第30話 雨と好きな香り

 外はどんよりと暗くて、今にも雨が降りそうでやっと朝の天気予報で雨と言っていたことを思い出す。

 目的の駅に着く頃には雨脚は強くなり、傘なしでは厳しいぐらいだった。でも、sの雨は自分の心を現しているようにも感じたし、その雨に打たれることで何か洗い流されるような気もした。

 街ゆく人はあたりまえのように傘を差して歩くほどで、こんななか傘も差さずにほっつき歩いているのは私ぐらいだ。


 辿り着いたたのは私が住んでいるところよりずっと大きくて、高くて、綺麗なマンションだった。

 指示された番号を押すと目の前にあるスピーカーから同じ声がした。

「今開けるからそのまま入ってきて。」

 その言葉と共に扉がガチャッと開き、中へ入って行く。人は誰もいなくて、私が歩く音だけが広いロビーに響き渡った。


 言われた番号と同じ数字が書かれた扉の前でさらに呼び出し音を鳴らしてみる。

「いらっしゃい。早く入って。」

 言われるがまま入ってやっと気がついた。ここが推しの家だと言うことに。

「そんなに濡れてたら風邪ひくよ。ここで待ってて。」

 髪の毛や服からは滴り落ちるほど雨水を含んでいて、その足下は水たまりができていた。


「これで拭いて。」


 パサッと頭からかけられたのは真っ白なバスタオル。ふわふわで柔軟剤のいい香りが鼻をくすぐった。こんな押しかけた人にでもこうやって丁寧にタオルを持って来てくれるその優しさが嬉しい反面、痛かった。でも、やぱっり私みたいなやつがこんなところにいるなんておかしい。


「すみません。私、帰ります。」


 渡されたタオルを押しつけて帰ろうとし、ドアノブに手をかけた。すると、私の手の上にドアを開けることを阻止するかのように大きな手が重なった。

 そして見上げると綺麗な顔がすぐ近くにあって、急に恥ずかしくなる。確かに男性としては小柄な方だけれど、それでも私より高い背にギャップを感じてしまう。そう言えば初めて会ったときもそんなこと思ったなと記憶がよみがえる。


「外、雨だけど?これから強くなるって話。だから、それが過ぎるまでもう少し待たない?」

 その手の温もりでドアノブにかかっていた力がすっと抜けていく。久しぶりにこんな暖かさに触れた気がする。


「早くしないと風邪引くから。ね?」


 私は黙ったまま差し出されたものを受け取り、案内されるがままついて行った。


「大きいかもしれないけどこれ着ていいから。早く着替えちゃって。あっちで待ってるから。じゃあ。」

 連れられたのは立派な脱衣所でかなり綺麗に整理されていて、生活感は感じられないほどだ。


 そっと扉が閉じられたことを確認して濡れた体を拭いて着替えようとした。ふわふわのタオルはとっても肌触りがよくて、タオルの役割なんてなくてもその肌触りと香りだけで十分なほど。着替えとして用意された服も綺麗に畳まれていて、まめな人なんだなと感じさせられる。確かに「自分はきれい好き」と言っていたのを思い出す。推しの家で、推しが使っているタオルと服を着て、おまけに柔軟剤の香りまで楽しんでしまっている自分がいたし、その自分に引いている部分もあった。でも、そんなことはほんの少しで、大部分はその優しさに感謝していた。着替えたパーカーは小柄な私にはぶかぶかで、これ1枚でも外に出られそうな程。ハーフパンツもハーフパンツと言うよりもかなり丈は長くてウエストもかなり縛らないと緩くて落ちてしまいそう。


 言われた通り、着てきた服はかごに入れて体型には合わないサイズ感の服を着て脱衣所の扉を開いた。

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