第37話 “普通”が欲しい
連日バイトと毎日のように就活サイトと転職サイトの行き来。でも、それでさえ苦痛に感じることはなかった。それはライブがあと1ヶ月後にはあるという楽しみ、そしてそのライブに向けて新曲が発表されたり、CDが発売されたりとオタクとして充実した日々。そのためには頑張れた。楽しみがあるというのは最大の活力になっていた。
頭に乗ったあの温もりを忘れることはなく、自分の手を置いて確かめてみる。でも、その感触が残っているわけもないけれど、記憶のなかの感触を思い出すと残り火程度にその温もりを感じる気がする。
「もう少しだね。ライブ。」
「はい。めちゃくちゃ楽しみです。」
「こういうのワクワクするね。ほら、学生の時とか修学旅行とか遠足の前と同じ感覚。」
「わかります。いろいろ考えるのすら楽しいです。」
晴海さんともかなり仲良くなり、この時間が楽しくて仕方がない。
「ケータイ鳴ってるけど、出なくていいの?」
カバンにしまっていたスマホのバイブ音が鳴り響き、画面を見ると父からの電話だった。今はバイト中、仕事中ということもあって対応を拒否したが、切ってももう一度かかってきたので渋々出る。
「もしもし。」
「琴葉か。ばあさんの知り合いの西藤さんがやってる会社がお前を受け入れてもいいと言ってる。」
つまりそれはコネ入社と俗に言われているもので、私には迷いなんてなかった。コネで入社しようなんて思わなかったし、それ以上に地元に帰るつもりなんて微塵もないからだ。
それにその西藤さんと言うのは二つ上にその会社の社長の息子がいたはず。そうなると話は早くて、家族の知り合いのツテで入社、私はその恩があるので断ることはできない。そこから社内結婚もありえそうと言うより祖母がその道を望んでいるかのように思えるし、そうしか考えられない。
「嫌だ。」
「まだ、そんなことを言うのか。わがままも過ぎるぞ。」
「わがままなんかじゃない。自分で自分の人生を選んでいるだけ。それの何が悪い?」
「はあ。」
電話越しで父の大きなため息が聞こえる。もう父の呆れた顔と嫌気が差した顔が思い浮かぶ。
「そんなところで意地張ってないで帰ってこい。」
「嫌だ。」
「なんだ?また友達がとか言い出すのか?いつまでも学生じゃないし、青春じゃないんだぞ。」
そんなことわかっている。でも、私の今は今しかなくて、今が人生において若いと言われるうち。きっと人生で若くて綺麗な時なのに地元に戻って楽しみもない、人もいない。ただただ、知っている人が私を監視するような社会でその時を過ごしたいと思えないし、過干渉ももうこりごりだ。
一方的に電話は切られて、プープーという音だけが繰り返される。
「琴葉ちゃんがそんな怒ってるところ初めて見た。」
ここがバイト先であることを忘れてついカッしながら話してしまった。
「いえ、父だったんで。」
「そんな厳しいの?」
「まあ、昔ながらのって感じです。良くも悪くも。」
「ああ、なるほど。」
自分で選べない私の人生って意味があるのか。仕事もこれだけ頑張ってきてもこのありさま。そして自分で見つけたわけでもない会社で自分で決めたわけでもない仕事。人生のパートナーでさえ誰かが選んだもの。一度も誰かを好きになって、誰かに好きになられることもない。ただ、自然に愛が芽生えていくのを待つかのようなことをする。それは恋とはほど遠いもの。私はこうやって何も選ばない人生を進むしかないのかと思うと虚しい。
もし、“普通”を“過半数の人が思うこと。経験すること”だとすると、私はその“普通”を手に入れるためにこんなに頑張っていて、その“普通”がのどから手が出るほど欲しいもの。特に私が生まれ育った小さな町なんて普通じゃなければ意味がない。みんな結婚、仕事、子ども。それが当たり前の世界。そこに入れない私は何かにすがってでもその中に入らなければ“普通”とは違う変わった子になるだけ。
そう思っている時点で私は何か支配されているのかもしれない。
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