにブランド品を持つ。今まではそんなことはしない。1年に1度行くライブを楽しみにしていたし、1つの物を大切に使うような人だった。それがほんの少し顔を合わせないだけで自分の知らない世界に飛び込んでいた。そのことを知ってあとから妙に納得をしたのと同時に、美希は変わってしまったんだということと、人は案外変わってしまうときはあっさり変わってしまうということをを目の当たりにしてショックを受けた。

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